10月21日金曜日


あの事件から2週間が経った。
ツカサ君と最後に会ってから2週間。
ツカサ君の温もりに、最後に触れてから2週間……

あれから僕はほとんど眠れない日々を過ごしていた。
こんな風になってから、いつの間にか自分がどれだけ
ツカサ君の存在に頼っていたのか実感する。
だけどお礼を言いたくても、謝りたくても、好きだった
事を伝えたくても、もうツカサ君はいない……

怒りに我を忘れると、自分が何をしてしまうのか
わからないという自分に対する不安。
ヒビキとカナデとサトルと先生はなんともないのに、
それ以外の人に触れられると恐怖で体が竦む。
みんなの視線が怖い……

色んな事に対する不安や恐怖が、ただ一緒にいるだけで
消えていくような気がしていた温かいツカサ君の存在を
失ってから、心細くてしょうがなかった。
だから部活なんて全く参加できず、あんなに大好き
だった空手がいつまでも出来る状態ではなかった。

でも、そもそも僕とツカサ君は別に恋人同士だったわけでも
なんでもない。
いうなれば昼休みを一緒に過ごしただけのクラスメイト。
僕が勝手に片想いをして、勝手に迷惑をかけて、挙句の果てに
残り短かったツカサ君の学園生活さえも奪ってしまった。
優しいツカサ君はいつも小さく笑って屋上で僕を迎え入れて
くれたけど、実はお昼寝の邪魔をしていた僕が迷惑だったかも
しれない。
不思議な関係が出来ていたと思っていたのは、単なる僕の
独りよがりだったのかもしれない……


学校ではツカサ君が辞めた理由について、あちこちで勝手な
噂が流れていた。
やっぱりただの喧嘩好きだったんだとか、無抵抗の相手に
次々と暴力を振るったとか。

みんな何も知らないで……
ツカサ君が、どれだけ優しくてどれだけ安心させてくれる
人なのかも知らないで……

噂が聞こえて来る度に、両手で耳を押さえて下唇を噛み締める。
だけど、そんな僕自身の事がその噂の中に入って来る事はなかった。
ツカサ君が言っていた、嫌な噂を立てられる事は全くなかった。
僕の噂は、最近元気が無くて部活を休んでいる事ぐらいなもの。
ツカサ君が守ってくれたから……

独りよがりだったのかも、とか、でもツカサ君は僕を守るって
言ってくれたんだからそんなに嫌われてなかったはず、とか、
頭の中がずっとぐちゃぐちゃで、その上にツカサ君に対する
申し訳なさや目を瞑る度にあの気持ち悪さがよみがえって来る。
……そんな混沌とした頭の中でツカサ君を思い出し、恥ずかしさの
あまりいつも目を逸らしてしまった、あの透明な瞳だけが僕を
現実に引き戻してくれた。


今は放課後。
学祭の準備も終わり、僕はヒビキに連れられてC組に来ている。
学祭までの1週間はどの部活も休みになる為、またいつもの様に
C組に来たんだけど、僕達以外に誰もいない教室の中、僕はカナデと
サトルが喋っているのをただ黙って聞いていた。
あれ以来ご飯もあまり食べなくなり、ほとんど喋る事も無くなり、
かと言って泣く事も出来なくなってしまった僕を、みんなが心配して
くれているのはすごく良くわかってる。
でも、自分でもどうしたらいいのかわからなかった。

「やっぱりいたか」

と苦笑しながらヨドカワ先生が入ってくる。
そしてそのまま真っ直ぐ僕の目の前に来た。
どうしたのだろうと思って先生の方を見上げると、

「ハシモト、手を出せ。」

と、突然先生に言われる。
何だかわからないけど『こう?』と言いながら右手を先生の方に
差し出すと、掌に何かを握らされる。
一度手を開いて見てみると、それは銀色の鍵だった。
ヒビキとカナデとサトルも僕の手を覗き込んでいる。

「これ、何?」

首を傾げて先生に聞くと、静かに口を開いて答える。

「あの屋上の鍵だ。
 誰も見ていないから、泣こうがわめこうが自由にすればいい。
 何かあれば俺が責任を取るから。
 だからもう一度あの場所を訪れて、ミナセが何故ハシモトを
 守ろうと思ったのか、しっかり考えて来い。
 そして自分がどうするべきか結論を出して来い。」

「……で、でも……」

ツカサ君が引っ越した事を知った日以来、僕は一度も屋上に
行っていない。
またあそこを訪れるのは嫌だった。
あの事件を思い出して怖いというのもあったし、あの場所にも
ツカサ君がいないという現実を突きつけられるのが嫌だった。
するとカナデが口を開く。

「シノブ、現実と向かい合うにはすごく勇気が必要だけど、
 でもそこを通らなければ次には進めないんだよ。
 俺達もみんなその道を通って来ている。
 だから行っておいで。」

「そうだぞ〜、シノブ。
 地の底に穴掘ってるなんてシノブらしくないぞ?
 結果を恐れず、自分よりずっとでかいヤツにだって果敢に
 挑んでいくのがシノブの戦い方だろ?
 しっかり戦える自分を取り戻して来いよ。」

サトルも言う。
そしてヒビキはポンポンと僕の頭を優しく叩いた。

「俺達はいつでもシノブを守っているから。」

みんなの一つ一つの言葉が身にしみてくる。

……いつまでもこのまま立ち止まってちゃいけない。
こんなに大切にみんなから守ってもらってるんだから、
先生から言われた通りちゃんと頭を整理して、次に何を
するべきか考えて来よう。

「……みんな、ありがと。僕、行ってくるね。」

みんなに頭を下げ、先生から借りた銀色の鍵を握り締めて、
僕はひたすら屋上に向かって駆け出した。