「教授が息絶えていく姿を目の前で見せ付けられながら、
キリシマコウスケでもナカヤマコウイチでもない、
いつの間にか自分の中で作り上げていた『コウ』という存在が
暴走し始めるのを感じていた。
病院に見舞いに来て俺に折鶴をくれた人が、確かに自分の
求めていたコウイチだと思ったのに、『コウ』という呼び名を
聞いて俺の目の前には色々な顔がダブって見えた。
そこから混乱が続き、どれが本当のコウイチなのかが
わからなくなっていった。
そして4ヶ月振りに見付けた『コウ』を抱いた。」
……ソウが俺を抱いた時、俺の先に見ていたのは教授ではなく、
擬似恋愛の末にソウの中で作り上げられた『コウ』という
存在だったのか。
「……ふと我に返った時、なんて事をしてしまったのだろうと
思ったが、自分でも何を言っていいのかわからずに、その場は
逃げる事しか考え付かなかった。
だが俺は一度手にしたコウイチを、更に求め続ける自分の
気持ちを抑えられなかった。
幼い頃からずっと俺のモノでいてほしいと願っていたコウイチを、
理由はどうあれやっと手に入れたのだから、今更手放す事なんて
出来なかったんだ。」
俺は黙ってソウを見続ける。
「声を無くしていた俺は、コウイチを自分のモノに
出来たと思う事で自分の心が癒され、少しずつ声を
取り戻していった。
そして俺は喘ぎ声一つ漏らさない、無言のコウイチを抱き続けた。
けれど抱いているうちにいつも『コウ』なのかコウイチなのか
わからなくなった。
……何故か何も言わずに俺を受け止めてくれるコウイチに、その
理由を聞きたかった。
そして何度も自分の思いを話そうと思った。
だが、もしかしたらコウイチも俺の事を思ってくれているのじゃ
ないかと、自分勝手に作った幻想が壊れるのが怖かった。
混乱している俺を助けてくれと、その声で俺の名を呼んでくれと
言いたくても、誰にも束縛されたくないと言っていたコウイチが、
俺の気持ちを知ったら離れていくんじゃないかと怖かった。
俺が唯一泣かせてもらえる腕を、失ってしまう事が怖かった。
だから『コウ』なのかコウイチなのかわからないまま、ただ
コウと呼び、ごめんと繰り返す事しか出来なかった。」
ソウは立ち上がって開け放した障子の前に行き、風鈴を指で
チリンと鳴らした。
外は既に日が落ちて、ジジジジと虫の声が響いている。
そしてあの薄っぺらいカーテン越しのぼんやりした月ではなく、
晴れ渡った夜空に煌々と輝く月がソウの姿を照らし出していた。
「……会社でコウイチを呼び出した時、サカモトから聞いた
見合い話を嘘だと言ってほしかった。
自分の気持ちを伝えもしないで勝手な言い分だとはわかって
いるが、それでもいつものように笑いながら否定してほしかった。
だが黙っている様子を見て、それが事実だったのだとわかった時
気が付いたら勝手に口が動いていた。
見合いをすると決めたコウイチが腹立たしかったんだ。
自分の気持ちを伝える勇気すらないクセに。
コウイチが結婚するなんて許せない。
俺から離れて一人のオンナのモノになってしまうなんて許せない。
そう思ったのに、俺が口走っていたのは全く逆の言葉だった。
なんであんな事を言ってしまったのか自分でもわからなかった。
だがもう取り返しがつかない。
コウイチが出て行った後、俺は自分のPCを叩き壊した。
自分が情けなくて堪らなかった。
……そして翌日の夜、珍しく兄貴がユヅキさんを連れずに一人で
実家に来た。そして自分の部屋で飲んだくれていた俺の所に来て、
いきなり俺を殴った。」
「……シュウが?!」
ソウは黙って頷いたが、俺は目を丸くした。
さっきまで全く気が付かなかったが、よくよく見ると確かにソウの
唇の端には治りかけの小さな傷がある。
あの温厚なシュウが弟のソウを殴るなんて……
子供の頃から付き合っていても、一度も見た事も聞いた事もない。
「『お前も苦しんでいるのはわかっているから今まで何も
言わずに来たが、これ以上コウを傷付けたら、いくら弟の
お前でも許さない』と言われたよ。
兄貴があんなに怒った所を見たのは、多分初めてだ。」
自嘲気味に言うソウを見ながら、殴られたソウには悪いが、
大事な親友の存在を心からありがたく思った。
シュウはソウにしても俺にしても、きっともどかしいと思い
ながらも黙って見守ってくれていたのだろう。
シュウ、お前と親友になれて良かった。
お前の存在に本当に感謝している……
ソウがもう一度風鈴をチリンと鳴らした。
「兄貴に殴られて、俺は目が覚めた気がした。
ここまで取り返しのつかない状態に自分でしてしまったのだから
もうこれ以上失う心配をしなくていい。
だからもう一度だけコウイチに時間を取ってもらって、全部話を
しようと思った。その上でコウイチが俺を許せないと言えば、黙って
それに従おうと。
それで兄貴に全てを話し、二人だけで話せる場所に悩んでいた俺に
宿を貸してくれると言ってくれた言葉に甘え、見合い前の今日、
ここを使わせてもらうように頼んだ。
そしていざコウイチに話をしようと思ったんだが、きっと携帯は
出てくれないだろうと思って、コウイチの会社を訪ねた。
だが当の本人は半休でいなかったから、アイカワに行き先を
聞いて教授の墓に向かったんだ。
その途中でソウイチロウさんから電話をもらった。
……これで全部だ。」
ソウが俺に向き直る。
「……3歳で初めて『ナカヤマコウイチ』に会った時から、
俺は他が全く見えないほどコウイチに夢中だった。
一緒に飛行機雲を見上げた時、ずっと俺のそばにいると言って
くれた言葉が何より嬉しかった。
色んな女の子と付き合っているコウイチを見て、散々嫉妬させられ
てきたお返しに、いつか俺にもやきもちをやいてくれるように
なってほしいと思っていた。
『誰にも束縛されたくない』と兄貴に言っているのを聞いて、
片想いなのはわかってはいても、俺にだったら束縛されても
いいと思ってもらえるよう必死だった……」
見ているこちらが痛くなりそうなほどきつく唇を噛み締め、それから
また口を開く。
「……『コウ』なのかコウイチなのかわからないままコウイチを
抱き続け、どうかこの思いを伝える勇気を与えて欲しいと、どれだけ
あのホテルのカーテン越しに見える月に祈ったかわからない……」
俺の目を真っ直ぐに見詰めているその瞳に、どんどん涙が
溢れて来る。
「……明るい笑顔を見せる裏側で、辛い事も苦しい事も独りで
耐える性格だと知っていたから、早くコウイチを守ってやれる
だけの大人になりたかった……
なのに結局は守ってやるどころか俺自身がコウイチを
傷付け続けた。
本当に申し訳なかった……」
そう言って俺に頭を下げたソウの両目から涙が零れ、
畳にポタリポタリと染みを作っている。
ソウの流す涙が月明かりでキラキラと光っていた。