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リョウは湯が溢れ出し続けている露天風呂の縁に両腕を広げて寄りかかり、私はそのリョウの肩に頭を乗せて身を寄せながら、後始末を何とか終えてぐったりしている体を湯船の中で休めた。
惚れた男の腕の中ほど気持ち良く、安心出来る場所はない。
リョウの腕の中で過ごす時間は、何よりも至福な時間を与えてくれる。
酸素と同じぐらい私が生きていく為に必要なもの。
惜しみなく与えてもらえる安堵感と、あたりのとても柔らかい湯にホッと一息を吐くと、リョウは私の髪を指で弄びながら口を開いた。

「近い内にディックに会いに行く」

「……ではアメリカに?」

目だけで見上げながら聞き返した私の言葉に、『今回は世話になったからな』 と頷いた。

ディックというのはごく親しい人達だけが呼ぶのを許されている愛称で、リチャード・クィリチというフルネームのその人は市川君の件の際にお世話になったアメリカマフィアの人。
リョウが 『黒神の昇龍』 という通称を持つように、彼にも 『グリズリー』 という北米大陸に棲息する獰猛な熊の名称が通称として使われていて、フルネームを知るのは本当に限られた人だけなのだという。
私は実際に会った事がないけれど、リョウに写真を見せてもらった事があり、五人衆の子達がどれ程恐ろしい人なのかを表す噂話を色々と教えてくれていた。
腐れ縁だ、とリョウが苦笑しながら言ったその人はリョウと同じ歳。
金髪というよりは茶髪に近い、ウェーブの入った短い髪と深い緑色をした瞳を持つ端正な顔立ちだった。
学生時代アメリカンフットボールのクォーターバックとして鳴らしたという、スーツの上からでも立派な体躯だとわかるその身長はゆうに2mを越していて、冴え渡った瞳の奥には気性の荒さが見え隠れしている。
なので由来を聞かされなくても、何故その通称が付けられているのか何となく想像がついた。


「1週間休みを取れるのはいつだ?」

「え?私も行くのですか?」

「遼に会わせろと前からうるさくてな。
 忙しいからと断って来たが、奴は手段を選ばんから
 会長にまで手を回されればさすがに断りきれん。
 いい加減うるさいから遼の休みに合わせて行って
 来いと、会長からの指示だ。」

リョウは相変わらず私の髪を弄りながら苦笑する。
黒谷さんの、呆れながら笑っている顔が目に見えるようだった。

私もリョウも、いくら忙しいとはいえ理由如何によっては1週間程なら休みを取るのは不可能ではない。
けれどお互いにその時期を合わせるというのがなかなか容易にはいかないので、長期でどこかに旅行に行く事は最初から諦めていた。

リョウと一緒に旅行……

1週間という貴重な時間を、思う存分リョウと満喫出来ると想像するだけで子供のようにワクワクしてしまい、ゆっくり頭を起こして片手でリョウの顎を捉える。
そして首を伸ばしながら軽くキスをしてふふっと微笑んだ。

「病院に戻ったら早速予定を調べてみます。
 1週間もリョウと離れずに過ごせるなんて夢のようですね〜。
 リチャードさんも一度お会いしてみたかったので、とても
 楽しみですよ。」

するとリョウは苦笑をした。

「グリズリーの名を聞くだけで震え上がる奴の方が
 多いんだがな」

私は少し考え込む。
けれどどれだけ残忍な噂話を聞かされても、私の中には彼が怖いというイメージがどうしても湧き上がって来なかった。
彼からは盗聴防止の暗号がかけられた国際電話が時々かかって来て、私が電話を受けると 『ハルカ、ハルカ』 とその度に嬉しそうに早口の英語で話しかけられ、そのまくし立てるような様子にいつも苦笑が漏れる。
まぁそうは言っても、言葉を返す暇もなく毎回リョウがすぐに電話を取り上げてしまうので、一度もまともに話をした事はないけれど。
それに気に入った人間には贈り物をするのが趣味だという彼は、大量のタバコやウイスキーを年に数度贈ってくれたりもしている。
だからリョウがいつも吸っているタバコは全て彼から贈られた物で、『グリズリー』 という通称や見た目から受ける威圧感のわりには、随分と可愛らしい人なのだと思っていた。


「ん〜…確かに今まで聞いた噂話でいいものは一つもない
 ですから、それはわからないでもないですけど。
 でもリョウが長年お付き合いをして来た方ですから、決して
 筋の通らない事をするような人ではないのでしょう?
 それにリチャードさんに会えば、まだまだ私の知らない
 リョウの一面を見せてもらえるかもしれないですし。」

「俺は遼に見せていない部分などないぞ」

クッと笑ったリョウに微笑み返し、顎を捉えていた手でリョウの頬から首筋にかけて撫で下ろしながらそっと耳朶に齧り付く。
リョウは相変わらず私の髪を弄びながらされるがままに任せているので、それをいい事にそのまま首筋にも肩にも数え切れないほどのキスを落とした。


「……まだまだ全然足りませんよ。
 リョウは底無し沼の様な人ですから。
 知れば知るほどその魅力に際限なく飲み込まれ、そして
 私はその底無し沼に、自ら望んで身を沈めるのです……」

すると突然髪を鷲掴みにされて、唇で触れていた首筋から強引に顔を引き剥がされ、同時に噛み付くようなキスが降って来る。
リョウは私の舌を引き摺り出し、何度も吸い上げ、甘噛みをし、私の中でいまだに燻ぶり続けていた欲望の炎を途端に再燃させた。

リョウに関してだけは、どれだけ与えられても満足するという事を知らない貪欲な自分自身に内心苦笑しつつ、冷え切っている髪に両手を差し入れる。
そして咽喉を鳴らして口付けを堪能しながら自らその膝に跨り、惚れた男に全てを喰らい尽くされる甘美な快感に酔いしれた。