ソウが意識を取り戻した3日後、俺はシュウと一緒に
見舞いに行った。シュウは医者に話があるというので、
俺だけ先に病室に向かう。

少し広めの個室に入っていたソウは、包帯やガーゼだらけの
痛々しい姿でベッドに横になり、ボーっと窓の外を眺めている。
あの視線の先には、キリシマ教授がいるのだろうか……

「調子はどうだ〜?」

出来るだけいつも通り話しかけながらベットに近寄る。
そしてゆっくり俺に視線を移したソウに、目の前で
ヒラヒラと一羽の折鶴を振って見せた。
声を出す事が出来ないソウは、黙って折鶴を見詰めている。

「昔お前が寝込む度に、こうやって鶴を折ってやったよな〜。
 覚えているか?」

ソウは一度頷いた。俺はそれに笑って返し

「折り紙に願い事を書いて鶴を折ると、祈った事が叶うって
 言ったよな。
 俺が鶴を折ってやった時は、いつもすぐに具合が良くなっただろ?
 だから今回も願い事を書いて来てやったぞ〜。」

ソウの左手を持ち上げて掌に鶴を乗せる。
幼い頃、よく熱を出して寝込んでいたソウを元気付ける為に思いついた
こじ付けではあったのだが、ソウはいつも俺が折る鶴を楽しみにして
いて、不思議な事に熱が下がったりした事も多々あった。
だからそれだけ鶴を嬉しいと思ってくれているのだろうと
その度に喜んでいたものだ。

ソウは子供の時と同じ様に、丁寧に鶴を開いて
四角い折り紙に戻した。

『早く宋(ソウ)の傷が治りますように』

折り紙に書いた俺の祈り。
もちろん体の傷もそうだが、本当はあんな事件があったせいで
出来てしまったであろう、心の傷が治りますようにと祈っている。
そしてたまに見せてくれていた、見惚れるほどの笑顔を早く
取り戻してほしい、と。
心の傷が治らない限り、あの笑顔を見せてくれる事はないだろうから。
いい歳して鶴に祈る俺は相当なバカだよな、と苦笑しながら、昨晩
せっせと折ってきた。

ソウはしばらくそれを見た後俺に視線を戻して何かを言いたそうに
口を開きかけたが、その時ガチャっと扉を開ける音がして、シュウが
病室に入ってきた。ソウは口を閉じて静かに折り紙を布団の中に隠し、
そのまま俺とシュウの会話を聞いている。
ところがシュウが俺を『コウ』と呼んだ途端、ソウの顔が見る見る
強張った。
そしてついっとまた窓の外に目を向ける。
そしてそれ以降、俺にもシュウにも視線を向ける事はなかった。


俺はその後仕事が忙しい事を理由に、一度もソウに会いには
行かなかった。
本当ならば仕事が終わると同時に会社を飛び出して、時間が
許す限り傍にいてやりたかった。
そして一日も早く心の傷を癒せるように、俺で出来る事なら
なんでもやってやりたかった。

だがきっとソウは『コウ』という呼び名を聞く度に、俺ではなく
教授を思い出すのだろう。
あれだけの事があったのだから、当然しょうがない。
だから俺が行く度にその呼び名を思い出して、あまり刺激しては
悪いだろうと思った。
……だがそれは表向きの言い訳でしかない。
表ではそんな事を言っていながら、裏ではただ単に、教授の事を
思い出しているだろうソウの姿を見る勇気が無かっただけだ。
ソウに対する気持ちを隠し通すと決めた時から、ソウが他の誰かを
愛する姿を、横で黙ってみている決意をしていたつもりだったのに。
ソウの為なら何でもやってやりたいと思う気持ちは決して嘘では
ないのに、その反面で嫉妬でおかしくなりそうな自分がいた。

もちろんソウの経過はシュウから逐一聞いていた。
退院後、大学を移籍して違う所に通い始めた事も聞いていたし、
カウンセリングに通ってはいたが、やはり声がまだ戻らない事も
聞いていた。
仕事の方は大学を卒業するまで一旦休止する事に決めたらしく、
職場で顔を合わす事も無かった。


