寺から5分ほど歩いただろうか。
よく見なければ見落としてしまうような古い一軒家が、その紳士が
経営するカフェだった。
入り口には『CLOSED』の札がかけられているので、中には誰も
いない。
案内された奥の4人掛けのテーブルに、入り口を背にして座る。
『少し待っててくださいね』といいながら店の奥に彼が消え、その間
俺は店の中を眺めた。
外側の古ぼけた印象とは違い、まさにレトロという言葉が
良く似合う雰囲気。
少し薄暗い照明で、本棚や暖炉、巨大な月球儀などが雑多に
詰め込まれているのに、絶妙にバランスが取れている。
なかなか面白いな、と思いながら置かれていたメニューを開く。
ところが当然あるだろうと思っていたコーヒーが無い。
驚いている俺に、奥から出て来たその紳士が苦笑しながら
答えてくれた。
「ここはカフェという名前がついていながらコーヒーが無いんですよ。
でもその代わりに中国茶やインド茶など、お茶の種類を豊富に
置かせてもらってます。
もしお嫌いでなければ、ヴェトナム茶などいかがですか?
あっさりしていてなかなかおいしいですよ。」
仕事の関係で中国茶については色々調べた事はあったが、
ヴェトナム茶は初めてだった。
たまにはこんな経験もいいかもしれない。
俺は10種類以上あるヴェトナム茶の中から勧められるままに
注文した。
その後彼が淹れてくれた、新鮮な自然の香りあふれるお茶を
飲みながら、結構好みのその味を楽しんだ。
するとようやく俺の向かいに座ったその人が口を開いた。
「自己紹介が遅れましたが、私は霧島惣一郎(キリシマソウイチロウ)
と言います。」
「……キリシマ?」
キリシマって、あの教授と同じ……?
するとキリシマさんは静かに微笑んで答えた。
「私はキリシマコウスケの兄です。
ナカヤマさん、貴方の名前はカツラギソウ君からいつも
聞かされていますよ。
貴方が今飲んでいるヴェトナム茶も、実はカツラギ君の
お気に入りでね。」
教授の兄……?
それにソウから俺の名前を聞いているって?
「きっと何が何だかわからずに戸惑っているだろうとは思いますが、
少しだけ私の昔話に付き合ってくれませんか?」
キリシマさんはなおも俺に微笑みかけながら尋ねて来た。
その瞳が吸い込まれそうなほど透明な光を湛えており、
気が付いた時には『はい』と返事をしていた。
****************
「代々続くお茶屋の長男に生まれついた私は、小さい頃から
跡取りとなるべく育てられて来ました。
それはそれは厳しくてね。
小さな頃から、遊ぶ暇も無く仕事の手伝いをさせられたものです。
やはり辛かったですよ。
ですがその私の気持ちをいつも癒してくれたのは、2つ下の
弟の『コウ』、キリシマコウスケでした。」
そう言って話し出したキリシマさんは、不思議な表情を浮かべたまま
話し続けた。
「私は弟をとても大切にしていましたし、弟も私をよく慕ってくれて
私達は本当に仲の良い兄弟でした。
そしてお互いに年頃になった時、弟は私を好きだと
告白してきました。
まさかそんな事を弟が思っているとは夢にも思いませんでしたし、
ましてや私達は血の繋がった男の兄弟です。
あまりにも驚いた私は必要以上にキツイ言葉でその気持ちを
撥ね付け、その後もどう接してよいのかわからずに弟を避け
続けました。
弟は何も言わずに私の仕打ちにジッと耐えたまま、私が
結婚するのと同時に実家を出て、東京の大学で働き始めた
のです。」
俺は黙ってキリシマさんの話を聞き続ける。
「その時になって、ようやく私は自分も弟が好きだった事に
気が付きました。
なくしてみて初めてわかるってヤツですね。
ですがその頃、妻のお腹には既に長女が宿っていたので、
さすがに妻と子供を放り出す事は出来ませんでした。
その後弟が実家に顔を出す事は無く、時々電話をかけて来る
ぐらいだったのですが、ただ1度だけ、結婚の報告の為に女性を
連れて来たのです。
正直な所二人の態度を見ていると愛情は感じられません
でしたし、見た目や世間体ばかりを気にするその女性を、
私はどうしても好きになれませんでした。
……後になって振り返れば、その時に結婚を反対していれば
良かったのですがね。」
キリシマさんは辛そうに微笑んだ。
「私は弟からかかってくる電話をいつも楽しみにしていました。
夫婦関係があまりうまくいっていない事は聞いていましたので、
妻には申し訳ないけれども、一人娘が大学を卒業したら離婚して
自分の気持ちを弟に伝え、昔の事を謝ろうと、そしてもし弟が許して
くれるなら二人で一緒に暮らしたいと密かに願っていました。
そうやって長い年月を過ごし、4年制の大学に行った娘の卒業まで
1年を切った時にあの事件が起きたのです。」
……キリシマさんの願いは届かなかった。
だが教授はソウと付き合っていたのだから、どちらにしろ無理だったの
かもしれないが。
「……事件の後、警察に事情を聞いた私は毎日泣いて暮らしました。
夫婦関係がうまくいっていない事は知っていたのに、何故もっと
早くに助けてやれなかったのだろう、と。
何故もっと早くに自分の気持ちを弟に伝えなかったのだろう、と。
その上残念な事に私の家族はあんな事件と関わりたくないと、
弟をキリシマ家の墓に入れる事を拒みました。
情けない事に私にはそれを押さえつけるだけの力は
ありませんでした。
ですが弟が寂しい思いをしない様、どうしても傍にいてやりたくて。
ですからお茶屋は従兄弟に任せ、予定より少し早かったですが
大学の費用も慰謝料も払うという約束で事件直後に妻とは離婚を
しました。
そして弟が暮らしてきたこの町に店を構え、塔婆をたてたあの
お寺に、お客様がいない時間を見計らって毎日通っているのです。」