僕と響は一旦部室で道着に着替えてから階段に向かう。
すると1階と2階の間にある踊り場に剣道衣に着替えた田町君がいたので、『行って来い』　と言って階段の下で待っててくれる響に、うん、と頷き返し、階段を駆け上った。

「お待たせ！
　それで僕に聞きたい事って？」

田町君は　『来てくれてありがとう』　と笑ってから袴をさばいて2階に続く階段に座り、僕にも座るよう手招きをして促した。
なので言われるまま僕が座ったところで口を開いた。

「忍ちゃんが皆瀬君と別れたって噂、本当？」

思ってもみなかった質問に、一瞬ポカンとしてしまった。

「え？え？そんな噂があるの？
　でも僕は司と別れてないよ？」

「皆瀬君が先々週の土曜、すごく綺麗で年上らしい
　女性と仲が良さそうに歩いている姿を見たっていう
　話があるんだけど。」

先々週の土曜って……

「それって人違いだと思う。
　だって司は昼間は仕事だったし、夜は僕の家で一緒に
　勉強してたもん。」

僕の答えに　『そうなんだ？』　と返して来た田町君は、それでも　『ん〜』　と首を傾げている。

「俺達の間でも人違いじゃないかって話も出ているんだけど、
　それを見た本人達が、あれだけ目立つ皆瀬君を見間違える
　筈がないと言い張っててね。」

確かに司はすごく目立つし、そうそう見間違える事はないと思う。
だけどそれとこれとは別。
司は絶対僕を裏切ったりしない。
だからそれを言おうと口を開きかけた時。

「それに先週の土曜にも、大人っぽい女性と腕を組んで公園の
　ベンチに座っていたのを見たっていう人がいたんだ。
　だから忍ちゃんと皆瀬君は別れたんじゃないかって本格的な
　噂になってね。
　このまま放っておくと収拾つかなくなりそうだったからそれを
　確かめたかったんだけど、忍ちゃんが別れていないって言う
　ならそれでいいんだ。
　じゃあその噂は嘘だって俺からみんなに伝えておくよ。
　嫌な思いをさせたならごめんね。」

「う、ううん、大丈夫。」

すごく申し訳なさそうに言われたので、こちらの方が何だか申し訳なくなってしまってブンブン首を横に振って答える。

「じゃあ部活に戻るよ。
　わざわざありがとう。
　俺達は陰ながらいつでも忍ちゃんを応援してるからね。」

「あ、ありがと……」

田町君はそのまま階段を下りて行った。
たけど僕は頭の中がぐるぐるしていて立ち上がることが出来ず、そのままその場で膝を抱える。

司が僕を裏切る筈は絶対ないって信じているのに、ここ一ヶ月ぐらい、土曜になると感じる違和感を思い出してしまった。

まず土曜が仕事になった最初の週。
あの日早めに部活が終わった僕は、司の家で帰りを待ってた。
司が一日仕事になる時は、それがいつものパターンなんだ。
だからいつも通り、おかえり〜！と出迎えたんだけど、同じくいつも通り、ただいま、と小さく笑ってくれた司の何かが違う。
何が違うんだろうとよくよく見ると、頭が違うんだ。
仕事中はヘルメットを被るので、司は普段必ず頭にタオルを巻いているんだけど、それがなかった上にちゃんとセットもされていた。
あれ？と思っている僕に、仕事先で髪を弄られたから、と苦笑してたけど。

先々週もそうだった。
また髪を弄られたの？と笑いながら聞いた僕に、司は少しだけ迷った様子を見せてから黙って頷いてた。
その日は練習試合だったので疲れていた事もあって、何で迷っていたのかなんて全然気にしてなかったし、司も疲れているんだろうって単純に思ってた。

それから女の人と腕を組んでたのを見たっていう先週。
その日も前週に引き続き練習試合があったんだけど、響は団体組手だけに出場する事にしていたので、おかげで個人戦に勝ち抜けた事を早く知らせたくてソワソワとしていた。
でも司の帰りが遅かったので、待ちわびていた僕は玄関の戸が開くなり　『待ってたよ〜！』　と抱きついたんだ。
司は　『遅くなってごめんな』　と言いながらちゃんと抱き止めてくれたんだけど、でも頭はやっぱりタオルを巻かずにセットもされていた上、仕事着で通勤している筈が私服だった。
それに司から嗅ぎ慣れない甘い匂いがほわんと漂ったんだ。
何の香りだろうと司の胸に顔を埋めたままでいると、珍しく少し焦ったように、シャワーを浴びて来るから、と僕の体を離した。
私服だったのは、鉄筋に引っ掛けて裂けた仕事着を、社長の奥さんが直してくれるから着替えて来たって言ってたけど……

踊り場の窓からは暮れかけのオレンジ色をした空が見えていて、その色がすごく不気味に襲い掛かって来るように見える。
何だかすごく不安になって、抱えた膝に顔を埋めた。

今振り返ると、あの甘い匂いは女の人のだったのかな？
明日も仕事って言ってたけど、女の人に会う為じゃないよね？
違うよね？
司……違うよね……？