「事件から5ヵ月後、カツラギソウ君と初めてあの墓の前で
 会いました。
 警察から彼の事は聞いていましたから、『弟さんを守って
 あげられなくて申し訳ありません』と頭を下げた彼を、何故
 恋人だったキミが弟を助けてくれなかったのかと、初めは
 激しく罵りました。八つ当たりだとはわかっていたのですが、
 他に気持ちのやり場がなかったのです。
 カツラギ君は私が感情のままに彼を罵るのを、黙って
 最後まで聞いていました。
 そしてもう一度頭を下げた後、『実は私達は恋人同士では
 なかったのです』と言ったのです。」

「……恋人じゃ……なかった……?」

驚いて言う俺に、キリシマさんは不思議な表情のまま静かに頷く。

「そしてその言葉に驚いている私に、一通の手紙を差し出しました。
 それは弟が亡くなる直前に書いた、私宛の手紙でした。
 家の契約が終わり次第ポストに入れる予定だったそうです。
 ……今まで全く離婚に応じてくれなかった妻が、カツラギソウ君と
 いう友人の助けを借りて、やっと別れると了承してくれた事。
 新しい家も見付けて一人で暮らしているから、いつか気が向いた
 時に遊びに来てほしい事。
 そして最後に……キリシマソウイチロウを今でも心から
 愛していると……書かれていました。」

キリシマさんはそう言って、少しの間右手で目頭を押さえた。
教授は兄であるキリシマさんを、ずっと愛し続けていたのか……

……もしその手紙が届いていたら、教授とキリシマさんは
今頃二人で幸せに暮らしていたのかもしれない。
けれど結局その手紙がポストに投函される事はなかった。
契約の直前にその命を絶たれてしまったのだから……

手紙を書いた時の教授の気持ちと、何故もっと早くに、と
後悔してもしきれないだろうキリシマさんの気持ちを思うと
堪らなかった。

俺はそっとハンカチを差し出す。
キリシマさんは『ありがとう』と言いながらそれで涙を拭い、
『歳を取ると涙腺が弱くなって困りますね』と苦笑した。

……だがソウの気持ちはどこにいったのだろう?
恋人同士じゃなかったという事は、ソウの片想いだったのか?
では何故付き合っていたと、ソウは警察に言ったのだろう?

「……それから私は時々カツラギ君とここで会って色んな話を
 するようになり、カツラギ君と弟の間に体の関係があったから
 二人が付き合っているという話を警察にしたものの、それ以外は
 事件と関係がないと考えてそれ以上何も話さなかったのだと
 知りました。
 二人の関係は、あくまでお互いにお互いの身代わりを求めて
 いたのだそうです。」

「お互いの身代わり……ですか?」

俺の台詞に、少しだけ切なそうに微笑みながら頷いた。
だが巧みにそこから話を逸らしてしまう。

「カツラギ君は私に色々悩みを打ち明けてくれるようになりました。
 ナカヤマさん、カツラギ君はあの事件以降ずっと混乱しています。
 自分が求めているのは確かに貴方の筈なのに、いつの間にか
 自分が誰を抱いているのかわからなくなる、と。
 正直にその事実を話せばいいと言ったのですが、首を横に振る
 ばかりでね。」

心臓がバクバクと早鐘を打ち始めた。
ソウが俺を求めている?
キリシマさんは更に話を続ける。

「はっきり言えば、彼の態度は感心しない所が多いでしょう。
 自分勝手に貴方を求め、傷付けているのをわかっていながら
 自分を受け入れてくれる貴方の優しさに甘え続けているのですから。
 けれどね、ナカヤマさん。
 貴方に『結婚しろ』とカツラギ君が言った日の夜、彼はここに
 来て、わざわざ自分で持って来たお酒を飲みながら何時間も
 くだを巻き続けたのですよ。
 嫉妬のあまり取り返しのつかない事を言ってしまったとね。
 さすがに貴方の腕の中以外では泣けないようですが。
 ……本当に不器用な子ですね。」

キリシマさんが苦笑する。
ソウが……嫉妬?

「彼は小さい頃から貴方に追い付きたくて、早く大人になりたいと
 無理をしてきたのでしょう。だからとても大人な部分と、とても
 不器用で、成長していない子供の部分が共存しています。
 その上にあんな事件があったせいで、彼の心はすっかり混乱
 してしまいました。
 私の勝手な憶測ですが、そんな彼を貴方ならフォローして
 あげられると思うのですがね。実際貴方の存在が無ければ、
 きっと彼は今頃廃人同然だったでしょうから。
 貴方がカツラギ君の事をどう思っているのかわかりませんし、
 彼を許せないと思っていてもしょうがないと思います。
 ですが、10年間も何も言わずにカツラギ君の暴走を受け止めて
 あげる位には、彼の事を思っていたんじゃないですか?」

相変わらず透明な光を湛えたキリシマさんの目が、真っ直ぐ
俺に向けられている。
だが、なんだか焦点を巧くぼかされている様な部分もあって
俺はまだ話が全然飲み込めてなく、首を縦にも横にも振る事が
出来なかった。

「ナカヤマさん、あと一度だけでいいです。
 散々貴方を傷付けてきたカツラギ君ですが、あと一度だけ
 彼が言い訳を言うチャンスを作ってやってくれませんか?
 もっと早く話し合っていれば良かったと、一生後悔しなければ
 ならない私と弟のように、本当の手遅れになる前に……
 ……ね、カツラギ君?」

キリシマさんが突然俺の後ろに向かって話しかけ、俺は慌てて
振り返った。
するとそこには難しい表情を浮かべたスーツ姿のソウが立っている。

驚く俺をよそに椅子から立ち上がったキリシマさんが横に来て、
俺の腕を取りながら立ち上がらせる。
そしてそっと耳打ちをした。

「勝手な事をしてすいません。
 この店に着いた時に私が電話で彼を呼んだのです。
 まぁでも私が電話をかけた時には、何故かもう既に
 近くまで来ていたんですがね。」

俺がすっかり当惑していると、キリシマさんが俺の背中を
ソウの方にトン、と押し出した。
面食らった俺は思わずよろけてしまい、それをソウが
しっかりと支えてくれる。

10年間この身に染み着くほど感じていた、少しだけ
スパイシーなソウの香りが俺を包んだ。
温かい腕。
俺を教授の身代わりとして抱き続けてきたのだと
思い込んでいた腕……

「カツラギ君、しっかりキミの『コウイチ』と話し合って
 謝っておいで。
 もしまたうまくいかなければ、いつでもお酒の相手ぐらい
 してあげるから。」

ソウはキリシマさんに『はい』と返し、戸惑っている俺の
腕を掴んで店を出る。
そしてそこにはソウの私用車である、ブラックサファイヤメタリックの
ボルボC70が、静かなエンジン音を響かせながら停まっていた。