離れに入ると、ソウは部屋の電気はつけずにスタンドだけをつける。
そして開け放した障子の間に、ポケットから取り出した鉄製の
小さな風鈴を下げ、置かれていた蚊取り線香に火をつけた。

昔、夏になると暑い暑いと言ってすぐにエアコンを付けたがる
ソウに、『窓を開けて風鈴を鳴らしながら蚊取り線香を焚くって
いうのが日本の夏の醍醐味だろ〜?』と言った事があった。
そしてそれ以来ソウは夏になると、必ず風鈴と蚊取り線香を
用意していたんだよな。
『コウがソウに余計な事を言うから、エアコンを付けられなくて
困るんですよ』とシュウが苦笑しながら俺を責めた事があったっけ。


ふとテーブルを見ると、ナガノさんが用意してくれた冷奴や
枝豆などが並び、透明なガラスの徳利に入った冷酒がボールに
入れられた氷の上に置かれていた。

テーブルについて二人分の猪口に酒を注いでいると、俺の隣に
胡坐をかきながらソウが座る。
猪口を一つ手渡し、お互い無言のまま猪口を持ち上げて乾杯すると
二人とも一気に飲み干した。
俺がまた二人分の酒を注いでいると、ソウが静かに話し始めた。

「……教授とは、友人に無理やり連れて行かれたコンパで
 知り合った。俺は教授のゼミを取っていなかったから、その時が
 初めてだったんだ。
 たまたま2次会で隣になって色々話したりしたんだが、そのうち
 教授は酔い潰れた。コンパ自体元々好きじゃないから俺も帰り
 たかったし、だから教授を送っていくついでに帰る事にした。
 タクシーで家まで送って教授を降ろしたら帰ろうと思ったんだが、
 とてもじゃないが玄関まで辿り着けそうになかったので、仕方なく
 俺も降りて肩を貸してやったんだ。
 真夜中で人通りも全く無かったから、万が一道路で寝てしまったら
 困ると思ったしな。
 そうしたら突然教授が地面に座り込んで『ソウ、ソウ』って
 泣き出したんだ。」

ソウは外を眺めながらゴクッと冷酒を飲む。

「最初はもちろん俺の事を呼んでいると思ったんだが、その日会った
 ばかりの俺の名をそんなに呼ぶのはどうもおかしい。
 何とか宥めようとしたんだが全然泣き止まなくて、さすがに道路端で
 そのままでもいられず、仕方なく近くのあのホテルに連れて行った。
 水を飲ませて少し落ち着いた教授は、ソウイチロウさんの
 話を始めた。
 それを聞いて思ったんだ。
 俺と教授には妙な共通点があるなって。」

「共通点?」

俺が首を傾げて聞くと、ソウは俺を真っ直ぐ見ながら答えた。

「……あぁ。
 片想いという事。相手が男だという事。
 そして好きな奴の呼び名がお互い自分とかぶっている事。
 二人共それに気が付いて、お互い納得の上で擬似恋愛をしたんだ。
 相手に自分の方を見て欲しいと願いながら、その道中でもてあます
 欲望を処理する為に。
 教授は俺を『ソウ』と呼び、俺に『霧島惣一郎(キリシマソウイチロウ)』を重ねて抱かれた。
 俺は教授を『コウ』と呼び、教授に『中山紘一(ナカヤマコウイチ)』を重ねて抱いた。」

ドキン、と心臓が跳ね上がる。
キリシマさんが言っていた『身代わり』とはそういう事だったのか。
だがソウはそのまま又視線を庭に向けた。

「でも俺達はただ傷を舐め合っていただけじゃない。
 少しでもお互いに前進できるよう必死だった。
 俺はコウイチに一日も早く追いつけるよう、仕事も頑張ったし
 教授に色々教えてもらいながら勉強もやった。
 そしてもうダメだと諦めている教授を一緒に頑張ろうと説得して、
 教授が離婚出来るように協力もしたし、ソウイチロウさんが
 いつか気軽に遊びに来られるようにと家も探した。
 家の契約が終わったら出す筈だった手紙は俺が預かった。
 いざという時に教授に手紙を出す勇気が無くなっても、俺が背中を
 押してやれるように。
 ……結局それは叶わなかったが……」

ソウが飾った風鈴が、微かな風に揺られてチリンと音を鳴らした。