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「うまいか?」

ニコニコ笑いながら問いかけて来る言葉に、何だか気まずくて視線を逸らしたまま 頷いた。


あの後取り合えず飯でも食いに行こうと誘われ、近くにある 薄暗い雰囲気の落ち着いたレストランに来た。
奥まったボックス席に座らされ、なんでも好きなものを頼めと 言われたけれど、こんな所は初めてで何をどうしたらいいのか わからなかった。
家にいる時は外食など連れて行ってもらった事は無かったし、 家を出てからはレストランなど入る機会もお金も無かったから。

で、結局いつまでもメニューとにらめっこしている俺に苦笑 しながら、俺が決めてもいいか?と聞かれたので、少し赤く なって下を見ながら、うん、と頷くと、自分にはワインを頼み、 俺にはハンバーグやサラダ、ライスなどを頼んでくれて、ここの ハンバーグは美味いんだぞ、と教えてくれた。

お互いの名前を教えあい、『俺の事はヒロでいいからな』 と 言われてそれに頷いたものの、その後何を話したらいいんだかわからずに 下を向いている俺に、『仁志』 と声をかけてくる。
慌てて顔を上げると、正面に座っているヒロが手を伸ばして温かい おしぼりで顔を拭いてくれた。
あの時もハンカチで口元を拭いてくれたけど……

でもいくら奥まっている席とはいえ、他にも客が沢山いるのに……

呆然としている俺にもチラチラと視線を向けてくる他の客にも ヒロは一切構う事は無く、『すっきりしただろ〜?』 と笑いながらおしぼりを置くと、そのまま運ばれてきたワインを飲みだす。
そしてハンバーグが運ばれてくると、俺の所ではなく自分の前に 置かせ、ナイフとフォークを優雅に操りながら一口サイズに切り分け て俺の目の前にプレートを置いた。

きっと俺が左手でうまく物を持てない事に気がついたのだろう。
そういう細かい優しさが一つ一つ身にしみてくる。
右手でフォークを持ち、切り分けてもらった一切れのハンバーグに 茶色いソースをつけてから、ゆっくりと口に入れる。
緊張のせいか味なんて全然わからなかったけれど、それでも噛むと同時に口の中が肉汁でいっぱいになり、ハンバーグの温かさとヒロの優しさが俺を心底温めた。


特に会話をしないまま俺は黙々とハンバーグを食べ続け、ヒロはヒロで何か考え事でもしているかの様に黙り込み、時々俺の方に視線を向けながらワインを飲んでいた。
その時ヒロがチラッとテーブルの上を見回したので、もしかしたら、と思った。
俺の方が場所が近くて手が届きやすいので、紙ナプキンを1枚取り、『これ?』 と差し出しながら聞くと、嬉しそうに笑って 『あぁ、ありがとう』 とそれを受け取り、自分の口を拭う。
笑ってくれた事がすごくすごく嬉しかった。
だからそれに首を横に振って答えると、優しく微笑んだヒロが手を伸ばしてスッと頬を撫でてくれる。
恥ずかしさと気まずさとで下を向いてしまったけれど、口端がいつの間にか勝手に上がっていた。
前回笑ったのは一体いつだったんだろう?
というより、俺は今まで笑った事なんかあったんだろうか……?


「仁志がいてくれて良かった……」

ぼそりとヒロが呟いた言葉に、思わず手を止めてそちらを見た。

「路地裏にいたんなら今日俺がフラれたの見てたんだろ?
 俺さ、最初からダメだろうとは思ってたんだ。
 だけどどうしてもあの子の持つ雰囲気と目が気になってね。
 それだけを追い求めてたらいつの間にか夢中になってた。」

ヒロは溜息を吐きながら苦笑した。

「……仁志、この後用事が無ければ俺の家に遊びに来ないか?
 もちろん絶対手は出さないと約束する。
 ただもう少し仁志と一緒にいたいだけだから。」

とてもシンプルで大人な感じがする眼鏡の奥の瞳が、複雑そうな光を湛えて揺れていた。
森にフラれたばかりで、きっと色んな想いがあって辛いんだろう。
だったら、もし俺なんかと一緒にいる事でヒロの気が紛れるなら何でもしたいと思う。
ヒロにはいつもさっきみたいに笑っていて欲しいから。

俺はフォークを口に咥えたまま、うん、と頷いた。