自分の社長室に戻り、俺の前で秘書のアイカワがなんだかんだと
書類の説明をしていたが、俺は全く何も耳に入らなかった。


別にソウにとって俺自身が特別な存在だと思っていた訳ではないし、
それに俺が結婚するしないは別として、いつかはあんな関係を精算
しなければいけない時が来るだろうとも思っていた。
だからソウが言った台詞は俺にとっても好都合な筈。
ソウとはまた今まで通り親会社の副社長と子会社の社長という
関係で、兄の親友と親友の弟という、10年前までの関係に
戻るだけだ。
これでいいんだ。
これでやっと俺は前に進む事が出来る。


……この歳になって現実の厳しさを嫌というほど知ってきたのに、
それでもまだ奇跡など期待していた俺がバカだったのだ。
いつかソウの傷が癒えた時、その時俺が隣に居られるようにと、
祈り続けた俺がバカだったのだ……


その後俺は自分が何をしているのかわからないまま、ただ
機械的に仕事をこなし、17時からの打ち合わせと18時半からの
接待も終えた。
2次会にも誘われたのだが今日は体調が悪いからと断り、代わりを
アイカワに頼んで俺専属の運転手が運転するベンツS500に
乗り込み、そのまま接待先の料亭を後にした。

……もう二度とかかってくる事のない呼び出し電話……

無意識にポケットの携帯を握り締めながら、窓の外に流れる
ネオンの渦を眺めていた。


****************


ソウと初めて会ったのは、小学2年で同級生になったシュウの家に
遊びに行った時。
一人っ子だった俺は、当時3歳でシュウの後をついてまわって
いたソウが可愛くて堪らなかった。
毎日のようにシュウの家に遊びに行っては、シュウではなく
ソウと遊ぶ。
シュウが苦笑しながら見ている横で、『コウ、コウ』とどんどん
俺に懐いて来るソウを、本当の弟の様に可愛がった。

当時俺の前に社長を務めていた父親は、親会社の社長の家に遊びに
行く事を図々しいと言ってあまりいい顔をしなかったが、そんな事を
一切気にしない葛城家は、何の問題もなく俺が遊びに行くのを喜んで
くれていた。
だから俺はその好意に甘え、ほぼ毎日のように葛城家に出入りした。

ソウは小さい頃から負けず嫌いで、力でも頭でも、シュウよりも
俺に敵わない事を特に悔しがっていた。
『俺の方が5歳も上なんだから当たり前だろ〜?』
といつも笑って宥めたのだが、その度に泣きそうに顔を歪めながら
『大きくなったら絶対俺がコウを守ってやるんだからな』
とその小さい体で精一杯胸を張って言う。
何故俺を守ろうと思ったのかはわからないが、
『俺は男なんだからソウに守ってもらわなくても平気なんだよ』
と苦笑しながらも、ソウの気持ちが嬉しくて堪らなかったものだ。

ソウは元々自分の感情を表現する事がとても下手で、その分黙々と
努力を重ねるタイプだったのだが、歳を経る毎にその性格は更に
顕著になり、年齢の割には落ち着いた所を見せる反面、無口な分
たまに何を考えているのかわからずに、俺もシュウも戸惑う事が
増えてきた。
小さい時の無邪気な様子とは違い、少しずつ大人になっていく姿を
目の当たりにしながら、誇らしいような少しさびしい様な、複雑な
気持ちでソウを見守ってきた。


それまでただ弟のように可愛いと思っていた筈の気持ちが、いつの
間にか恋愛感情にすり替わっている事に気付かされたのは、俺と
シュウが20歳、ソウが15歳の頃。
ソウが大きくなるにつれ少しずつ一緒にいる時間が減っては
来ていたが、それでもたまには勉強を教えてやったり、一緒に
テニスをやったりしていた。
けれどその頃からソウが女の子達をとっかえひっかえ家に連れて
くるようになり、ソウと一緒に過ごす事がほとんど無くなってきた。
そんなソウが、女の子と歩いている姿や一緒にいる姿を見る度に
言いようのない嫌な気持ちが湧き上がってくる。
けれど俺やシュウだって、モテない方ではなかったから色んな
女の子と遊んだりしていたし、ソウだって年頃なのだから当然
そんな事はあるだろう。
だから最初は可愛い弟を取られるような、一種のブラコンみたいな
ものかと思っていた。

だがある日、いつも通りシュウの家に遊びに行き、たまたまトイレに
行こうとソウの部屋の前を通ると、部屋の扉が半分ほど開いていた。
何気なくそちらに目を向けた俺は、制服を着た女の子と抱き合っている
ソウと目が合ってしまう。
二人はただ黙って抱き合っていただけなのだが、俺は途端に心臓が
跳ね上がった。

ドキドキする胸を押さえながらへらりと笑い返して見せ、そのまま
通り過ぎようとした時、ソウがふいっと俺から目を逸らし、女の子を
抱き締め直した。
それを見た途端心臓を鷲掴みにされたような痛みに襲われ、その事で
後々俺はソウの事が好きなのだと気が付かされた。
ソウが女の子と一緒にいる姿を見る度に胸が痛むのは、単なる
あさましい嫉妬だったのだと……

勘違いだと何度も何度も自分に言い聞かせた。
相手は自分より5歳も年下の子供なんだぞ、と。
だがそれ以降、当時付き合っていた女の子を抱いても別の子を
抱いても、どうしてもあのソウの目が思い浮かんでしまい、まともに
相手の子を見ている事が出来なくなっていく。
それに気が付いて以来、さすがに悪いと思って特定の子と付き合う
のを止め、欲望を発散させたい時だけ割り切って遊べる女の子を
抱くようになった。

シュウはすぐに俺の変化に気がついていたが

『誰か一人に絞るのは結婚の時で充分だろ?
 だからそれまでは誰にも束縛されたくないんだよな〜』

と、ことあるごとに笑って誤魔化した。
もちろんシュウがそんな言い訳で納得しない事はわかっていたが、
それ以外に方法が考え付かなかったし、あえて何も聞かないで
いてくれるシュウの気持ちに甘えることにした。

以降もソウと顔を合わせる事は度々あったのだが、俺は出来るだけ
平然と接し、時には女の子達の事でからかったりした事もある。
けれどソウはそんな俺にムッとしたりしながらも、たまには冗談を
言って笑わせてくれたり、飲み過ぎた俺を介抱してくれたりもした。
そんな何気ない時間が俺にとっては何より大切で、まるで坂道を
転がり落ちるように、どんどんソウに夢中になっていく。
小さい時から一緒に過ごしてくる内に少しずつ積もってきた
気持ちが、まるで爆発してしまったかのようだった。

だが俺は、自分の気持ちをソウに伝えようと思った事は一度も無い。
逆に決して誰にも気が付かれないよう必死だった。
葛城家ではソウが大学卒業後、時機を見てシュウが社長を継ぎ、
ソウは業務全てを受け持つ副社長になる事が決まっていた。
そして俺が父親の後を継いで子会社の社長になる事も。

だから将来的にはソウが俺の上司になる。
それも日本でその名を知らない人間はいないだろうと思われる程
大会社の副社長。
そんな人物に、男の俺が邪な目を向けている事がわかって
しまったら、きっとそばにいる事すら出来なくなってしまうだろう。
気持ちを伝えてソウの傍にいられなくなるよりは、いっその事
誰にも知られずに可能な限り近くにいたい。
だから俺は、この思いを一生口に出さずにいようと思っていた。