車で1時間半ほどの距離だろうか。
黒神一家の収入源の一部として聞いた事のある、港湾事業を行なっている大手の会社が管理する港に着いた。
警備役らしい男性達が4人ほど見守る中、関係者以外立ち入り禁止と警告が書かれている屈強な鉄製の門扉が閉ざされている前に一旦車を止めると、リョウは運転席側の窓を10pほど開ける。
近付いて来た男性が胡散臭そうな目をしながら窓の中を覗き込んでリョウを確認するなり、慌てて車から少し離れて頭を下げ、リョウがまた窓を閉める間に他の人達にすぐに門扉を開けるよう大声で指示を出した。
門扉を通り過ぎると、立ち並んでいるコンテナなどを次々と運び込んでいる、接岸された巨大な貨物船が遠くに何隻も見えた。
リョウは何もない岸壁の少し手前で車を止め、エンジンを切って車を降りていく。
私もそれに従って車を降りると、運転席のドアに寄りかかってタバコを吸い始めたリョウを横目で見ながら海に近付いて行った。
夏の訪れを感じさせる、爽やかな雲を浮かべた青い空。
暖かく降り注ぐ陽射しと、それをどこまでも映し出している深い色をした海。
連日の仕事の疲れを癒してくれるその風景をしばらく堪能した後、両腕を上げて思い切り伸びをした。
「気持ちいいですね〜!
ゆっくり海を眺めるなんて、本当に久し振りですよ〜!」
腕を下ろして振り返りながらリョウに笑いかける。
リョウは相変わらず黙ったまま紫煙を燻らせているけれど、その瞳が先程よりも大分落ち着いたものだったので、私はリョウの方に一歩ずつ歩み寄っていく。
そしてリョウの隣のボンネットに、後ろ手に両手をついて寄りかかりながらまた視線を海に向けた。
「中学2年の時、当時仲の良かった友人や先輩達に連れら
れて、花火をする為に夜の海辺に行った事がありました」
羽織っただけのスーツの上着が風にはためき、第二ボタンまで外したままだったYシャツの首元に、優しい海風が吹き抜けていく。
「みんなで花火をしてとても楽しい時間を過ごしたのですが、
帰り間際に3年生の女性の先輩に呼ばれましてね。
言われるままに後をついていくと、友人達から大分遠ざか
った場所まで来た時、突然振り返ったその先輩に抱きつか
れてキスをされたんです。
一瞬の出来事でしたが、それが私のファーストキスでした。」
そっと目を閉じて顎をあげ、一旦口を噤んでほのかな潮の香りに包まれた。
目を閉じたままでも、隣にいるリョウの空気がまた険しさを増し始めている事が、嫌というほど全身の肌から感じ取れる。
思った通りの反応を確認しながらそっと目蓋を開け、リョウの方には視線を向けず、青い空を見上げながら言葉を続ける。
「その先輩からは好きだから付き合ってほしい、と告白を
受けました。
けれどほとんど会話を交わした事のない私のどこが好き
なのかも全くわかりませんでしたし、『何かが違う』 と
本能的に感じたので、申し訳ないですがお断りしました。
その後自分が同性を受け入れるしか出来ない性癖だという
事実を知り、私が感じたその本能的な 『何か』 とは、
相手が同性だったという事なのだとその頃は理解しました。
そして私はその時それぞれで意気投合した男性達に、気分
が趣くまま身を任せるようになりました。」
吸っていたタバコをコンクリートの地面に叩きつけ、ギュッと音を立てて靴でねじ消している様子が視界の端に映っていた。
リョウの苛立ちや嫉妬や独占欲が、次第に私が知っているのとは違う狂気に転じていく。
私達はお互いの過去の恋愛について、こんな風に話をした事はない。
当然それなりの付き合いはあったのだろうとお互いにわかってはいるけれど、具体的な言葉にしたのは初めてだった。
本来は私も過去の恋愛に触れるべきではないと思っている。
それにただでさえ荒れ狂う嵐の様な独占欲に駆られているリョウに、更にそれを煽るような、今私がしている話が吉と出るのか凶と出るのかはわからない。
大きな賭けである事はわかってはいるし、凶と出てしまえば、それこそリョウ自身が口にしていたようにどうなってしまうのかも想像がつかない。
けれどそれならそれでいいと、初めから覚悟は決まっている。
「ですがどんな男性に抱かれても 『何かが違う』 と
いう思いはそれからも消える事がなく、いつも私の中の
どこかを冷めさせていました。
その内に体だけを繋げる人数が増え、恋人として付き
合った人達の数も増え続け……」
「ハルカ」
静かに、けれど確実に怒りに満ちた声で話を遮られる。
リョウが、ここまでの怒りを直接私自身にぶつけてくる事は今までに一度もなかった。
だからこれは間違いなく警告だろう。
これ以上私がこの話を続ければ、リョウは暴走する自分を止められなくなる、と。
それでも普段であれば、リョウもここまで怒りはしないだろう。
時が悪い。
それは私も充分わかっている。
けれど、常に燻ぶり続けている強烈な独占欲、支配欲、所有欲、その他諸々のリョウの 『欲』 が、どこにも行き場がないまま爆発してしまいそうに膨れ上がっている今だからこそ、それらがリョウ自身を内側から破壊させてしまう前に、少しでも外に吐き出させる場所を作りたかった。
その為にはリョウを煽るような話が必要だった。
黙って隣に視線を向けると、私から視線を逸らしているリョウは腕を組んで車に寄りかかったまま、硬く唇を引き結んで静かにどこかしら遠くの一点を見詰めている。
リョウという人を知らなければ、今のこの空気を傍から感じるだけでもやはり危険な人だと怖じ気付いたかもしれない。
静かだからこそ余計に足元から竦み上がるような恐怖心に襲われ、息を飲んで身動き一つせずに、一刻も早くこの時が過ぎ去ってほしいと望んだかもしれない。
でも、リョウ。
それは貴方がそれだけ私を望んでくれるからでしょう?
私はそんな思いを不器用に伝えてくれる貴方が、その不器用さを隠さずに、自らの全てで子供のように純粋に私を欲してくれる貴方が、誰よりも何よりも愛しい……