「ハシモト君と話がしたいんだけど。」

マスク越しのくぐもった声で、部室に入って来た先輩が口を開く。
この部室にいる誰もが、僕とヨシナガ先輩の間に起きた事を
知っている。
ツカサが僕を隠すようにすっと僕の前に立った。
ツカサと一緒にいれる事で不安感は全て消えていたんだけど、
それでもやっぱり先輩の顔を見た瞬間、あの怖かった場面が
目の前によみがえって来る。
だけど、僕が先輩に怪我をさせたのは事実。
それだけはずっと謝りたいと思ってた。
両手で目の前のスカジャンをギュッと握り、ツカサの背中に
額をつけて何回か深呼吸をする。
そして沢山安心感をもらい、そのままツカサの背中から顔だけ
出した。

「……ヨシナガ先輩。
　怪我をさせてしまって本当に本当にごめんなさい。
　それから、口裏を合わせてくれてありがとうございました。」

先輩は驚いた様に目を見開き、そして両脇でギュッと拳を
握りながら僕に頭を下げる。

「……本当に悪い事をした。
　あの時は頭がどうかしてたんだ。
　ハシモト君が好きで好きで堪らなかった。
　何故僕を選んでくれないのかと、腹立たしくてしょうがなかった。
　どうしてもハシモト君を手に入れたかった。
　本当にごめん……」

先輩は拳を震わせながら涙を零した。
それを見た僕はもう一度ツカサの背中に額をつけ、深呼吸してから
スカジャンを離し、ゆっくり一歩ずつ先輩に近付く。
周りのみんなもツカサも心配そうに見ているのはわかったんだけど、
僕も先輩もあの事件を乗り越える為に、これは僕がやらなければ
いけない事だと思った。
そして先輩の震えている右手の拳を持ち上げ、手を開かせて
しっかり先輩と目を合わせながら握手をする。

「僕をそこまで好きになってくれて本当にありがとうございました。
　でも、僕には好きな人がいます。
　だから先輩の気持ちに応えられなくてごめんなさい。
　いつか先輩にふさわしい人が現われてくれる事を祈ってます。」

前の僕だったら、きっと自分がやった事を棚にあげて
先輩を許すなんて出来なかったかもしれない。
だけど今は人を好きになるとどういう気持ちになるか、少しは
理解出来るようになったと思ってる。
ツカサが他の人を好きだったとしたら、僕だってどんな手を
使ってでも振り向いて欲しいと思ったと思うから。

先輩は決して遊びであんな事をした訳じゃない。
本気で僕を好きになってくれて、きっとどうしたらいいのか
わからなかったんだと思う。
だからこれで全部水に流そう。
僕にはツカサもヒビキもカナデもサトルも先生もいる。
他にも僕を大切に思ってくれている人達が沢山いる。
先輩にもいつかそういう人達が現れてほしいと心から思った。

その後先輩は『本当にありがとう』と言って手を握り返し、
もう一度僕に頭を下げて部室から出て行った。
それを見送ってふぅ〜と息を吐いたところで、後ろからふわっと
抱き締められ、頭のてっぺんにキスをされる。
前にまわされた腕をギュッと掴み、そのまま全身の力が抜けた
ようにツカサの胸にもたれた。
するとサトルがヒュ〜！と口笛を吹いて笑いながら口を開く。

「カッコ良かったぜ〜、シノブ！」

「そうそう、最高だったよ。」

カナデも笑いながら言うので、思わず照れて赤くなってしまった。
そんな僕を見てヒビキが笑いながら

「よく頑張ったな」

と褒めてくれる。

「みんながいてくれたから。
　本当にいつもありがと。」

僕もそれに笑い返しながら答えた。

****************

それから焼きそばとかたこ焼きとかを買って、控え室になっている
うちの教室に戻り、5人で色々喋りながらお昼を食べた。
その時カナデがツカサに

「ミナセは高卒認定試験を受けるんだって？」

と尋ねる。
そうなんだよね〜。
お母さんが働けなくなって学園を辞めるつもりだった時から、
それは決めていた事なんだって。
だから今は毎日夜ご飯を食べ終わってから一緒に勉強している。
僕がその日学校の授業で受けてきた事をツカサに伝えて、僕が
わからない所をツカサが教えてくれる。
僕も今まで以上に真剣に授業を受けるようになったし、ツカサも
1人で勉強するよりも心強いと言ってくれて、お互いにとてもいい
形で勉強が進んでいた。
だから、やっぱりツカサはすごいな〜ってつくづく思ってそれを
みんなに話してたんだ。

