10月11日火曜日


連休があけた今日の朝のHRで、ミナセツカサは自主退学した、と
突然ミウラ先生が発表した。

一瞬どよめく教室の中、何の事だかわからずにヒビキと目を
見合わせる。
でもミウラ先生は理由について何も言わず、そのまま次の
連絡事項に移ってしまった。

……嘘?
2週間の停学じゃなかったの?
『自主』退学ってどういう事?


HRが終わると同時に教室を走り出てC組に向かった。
丁度C組の教室から出てきたヨドカワ先生に

「先生っ!ちょっとっ!」

と腕を掴んで人影のまばらな階段の所まで引っ張った。


「先生、ツカサ君はどうなっちゃったのっ?!
 自主退学ってどういう事っ?!」

するとヨドカワ先生は

「俺も朝の職員会議で突然聞かされたんだ。
 土曜日にミナセが校長の所に話しに行ったらしい。
 詳しい事はまだ何もわからない。
 何かあれば教えるから、放課後英語準備室に来い。」

と言って、一度僕の頭をポンと叩いた後階段を下りて行った。

ツカサ君、なんで……


****************


昼休み。

あれだけ毎日通っていた日々が嘘じゃなかったと確認したくて、
購買にも寄らずに屋上を目指す。
だけどやっぱり鍵が真新しいモノに変えられていて、何を
しようが鉄の扉はビクともしてくれなかった。
だからそのまま扉の前に膝を抱えて座り込み、用具室のドアに
視線を向ける。

ここに来るのが怖くなかったと言えば嘘になる。
家に帰って鏡を見た瞬間に、先生が詰め襟をしっかり閉じろと
言った意味が十二分に理解出来た。
僕の首にはピンク色の痣のようなものがいくつも散っていて、
それがヨシナガ先輩に吸い付かれた痕だとすぐにわかったから。
泣きながら、皮膚が擦り切れるぐらいゴシゴシと体を洗った。

やっぱり夜は眠れなかった。
学校にいた時は興奮状態だったから自分でも気が付かなかった
んだけど、目を瞑ると先輩のあの気持ち悪い感触が蘇って来る。
小さい頃にお母さんを亡くし、父子家庭の僕のうちではお父さんが
出張がちでほとんどいない。
だから夜になると独りで居間の電気を点けたままソファに座り、
先生が教えてくれたホットミルクを飲み続けた。

だけどそれでもここに来たかった。
ツカサ君がこの学校で過ごしたのは、本当に僅かの間だけ。
その上自分からクラスに溶け込もうとはしていなかった。
なのにその短期間でクラスメイトだけじゃなく、他のクラスや
他の学年の人にまで名前を知られるようになっていた。
そんな、ただでさえ存在感のあるツカサ君に一番強烈な印象を
与えられたのは、多分僕。
ツカサ君と一緒にここで過ごしたあの時間を、なかった事には
出来ない。
僕の恐怖や不安をあっという間に消してくれたあの大きな存在が、
実際にここにいてくれたのは嘘じゃない。
だからそれを確認したくてここに来た。


抱え込んだ膝に自分の額をのせる。
お互い膝枕をしあいながら、ここで穏やかに過ごしていたあの
不思議な時間が、こんな風にいきなり何もかも消え失せて
しまうなんて。
ツカサ君が学校に帰って来たら、今度こそ勇気を出して
『好き』って言おうと思ってたのに……


****************


放課後。

学祭の準備を終えた後、ヒビキと一緒に英語準備室に向かう。
朝の時点で、少しの間体調不良で部活を休むと顧問の先生に
伝えてあった。
表面的には僕はあの件に関係ない事になってるけど、空手を
暴力に使ってしまった罪悪感は僕自身が一番感じている。
だから自分なりに反省する期間が必要だと思ったし、それに
怒りに我を忘れた自分が何をしてしまうかわからないという
不安が付き纏っていて、どうしても空手に真っ直ぐ向かえる
気持ちにはなれなかった。
ツカサ君と一緒にいた時は、どんな不安もいつの間にか消えて
しまったのに。

ヒビキは『放課後ヨドカワ先生の所に行く』と僕が伝えた直後、
用事があるから部活を休むと伝えたらしい。
僕の為だとすぐにわかったから、いつもありがと、と素直に
お礼を言った。


英語準備室にはカナデとサトルもいた。
さすがにツカサ君が学校を辞めた事はあちこちで噂になっているので、
二人もそれを知って来たんだと思う。
先生は誰かと電話で話をしていて、カナデとサトルはソファで向かい
合わせに座っていた。
なのでヒビキはカナデの隣に、僕はサトルの隣に座る。
丁度その時先生の電話が終わった。

「……ミナセは連休中に引っ越してしまったそうだ。」

「「えっ?!」」

僕とカナデの声が重なる。
ヒビキとサトルも驚いた様に先生を見ていた。
先生は自分の机の上に置いてあるコーヒーを一口飲んだ後
こちらを振り向いて話を続ける。

「まずミナセがこの学園に来たのは、両親が離婚をして、仕事を
 する為にこっちに引っ越して来る母親に付いて来たからだった。
 でも慣れない仕事と離婚によるストレスの為に、元々体の
 弱かった母親がすぐに体を壊して仕事が出来なくなった。
 取りあえずは貯金と時々学校を休んでやっているバイトで
 食い繋いではいるが、そんなのはいくらももたない。
 だからどちらにしろ今月一杯で退学するつもりだったらしい。」

一瞬息を飲んだ。
でもそれを聞けばツカサ君がクラスに馴染もうとしなかったのも
わかるような気がする。
慣れてしまえばその分みんなとの別れが辛くなるから。
でも……

「ミナセの学力なら学費に関しては奨学金で賄えるだろうと
 校長が説得したんだが、母親の実家がある他県に行って
 母親の面倒を見て貰わなければならないし、実家も既に
 年金生活で大変だから、せめて自分の生活費位は自分で
 稼がなければいけないから、と。
 だから丁度今回の件もあったし、退学を早める事にした
 そうだ。」

みんな一斉に溜息を吐いた。
家庭には人それぞれ色んな事情がある。
ヒビキとカナデの両親も以前は一度離婚していたし、サトルの
家も母子家庭だし、僕の家は父子家庭だ。
まだ高校生の僕らにはどうにも出来ない事情も沢山ある。
それはわかる。
だから、それはしょうがない。
……だけど……

「……ううっ……」

ソファに座ったまま、自分の膝に突っ伏して僕は泣いた。

僕なんかがツカサ君を好きになって、あんなに毎日屋上に通って
しまった為に、ツカサ君に迷惑をかけてしまった。
僕なんかがツカサ君を好きにならなければ、ツカサ君はもう少し
長く学生生活を送れたのに……

ツカサ君、本当に本当にごめんなさい……