日曜の夕方。
俺は雅史の家のソファに座り、膝に乗せたバイクの雑誌をパラパラとめくっている。
その俺の隣では、肩が触れるか触れないかの距離で座っている雅史が、俺には何が書いてあるのかさっぱりわからない英語の本を先程から読み耽っていた。
部屋の中には雅史が好きだという、一昔前の洋楽のCDが流れている。
いつものように憎まれ口の叩き合いをする訳でもなく、特に何かを話す事もなく、二人で静かに過ごす、緩やかな流れのこんな時間が俺は結構好きだったりする。
チラッと自分の腕時計に視線を走らせるともうすぐ6時、そろそろ帰る時刻が迫っていた。
俺は土曜のバイトが終わると、皆瀬の家に集まったりする時以外は大抵真っ直ぐチャリでここに泊まりに来て、日曜の夕方6時頃には自分の家に帰るという生活をほぼ毎週のように続けていた。
日曜の夜7時までには家に帰るというのが、この生活を黙認してくれる母親との約束だったから。
初めの頃母親には 『ダチの家に泊まる』 と言っていたが、それが嘘だという事は何故かすぐにバレた。
だが少し勘違いしているらしく、『暁を信じているけれど、くれぐれも彼女の体を大切にしてあげなさいね』 と毎度のごとく念をおされている。
その後の口ぶりを聞いても、どうやら俺に、年上で一人暮らしをしている彼女がいると思っているらしい。
年上で一人暮らしまでは当たっているが、相手が男だから子供が出来る心配はない、とは口が裂けても言えないので、その度に 『わかってる』 と答えて聞き流しているが。
別に雅史との関係を恥ずかしいと思っている訳ではないし、これからも付き合って行く以上、いつかは母親に俺の恋人が淀川先生だと言わなければならない日が来るだろう。
それでも女手一つで苦労しながら俺を育ててくれている母親に、独り立ちする前の今はまだ余計な心配をかけるような話をしたくはなかった。
理解が無い親ではないが、それでもあの双子の母の真澄さんのようにはいかないから、一人息子がホモになったと知ればやはりショックだろう。
【……every your smile, every night you stay……】
(……君の笑顔、君がいる夜……)
いつもの歌が始まった所で、雑誌をめくるフリをしながら歌に耳をそばだててチラリと隣を覗き見る。
この歌が始まると、雅史は必ずと言っていいほど動きを止めて一人の世界に入り込むから。
するとやはり夢中で本を読み耽っていた筈の雅史がふいに顔を上げて、窓際に置いてあるコップに視線を移しながらそれを黙って眺め始めた。
雅史の視線の先にあるコップには半分ほど水が入れてあり、俺が昨日バイト帰りに通った公園で、たまたま見つけた四葉のクローバーが浮かべられている。
昨夜 『ここに来る前に見つけるなんて縁起いいだろ〜?』 と笑ってそれを手渡した俺に、『縁起悪いの間違いじゃないか?』 と相変わらず可愛くない口をききつつ、耳まで真っ赤にしながら大事そうにコップに活けていたやつだ。
【……I only wanted to see you laughing……】
(……ただ、君の笑顔が見たかった……)
アコースティックギター1本の弾き語りで、かすれ気味の甘い声が静かにスローバラードを歌い上げて行く。
最近になって、ようやく所々の歌詞が聞き取れるようになった。
英文自体は元々難しくないんだろうが、ボーカルの歌い方なのか声質なのか、なかなか聞き取り辛くてイマイチよくわからない。
雅史が俺と付き合い出す少し前によく聞いていたらしいし、いまだに時々聞いているので気にはなっているんだが、『どんな歌詞なのか教えろよ』 と言うと、『自分で聞き取れる位の力を身に付けろ』 と、そんな時ばかり教師面をして返された。
だからそれ以来、この歌が流れる度に耳を澄ましてヒアリングに専念するようにしている。
【……I always watch only you……】
(……いつも君だけを見ている……)
……だが今日はもうタイムリミットだ。
「そろそろ帰るぞ」
雑誌を脇に置いて立ち上がると、雅史はハッとしたように俺を見上げた。
学校で見せる愛想のいい人気教師の顔でも、俺に向ける小生意気な恋人の顔でもなく、この歌が流れている時だけに見せる悲しそうで切なそうな顔。
『そんな顔をする位なら聞かなきゃいいだろ?』 と前に言ったんだが、『今の幸福に感謝していたいから』 と雅史は静かに笑いながら答えた。
意味がよくわからずに 『どういう事だ?』 と聞き返したくはなったが、雅史の様子を見て何故かそれ以上言葉をかける事が出来なくなり、だからこそ余計この歌の歌詞を知りたいと思った。
なのにいまだに所々しか聞き取れずに、雅史がそんな表情をしている意味がわからない俺ってマジでダサすぎる……
情けない自分自身に呆れながら密かに溜息を吐きつつ、ポンと軽く雅史の頭を叩いて玄関に向かう。
コーコーセーはコーコーセーらしく勉強しろって事か……
雅史も本をテーブルに置いて静かに立ち上がり、黙ったまま少し俯き加減で俺の後を付いて来た。