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良哉の騒動から数時間後。
「兄貴、今頃どうしてんのかな……」
右京が組長の用事で外出した後、読んでいたと言うよりは、気を逸らすために何とか持っていたと言った風体だったスポーツ新聞をデスクに放り投げ、兄貴が出て行った事務所のドアを眺めながらポツリとミキが呟く。
「兄貴の機嫌、治ったかなぁ〜……？」
ミキの台詞につられるように、ミキの隣で気もそぞろにパソコンの画面を眺めているだけだった健人も、手を止めて溜息を漏らした。
兄貴が一人で出て行くのを止められなかった事で、二人は見る影もなくすっかり意気消沈している。
二人の向かいに座っていた俺、片山峻と土岐は、その様子を眺めながら一瞬顔を見合わせて同時に小さく溜息を吐いた。
兄貴の状況は直接はわからないものの、組長が遼さんとの電話を切ってからそれほど経たない内に、遼さんから
『ご心配なく、と皆さんに伝えて下さい』
というメールが、俺達五人衆全員の携帯に、一斉配信で送られて来ていた。
「遼さんと一緒にいる兄貴の機嫌が、治らないはず
ないだろ？」
俺がそう言うと、健人が半ば嬉しそうに腰を浮かせてこちらに身を乗り出して来た。
「だよな？だよな？
あの遼さんだもんな？
なんとかしてくれてるよな？」
「健人、遼さんに頼りっきりは不味いだろう？
それに兄貴の護衛は俺達の役目だぞ」
土岐がたしなめるように言うと、健人はボスッと椅子に座りなおしながら 『わかってるけどよぉ〜』 といじけたように言う。
「そうは言ったって、あんな兄貴をどうやって止めたら
いいんだよ？
それにそう言う土岐だって止められなかっただろ？」
「俺は洗車から戻ったばかりで、何があったのかわから
なかったんだよ。
本気で兄貴を止めるなら、体をハるのが当然だろう？」
「だったらお前がやれば良かっただろ？！」
「だから、事態がよくわからなかったと言っている！
わかっていたらそうしていた。」
「お〜い、二人とも落ち着けって。」
俺が口を挟むと、健人はチッと舌打ちするなり口をつぐんで下を向き、土岐は腕組みをしながらその健人を睨みつけた。
それぞれ性格の違う俺達5人の間では、それなりの役割分担みたいなものがいつの間にか出来ていたりする。
根が単純で直情径行型の健人は、組内外問わず誰か彼かと喧嘩沙汰を起こす事が多い。
その健人を、いつもはなだめる役にまわっている土岐も、やはり一人で出て行く兄貴を止められなかった自分に苛立っているようで、何となく雰囲気が険悪になり始めている。
日頃こういう空気をいつの間にか調和してくれる役目の右京が、今は組長に頼まれた用事を足しに行っている為に不在なので、役割分担的に、ここは俺が何とかしないといけないんだよな？、と思い始めた時。
「なんだぁ？
随分としょぼくれたツラ、並べてるじゃねぇか」
そう言いながら、突然事務所の扉を開けて入って来た人物達を見るなり、俺達4人をはじめ、事務所にいた者達全員が慌てて立ち上がって頭を下げた。
「ご無沙汰してますっ！」
「おぅ、しばらく顔出せんで悪かったな。
まぁまずは頭、上げろや。」
その言葉に俺達が次々と頭を上げると、今岡（イマオカ）の兄さんは額から頬にかけて斜めに走る古傷を引き攣らせながらも、嬉しそうに笑って頷いた。
俺達4人は、顔を上げたついでに兄さんの側近3人とも、互いに目礼を交わす。
今岡直剛（イマオカナオタケ）。
黒神一家直系 今岡組 組長。
そして、黒神一家 北方方面統括本部 本部長。
次期、俺達の兄貴と同様、黒神十人衆の一人に間違いなく抱えられるだろうと目されているお方だ。
水面下で勢力を広げつつある、関東以北の黒神一家の統括を一手に任されていて、俺らの兄貴のブレーン中のブレーン、右腕と言っても良いだろう。
そして兄貴が本当の意味で 『五分の兄弟』 と認めている、数少ない人だ。
