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イチカワ君という人は少し変わった経歴の持ち主で、小さい頃に
イチカワ君の才能に気付いた母親が、アメリカに移住をして英才児
教育を受けさせて来た。
そして飛び級で大学を卒業し、日本に戻って来たという。
当然日本ではまだまだ飛び級が認められているわけではないけれど、
能力主義のうちの大学病院では、実験的な試みとしてイチカワ君を
研修医で受け入れる事に決めた。
だからとても頭が良く、理解力も研修医の中では抜群。
けれどその分どうも人付き合いが苦手らしく、その上一人だけ年齢が
若い事もあってか、孤立する事が多いようだった。
せっかく私の下についてくれた訳だし、なんとかその実力を活かさせて
あげたいと、入って来た当初から何かと声をかけては話をしたり、
時間が合えば一緒にご飯を食べたりして来た。
それが変な誤解を与えていなければいいのだけど……


いまだに私を見続けているイチカワ君の視線から逃れるように
別れを告げて裏口から出た後、携帯の電源を入れて着信を確認する。
するとメールの着信が入っていたので、件名の書かれていない
メールを開く。

『14時帰宅予定  Ryo』

と入っていた。
着信時刻は今朝8時。
それを見た途端、俄かに仕事の疲れも吹き飛んでしまう。
昨夜は夜勤だったので私は家に帰らなかったし、リョウも事務所に
泊まりと言っていた。
前回リョウと顔を合わせたのは一昨日。
それも、私が家を出るのと入れ替わりに帰って来たリョウと
会っただけで、時間的には10分位。
玄関で鉢合わせするなりリョウがいつも連れている若い子達の前で
いきなり激しいキスをされ、キスが終わった時には走って病院に
向かっても間に合わない時間だった。
それに気付いた子がわざわざ車で送ってくれたんだっけ。
そんな事を思い出して一人でクスクス笑いながら、
真っ直ぐ帰る予定を変更し、スーパーに寄り道する事にした。

買い物を終えて家に着いたのは午後の1時半。
リョウの予定は聞いていないけれど、私は明日休みなので
少しは二人でのんびり出来るかもしれない。
今日はリョウの好きな鶏の手羽先が安かったので、唐揚げに
しようか煮込みにしようか悩みながら料理を始めた。


****************


午後3時。
リョウは帰ってこない。
どうしたんだろう?何かあったのだろうか?
リョウは一緒に暮らし始めた時に約束した通り、5分位は前後する
事があっても、それ以上になる時は必ず電話なりメールなりを
くれるのに。
でも、仕事柄急に何か入る事もあるだろうし、連絡が出来ない事も
あるだろう。
もしリョウが連絡出来なくても、今までの例を考えれば若頭補佐の
うちの誰かが連絡をくれる筈だし、もう少し待ってみよう。


午後7時。
まだリョウは帰ってこない。
相変わらず連絡は無く、何度か携帯に電話を入れてもみたのだが
『……電源が切られているか、電波の届かない場所に……』
というメッセージのみ。
いつもくる若い子のうちの一人、青柳健人(アオヤギケント)君にも
かけてみたが、やはり同じ内容だった。
さすがにこうなってしまうと心配で堪らなくなってくる。
何か危ない事に巻き込まれているのではないだろうか。
また私と出会った時のように怪我をしているのじゃないだろうか……


私はリョウが『若頭』という危ない職業をしている事を、
改めて身にしみる程実感させられる。
リョウは基本的に家で仕事の話をしないし、私に心配をかけないよう
気を使ってくれていたのはわかっていた。
そんなリョウの気遣いの上にただ胡坐をかいて、リョウなら大丈夫、
なんて意味の無い安心感に包まれていた自分を、本気で後悔する。


リョウ、早く帰って来て。
そして私にいつも通り元気な顔を見せて……


けれどその日、結局リョウは帰っては来なかった。