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マンションに着いた後、まずは買ってきた物を冷蔵庫にしまったり 棚にしまったりする。
そしてキッチンでひまわりの茎を少し短く切ると、背の高いグラスを 花瓶代わりにしてひまわりを活け、食卓の真ん中に置いた。
今日はヒロがお好み焼きを食べに行こうと言ってくれていたので、夕飯 の支度は必要ない。
だからそのまま椅子に腰掛けて両肘をつき、黒い食卓に映える 黄色のひまわりを眺めていた。


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初めてひまわりという物を目にしたのは、多分とてもとても小さい 時だったのだとは思う。
けれど一番強烈に残っているのは小学2年の時に見た記憶。
外側から鍵をかけられ、閉じ込められた薄暗い部屋のカーテンの 隙間からそっと覗いた隣の庭に、太陽に照らし出された数本のひまわりが見えた。

太陽に向かって真っ直ぐ首を伸ばしている姿がとても印象的だった。
そして、ひまわりにとってそんなに一生懸命見ている太陽とは、 一体何なのだろうと思った。
もちろん太陽という存在自体は当然知っていたし、太陽がある おかげで植物が育つ事も知ってはいたけれど、どんなに 頑張って首を伸ばしても、決して太陽に手が届く筈はないのに、 と不思議に思った。
どんなに望んでもどんなに求めても、決して太陽が自分の ものになる事はないのに。
なのに何故、ひまわりは毎年毎年太陽を求めて首を伸ばし、 精一杯花開き、そして必死で太陽を追い続けるのだろう?
そんな事をしたって無駄なのに。
諦めたほうが楽なのに。

そう思いながらも、本当はそのままカーテンをいっぱいに開けて 思う存分ひまわりを見たかった。
そしてひまわりと一緒に太陽を見上げてみたかった。
そうしたらひまわりの気持ちがわかるかもしれないと思ったから。
だけどもしそれが親にバレたら何をされるかわからない。
だからエアコンも付けてもらえない暑い部屋の中から、ジリジリと体中に湧いてくる汗にも構わずこっそりと いつまでもそれを覗き見ていた。


何の仕事をしていたのかは知らないけれど、多分俺の父親はエリートのサラリーマン、そして母親はキャリアウーマンだったのだと思う。
だから家は結構裕福で、周りからも羨まれる程だった。
けれど二人共自分が出来るだけに人の失敗を許せなかったのか、とても厳しくて、小さい頃から 少しでも粗相をすると 『どうしてお前はそんなに出来が悪いんだ』  と、容赦なく暴力が飛んで来た。
人から物をもらったり人前で何か失敗をすると、家に帰ってからは 『親に恥をかかせる つもりか』 と、殴られたり蹴られたりした後に食事抜きで部屋に 閉じ込められた。
もちろん世間体を必要以上に気にする親は、顔などの見える場所を 殴った事は一度としてない。
それに自分の手が傷付く事を恐れたのだろう、素手で殴る事もなく、 家中のありとあらゆる物で殴られた。
それが逆に計算ずくで暴力を振るっている事がわかり、蹴られている 体よりも心の方がずっとずっと痛かった。
俺が受けるその行為からは、温もりの欠片すら感じる事は出来なかった。

『甘やかすとろくなことをしない』 『いい目に合うと必ず罰が当たる』
これが親の口癖だった。
だから俺の記憶の中に、親の笑顔は一つも無い。
お菓子を与えてもらった記憶も、おもちゃを与えてもらった記憶もない。
記憶にあるのは親を怒らせないよう必死で勉強をした自分。
ビクビクと親の機嫌を伺いながら、余計な事を言わないよう 家でも外でも一言も口をきかず、おとなしくていい子を必死で演じ続けた 自分。
怒りに油を注がない為に、殴られる痛みで声を漏らさないよう歯を食い 縛り、蹴られる痛みで涙を流さないよう必死で耐え続けた自分。
少しでもいい事があると、どうか罰が当たりませんように、と恐ろしくて震えていた自分……


愛なんてこの世には存在しないと思っていた。
そんな、夢物語のようなものを求めるより、全てを諦めた ほうがずっと楽だと思っていた。
いつか殺してやりたいと思うほどに親を憎み、何故俺を生んだのかと 身を引き裂かれるように苦しんだ思いもとうに通り過ぎて、感情を持つ事も 自分で何かを考える事も全て諦め、ただ淡々と暴力に耐え忍ぶ だけの日々を送り続けた。


だけど何故か俺の記憶から、あの夏の日に見たひまわりの花が消える 事はなかった。