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『太陽の神アポロンに叶わぬ恋をした水の精クリュティエが
 九日九夜、地面に立ち尽くしてアポロンを仰ぎ見つめ、ついに
 体が地に根付いてひまわりになりました。

 花言葉 : あなたを見つめる』


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「森、これいくら?」

金曜の夕方、唯一の友人である矢追森(ヤオイシン)がバイトを している花屋に遊びに来た俺、芳澤仁志(ヨシザワヒトシ)は、 他のと違って沢山の花に囲まれず、片隅で一輪だけ置かれていた 小さなひまわりを指差しながら尋ねた。
時々夕飯の買い物帰り、こうやって森の店に寄っては客がいない 時間を見計らってお喋りをしたりする。
さっきまでは客がいたので、様々な香りに包まれながら何気なく 店を見てまわっている時に、ふとこの花に気が付いたんだ。
花には全然詳しくないけれど、ひまわりには特別な思いがある。

「仁志が花を買うなんて珍しいね。
 でもこれは売り物じゃないんだよ。
 ひまわりはもう終わりの時期なんだけど、これはたまたま
 仕入れに行った店長が、小さくて売り物にならないからって
 一輪だけ貰って来たんだ。
 それを僕が貰っただけだから、もし欲しかったらあげるよ。」

パッチリした大きな目を細めながらニコニコと笑い、昔の無表情さを微塵も 感じさせない森は本当にかわいくて、その表情に釣られて思わず 俺まで微笑んでしまう。
これも全て森の恋人である佐倉智紀(サクラトモノリ)さんの おかげなんだろうな。

「俺が貰ってもいいのか?」

「もちろん。それにこのひまわりだって、欲しいと思ってくれた
 仁志に可愛がられるほうがいいんだよ。」

「そっか、じゃあ遠慮なく。サンキュ。
 あぁそうそう、明後日だけど朝9時半にヒロと迎えに行くから。」

森はすっかり慣れた手つきで花を包んで渡してくれる。
それを受け取ってから店の外に出た。

「うわぁ。いよいよだね、水族館!
 わかった、智紀に伝えておくよ。
 じゃあ明後日ね!」

買い物袋とひまわりを持って店を後にする俺に、森が思いっきり 手を振ってくる。
俺もそれに笑い返しながら、思いっきり手を振り返した。


明後日は俺の恋人、野本弘和(ノモトヒロカズ)の車に森と智紀さん を乗せて水族館に行く事になっている。
俺と森は水族館に行った事が一度もない。
お互い子供の頃はそんな場所に行ける様な環境じゃなかったから。
だから俺と森の家庭環境を知っているヒロと智紀さんが、二人で 相談して計画してくれたんだ。
一昨日それを聞かされてからは嬉しくて堪らず、どうしても ソワソワしてしまって、ヒロから苦笑される事もしょっちゅうだった。
それは森も同じらしいと、昨日会社から帰って来たヒロが笑って いたけど。

七夕に森と再会して以来、俺達はしょっちゅう4人で過ごしている。
別にいつもどこかに行く訳ではないけれど、自分を大切に思って くれている人達と一緒に過ごせるというだけで、俺も森も毎回涙が 出そうな程の幸せを感じていた。
こんなに幸せでいいのだろうかと思うぐらい、すごくすごく甘やかして 貰っている。

つい数年前までは、まさか自分にこんな幸せが訪れるとは夢にも 思っていなかった。
だからいまだにいつも不安になる。
やっぱりこれは夢だったのかもしれないと。
目が覚めたらまたあの地獄の様な家の中だったり、見ず知らずの男に 金を貰いながら抱かれている自分だったりするのかもしれないと。

けれどそんな俺に、『これは夢じゃない』 と何度も何度もヒロが繰り返し言って、 安心させるように優しく笑ってくれる。
仁志は頑張って生きてきた分、誰よりも甘やかされる権利があるんだと。
仁志は誰よりも幸せになる権利があるんだと。
そして仁志を甘やかすのも、仁志を幸せにするのも、全部俺にやらせて 欲しいと……