ソウと久々に会ったのは事件から4ヵ月後、事件を知らされた
あの日以降、一度も訪れていなかったシュウの宿に遊びに
行った時だった。
俺達が酒を酌み交わしていた離れに、何の前触れも無く
ふらっと訪れたソウを兄のシュウは当然温かく受け入れたし、
俺もそうしたつもり。
そして3人で何事も無かったかのように酒を飲む。
声の出ないソウはもちろん無言のまま俺とシュウの会話を
聞いていたが、シュウが俺を『コウ』と呼ぶ度に、やはりピクッと
小さく反応するソウの姿を、俺はひしひしと感じていた。

傷痕も大分小さくなったし、見た目も元気そうだったので
少し安心していた俺だったが、でもやはり俺達が爆笑しながら
話している時でさえ、全く表情を変える事はなかった。
ソウの傷の深さとソウをそこまでさせた教授の存在の大きさを
痛いほど感じさせられ、それ以上ソウの姿を見ている事が
辛くなってきた。

一升瓶を空にし終わった時、『眠くなっちまった』と俺が告げると
『じゃあ今日は休みましょう』とシュウが言い、本館に戻って行く。
ソウもシュウと一緒に離れを出て行ったので、俺は全ての電気を
消してから、敷いてあった布団に包まった。

窓という窓を全て締め切り、布団の中から目だけを出して
雪見障子のガラス越しに月明かりで照らされた庭を眺めた。
以前ここに来た時に聞こえていた気の早い蝉の鳴き声は
聞こえず、そろそろ秋の虫が鳴き始めている。

虫の声に耳を傾けながら酒の助けもあってウトウトし始めた時、
鍵をかけていなかった離れの引き戸が、スッという静かな音と
共に開けられる気配がした。
シュウかソウが何か忘れ物でもしたのだろうかと上半身だけ
起き上がった俺は、薄暗い闇の中を俺を見詰めながら静かに
近付いてくるソウの姿を見付ける。

だが一見俺に向けられているように見えるその眼差しは、俺を
通り越した先にいる誰かを見ていた。

ソウがどんどん俺に近付き、頬を撫でながら目の前に顔を
近付けて来る。
頬に触れた手の熱さに捕らえられたように、身動き一つ出来ないまま
ソウを見詰め返していた時、声を発さないその唇が、確かに『コウ』と
動いた。
だが俺を見ていないその瞳を見て、それが俺と同じ『コウ』という
呼び名を持つ、キリシマコウスケ教授に向けられたものなのだと
即座に思った。


いきなり激しいキスをしてきて貪るように俺の体を抱きながら、
俺を通り越した先にいる人物を、何度も『コウ』と声にならない声で
呼び続けるソウ。
涙を流しながら何度も俺を貫き、震えながら俺を抱き締め続けるソウ。


男に抱かれるのが初めてだった上に、自分の愛している奴が
誰かの身代わりとして俺を抱くという行為が、俺の心も体も
ズタズタに切り裂いていく。
俺は『コウスケ』ではなく『コウイチ』なのだと、何度も心の中で
叫び声をあげた。

けれど情欲に濡れたその瞳と全身で感じる熱い手と舌の感触、
この身に受けるソウの熱い(ほとばし)りを感じ、自分の思いを一生胸に
秘めておこうとうそぶきながらも、心のどこか奥底でソウの手を
求め続けていた俺には、身代わりだとわかっていながらも
その体を跳ね除ける事が出来ず、ただただ無言でソウに翻弄され
続けた。


翌朝起きると既にソウの姿はなく、シュウに疑われないよう
痛む腰に鞭打って平然とした態度をしながら本館へ行くと

『大学に行く用事を思い出したから先に帰る』

というソウの手紙が置かれていた。
奥から出てきたシュウはその手紙を黙って読んだ後、複雑な
表情をしながら何かを言いかけたが、結局それを言葉にする事は
なく口を閉じた。
その様子を見て、シュウは昨晩俺とソウの間に起きた事に
気がついたのかもしれないと思った。
だが、今その事で何かを聞かれても、俺は返す答えを
持ち合わせてはいなかった。
シュウは元々勘が鋭い上に長年の付き合いなのだし、俺やソウの
ちょっとした変化も見逃さない。
だがその分相手の気持ちや状況を考えて、口を開く時とそうしない
時を見極めている。
だからこそ見て見ぬフリをしてくれたのだろう。
そんな親友の存在を、俺は心底ありがたく思った。



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