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【……I understand, I should not be with you……】
(……わかってる、僕は君と一緒にいちゃいけないって……)


ここまで聞こえて来る歌に耳をそばだてつつ、稼いだバイト代で最近買い換えた新しいスニーカーを履いて振り向くと、玄関の段差のせいで雅史の視点が俺と同じ位になっている。
今ではすっかり見慣れたこの視点。
5cmほどの微妙な身長差がある俺達がこの視点になるのは、学校や雅史の家を含めても、まさにこの場所だけ。

「じゃあ明日学校でな、淀川先生」

「……あぁ明日な、大友」

俺がこの家から出る時、俺達は必ず 『淀川先生』 と 『大友』 と呼び合う習慣を作っていた。
また1週間教師と生徒としての学校生活に戻る、俺達なりのケジメだから。


【……But…I feel so cold, and I keep crying……】
(……でも…すごく寒いんだよ、僕はずっと泣いているんだよ……)


黙って俺を見ながら、独り、じっとたたずんでいる雅史に背を向け、ドアに向かって一歩ずつ歩き始めた。

土曜になれば俺はまたここに来て、淀川先生ではなく俺の雅史と二人で一緒に時を過ごせる。
そこまで待たなくても、一晩明ければいくらだって学校で顔を見れるんだし言葉を交わす事だって出来る……

カチャンと鍵をあけてレバーハンドル型の冷たいドアノブを掴み、それをガチャッと下げながらドアを押し開ける。
そしてゆっくりと30cmほど開いた所で、今まで一度も聞き取る事の出来なかった最後の歌詞が、鮮明に耳に飛び込んできた。


【……So please, embrace me strongly……】
(……だからお願い、僕を強く抱き締めて……)


バタンっ!

気付いた時にはドアノブから手を離し、振り向きざまに雅史に駆け寄って、強引に腕を掴んで引き寄せながら強く抱き締めていた。
裸足のまま無理やり三和土に引き入れられた雅史は驚いて固まっているし、俺だって何故こんな事をしているのか自分でもわからない。
だが、雅史がこの歌に自分を重ねていたのだという事が、最後の歌詞を聞き取れた瞬間にようやくわかった。

それがわかった途端に、あんなに非道な仕打ちを受けながらも、この歌を聴きながらずっと俺を思っていてくれた当時の雅史の苦しさが全身に突き刺さってくるようで、どうしても今すぐ抱き締めてやらずにはいられなかった。

「……もう寒くないだろ…っ?
 ……抱き締めてるから大丈夫だろっ……?」

雅史に言い聞かせている筈が何故だか俺の方が泣きそうで、それを誤魔化すように柔らかい雅史の髪に顔を埋めながら、抱き心地のいい薄い体を更に強く抱き締める。

ごめん……こんな俺で……

雅史は俺がこの歌の意味に気付いたとすぐにわかったようで、微かに腕の中で震えながらうんうんと頷き、静かに抱き締め返して来た。

「……もう…大丈夫……
 暁がいるから…寒くない……」

何度も何度も髪に口付けながら、やっぱ俺ってどこまでも鈍感なんだ、とつくづく自分が嫌になる。
雅史はきっともっと早く気付いて抱き締めてほしかったんだろうに……


静かに腕を解くと、まだ当時の思いから抜け出せないのだろう雅史が、目に涙をいっぱいに溜めながら俺の右腕に残る傷痕を服の上からそっとなぞってくる。
雅史の手首に傷がない事を確認するのがクセになっている俺と同様、雅史はこれに触れる事がすっかりクセになっていた。
俺自身が忘れているんだからお前も忘れろよ、と今まで繰り返し言い聞かせて来たが、雅史がいまだに負い目に感じていることはわかっている。

「……お前がどうしても忘れられないって言うなら
 俺はもう忘れろとは言わない。
 だけどな、それならついでにこれも一緒に覚えとけ。
 俺はこの傷を負ったおかげで随分と救われてるし、
 逆にありがたいと思ってるってな。」

はじかれたように顔を上げ、涙を溜めたまま目を見開いて俺を見詰め返して来た雅史を、多少なりとも安心させてやれるようにニッと笑って見せてやる。

「お前もいまだに色んな事を負い目に思っているのかも
 しれないが、俺だって自分がガキで鈍いせいで、お前に
 ずっと独りで辛い思いをさせているという負い目がある。
 それを多少はフォロー出来たし少しは雅史に追いつけた
 かなって。
 だから少し位情状酌量を求めても罰は当たらないだろ?
 それに傷痕の一つや二つあった方が、更に男前が
 上がるしな〜」

次の瞬間、雅史はキツク唇を噛み締めて顔を歪めながらポロポロと涙を零す。
それを羽織っているシャツの袖で拭ってやったものの、それでも止まらないとわかって、今度はそっと抱き寄せて後ろ頭を撫でながら肩に顔を埋めさせた。

「……暁っ……サト…ル…っ……」

雅史はしがみ付くように俺を抱き締め返してくる。
必死で声を押し殺しながらも時々耐え切れないように俺の名を呼ぶ雅史が、苦しいほどに愛しかった。

辛かろうが悲しかろうが、それでもずっと独りでそれに耐えてこの歌を聴きながら俺を思っていてくれた雅史。
憎まれ口ばかりききながらも、それでもこの歌を聴いて今の幸福に感謝していたいと言った雅史。

鈍感な上に至らない点の多い、年下のガキであるこんな俺のどこがいいんだかはいまだに良くわからないが、俺はその時それぞれの俺に出来る精一杯で雅史の思いに応えていきたい。


俺は今でも普通にオンナが好きだと思う。
男をそういう対象として見る事も全く出来ないし、雅史以外の男を抱く気になんて決してなれないし、その逆なら尚更だ。
雅史以外の男を相手にすると思うだけで勃つモノも勃たなくなる。
好きだと思ってくれているからそれに応えなければいけない、とか、そういう理由で男を抱けるほど俺は器用じゃなかった。
だから俺はホモになったんじゃない。

雅史だけが特別なんだ。

男だし年上だし担任だし、口を開けば憎まれ口ばかりだしすぐ逆ギレするし手はかかるし。
自分でも何故コイツなんだろうと思う。
それなのにその雅史だけが俺にとって誰よりも特別で大事で、男だろうがオンナだろうが関係なく、雅史以外誰一人目に入らないほどに夢中だ。
たった十数年しか生きていなくたって、ここまで好きになれる奴なんかそうそういない事ぐらいはわかる。


未来なんか誰にもわからない。

雅史が時々口にする台詞で、俺もまったくその通りだと思う。
ついさっき家に帰ろうとしていた俺が、数分後の今こうやって雅史を抱き締めていると誰が予想出来ただろう。
だからこそどんな瞬間もこの腕を解かないでいようと思う。
実質的に抱き締めてやるのが無理な時間は当然多いが、それでも心だけは解きたくない。

雅史が苦しい中でも俺を思っていてくれたその気持ちを後悔しないよう、今よりもずっといい男に成長して応えていきたいと、いつだって心から願い続けていた。