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しばらくしてからハンカチを返していないことに気が付いて、 これどうしよう?と頭をひねったものの、後を追うには既に 遅すぎる。
しょうがなくまたその場に座り込み、生まれて初めて与えられた 飴というお菓子を眺めた。
もちろん飴自体を見るのは初めてではない。
クラスメイト達が遠足で持ってくるのを、指を咥えながら遠巻きに見ていたから。
羨ましくて羨ましくて仕方がなかったけれど、その度に、所詮俺にはそんな贅沢な物があたる事はないんだと諦めてきた。


初めて手にした飴は琥珀色をしていて、両サイドが黄色の透明なパッケージに包まれている。
破けないようにそっとそっとその包みを開き、親指と人差し指で 持ち上げて街灯にかざして見ると、光に反射して琥珀色だけじゃない 色んな色でキラキラと光って見えた。
ほぅ、と小さく吐息を漏らす。

飴がこんなに綺麗な物だなんて知らなかった……

あっちに向けたりこっちに向けたり色々と角度を変えながらしばらくその光を眺め、何だか食べてしまうのがもったいない様な気持ちになりながらゆっくり口に入れてみる。
するとすぐになんとも言えない優しい甘さが口中に広がった。

辛い事も悲しい事も、あっという間に消してくれる魔法の飴。
そんなの嘘だとわかってはいたけれど、それでも名前も知ら ないあの人の言葉が本当になっていくような気がした。
苦しんだ後には必ずいい事が待ってる。
そう言ったあの人の言葉なら信じられる気がする。
だってあの人の手は温かかった。
生まれて初めて何かを信じようと思った。


コンクリートの壁に頭をもたれて空を見上げる。
ビルとビルの狭い隙間からは月も星も見えず、ただ真っ黒な空が広がっているだけだった。
だけどきっと明日には太陽が昇る。
必ず太陽は昇ってあの大きな存在で周りを照らし出し、こんなにちっぽけな俺すらも温めてくれる……


膝の上でハンカチを握り締め、真っ暗な空を見上げながら、最後の最後まで大事に大事に飴を嘗め続けた。
そしてとうに感情を捨てていた筈の俺は、自分が何故泣いているの かもわからないまま、ポロポロポロポロと涙を流し続けた。


****************


当然暴力を振るわれるのは覚悟していた。
けれど家に帰った俺を待っていたのは……


鍵があいていた玄関の扉を開けた瞬間父親に髪を鷲掴みにされ、部屋まで 引き摺り込まれた。
そしてそのまま木刀の様な物で体中を殴られる。
その横では母親が 『今まで育ててもらった恩も忘れて、こんな形で 親の顔に泥を塗るなんて』 と金切り声をあげていた。

気が遠くなりそうな程の痛みに耐えながら、左手にハンカチを握り締めた まま、あの人の顔を思い出しながら歯を食い縛った。
苦しんだ後には必ずいい事が待ってる筈。
あの人が言ったのは絶対嘘じゃない……

「……何を持っている?」

こういう時に口を開く事がほとんどない父親が聞いてきた。
背中に冷たい汗が流れ、慌ててハンカチを隠そうとすると、そのまま 左手を足で踏みつけられた。

「……よこせ。」

必死で首を横に振ったものの、乗せられた足がぎりぎりと手を 押し付けてくる。

「お願いします!
 何でも言う事を聞くから、これだけは取らないでっ!」

どうしてもどうしても嫌だった。
親には一度も反抗した事のない俺が、親には何一つお願いを した事がない俺が、生まれて初めて親に反抗し、そして 懇願した。
けれど父親は 『まだしつけが足りないようだな』 と 一度離したその足で思いっきり俺の手を踏みつける。
それと同時に変な音がして強烈な痛みが脳天を直撃した。

自分でも何と発したかわからない叫び声が口から勝手にほとばしり、左手を踏みつけられたままのた打ち 回った。

……いい事があると、やっぱり罰が当たるのかもしれない……