ツカサが少し驚きながら『何で知ってるんだ？』とカナデに
聞き返して、それを聞くなりサトルが苦笑しながら口を開く。

「悪いけど俺達はミナセについてえらい詳しくなったぜ？
　何てったって口を開けば『ツカサがね〜』しか喋らない
　乙女が１人いるからさ〜。」

サトルの台詞でツカサが目を丸くしながら隣の僕に視線を
向けてくる。
危うく口に入っていたたこ焼きを吹き出しそうになって
必死でお茶と一緒に流し込んだ後、真っ赤になりながら
ガタンと音をさせて立ち上がった。

「ちょっとサトルっ！
　僕はおおおお乙女なんかじゃないもんっ！
　僕はれっきとした男なんだからねっ！！」

するとサトルが机に肘を突いてニヤニヤしながら僕を見上げた。

「そうか〜？
　やっとお子ちゃまを卒業したかと思えば
　『ツカサはね〜、優しくてね〜、カッコよくてね〜』って、
　ミナセの話しかしない乙女になっちまったと俺達は
　思ってたけどな〜？」

「ツカサの話をして何が悪いのっ？！
　好きな人の話ぐらいしたっていいでしょっ？！
　自慢の恋人なんだからっ！！
　それに本当にツカサは優しいしっカッコいいしっ
　それにっ……」

「ちょっとちょっとシノブ。
　自分がどんな台詞を大声で叫んでいるのかわかってる？」

夢中で言い返していた台詞を途中でカナデにさえぎられ、
ふと我に返るとサトルとヒビキは爆笑しているし、隣を見ると
ツカサが両手で頭を抱えていた。
僕達以外で教室にいた人達も、みんな驚いた様に立ち上がって
いる僕を見ている。
そして自分の台詞を振り返り……ボンッと顔に火が点いた。
……またやっちゃった……

「……サ、サ、サトルのばか〜〜〜っ！！」

そのまま一目散に教室から走り出て、ダーーーーっと一番近くに
あるトイレの個室に駆け込んだ。
そして便器の蓋に座って両手で真っ赤な顔を隠す。

恥ずかしいーーーっ！！
もう教室になんて戻れないよ〜〜〜っ！！

コンコン……
扉をノックされ、それと同時に『シノブ』というツカサの声が
聞こえた。

どうしよう。
ツカサにも恥ずかしい思いをさせちゃった……

僕が鍵をあけるのを躊躇っていると、またノックの音がして
『シノブ』と呼ばれる。
渋々鍵をあけるとツカサが中に入って来てそのまま鍵をしめる。
座ったままおずおずとツカサを見上げると、小さく溜息を
吐きながら笑い、僕の頭をクシャッと撫でた。

「……ご、ごめんね……？」

赤くなったまま謝ると脇の下に両手を入れて持ち上げられ、便器の
上に立たされる。
そして僕より目線が下になったツカサが腰に手を回してきたので、
僕も首に手をまわした。

「オオトモがからかいすぎて悪かったって。
　シノブが俺の話をしてくれるのは嬉しいから気にするな。」

と小さく笑いながら言ってくれる。
その言葉が嬉しくて首に抱きつくと、そのまま抱っこしてくれた。
やっぱりツカサって優しい、と懲りずに思ってしまう僕。
でもいいんだもん。
これが僕なんだし、ツカサは本当に優しいんだから。

腕を緩めて少し顔を離すと『少しは落ち着いたか？』と聞いて来る。
それに『ん』と小さく頷いて、もう一度首に抱きついた。