ま、そこに到るまでには過去に様々な経緯があり、兄さんの顔に残る傷痕は、実はその昔俺らの兄貴が残したモノだったりするんだが……
「今日はお前らも色々大変だったらしいなぁ？」
ニヤニヤしながら発せられたその言葉に、何故兄さんがそれを知っているのだろうと一瞬頭をよぎったものの、考えてみると兄さんに限らずここを訪れる者は、間違いなくとっぱじめに会長と組長の元に向かう。
ここの構造上、会長や組長の部屋に行くまでに俺らがいる事務所は通らないし、それに色んな事情をかんがみてみれば、俺達が兄さんの訪問に今の今まで気付かなかった事も、俺らの兄貴の現状に関して、兄さんが事情を知っているのも当然といえば当然。
それでも幹部の方が訪れる場合、基本前触れがあるので、事務所にいる全員でお出迎えするのが常なのだが、こと、今岡の兄さんに関してだけは全く前触れもないし、突然現れて突然去って行くのが実情。
その上遊びなのか本気なのかはわからないが、イイ意味でも悪い意味でも周りをかき混ぜて帰って行くので、まさに竜巻のような存在というのが俺の本音だった。
とは言っても全く憎めないお人だし、それに 『黒神の昇龍』 である俺らの兄貴が、唯一その背を預けて共に闘った過去のあるお方なので、俺達五人衆をはじめ組内外問わず、若い衆の大半から憧れと羨望の眼差しを向けられている。
「それよりミキ、右京はどうしたのよ？」
今岡の兄さんが、楽しそうにミキを小突き回しながら尋ねる。
なんせミキは兄さんにベタ惚れで、それを充分過ぎるほどわかっている兄さんも、毎度毎度ミキを構い倒していたりする。
もちろん俺や右京や土岐や健人だって、兄さんに心酔しているのは同じなのだが、多分ミキの性格と、ミキを構っている時の誰かさんの反応を何気に楽しんでいるというのが兄さんの内心なのだろう。
『やめてくださいよ〜』 と口では言いながらも嬉しそうにへらへらしていたミキは、その質問に、本気で意外そうに 『へ？右京っスか？』 と返した。
「右京なら野暮用で出ちまってるんですよ。
多分もうすぐ戻ると思いますけど、なんか右京に
用事でもあるんスか？」
それを聞いた今岡の兄さんは一瞬遠い眼をした後、半ば呆れ気味に 『いや、何でもねぇ』 と呟くように答える。
だがすぐにニヤニヤと口端を持ち上げ、芝居染みた動きで自分の額に手を当てると、土岐に向かって
「……奴も情けねぇなぁ？
ま〜だこんな調子か？」
と首を竦めて見せる。
何の事だかわからずに怪訝な顔をしているミキの向かいで、土岐は困ったように苦笑しながら深く頷き返した。
俺や土岐が右京の思いに気付いたのは今年の正月以降位。
何がそうさせたのかはわからないが、どちらかと言えば自分を抑える性格である右京が、どこかはじけた様に、あからさまに態度に出すようになったから。
だが兄貴や兄さん達が気付いていたのは、多分もっと前からだったんだろうというのが、俺と土岐の間で共通している認識だった。
兄さんはミキが毎日懸命に整えているクセッ毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた後、『ノブ、携帯』 と言いながら胸ポケットから取り出したタバコを咥え、一番手近だった右京のデスクチェアにどっかりと座って足を組んだ。
兄さんの背中を守るように立ち並んでいる側近の一人、溝口伸輝（ミゾグチノブテル）は、持っていたカバンから手際良く携帯を取り出し兄さんに差し出す。
そしてもう一人の側近、五十嵐拓馬（イガラシタクマ）が兄さんのタバコに火を点けた。
「仕事戻っていいぞ〜」
早速携帯をいじり始めた兄さんの一言で、事務所内にいた者達は 『失礼します』 と頭を下げた後わらわらと自分のデスクに戻り、それぞれの仕事を始め出す。
俺も自分の椅子に座り、PCで株式市場のチェックを再度始めながら、何とはなしに時々兄さんの方を眺めていた。