シリーズTOP



昼時は混むからという智紀さんの指示に従い、昼より少し前に水族館内にあるレストランに行った。
オレンジ色のボックス席に座って隣のヒロが差し出してくれたメニューを見ると、沢山の海の幸の写真が並んでいる。
普段魚を食べるのは決して嫌いではないけれど、さすがに水族館で魚介類を食べる気になれず、向かいに座る森と意見が一致したので、普通のサンドイッチを頼んで半分ずつ分ける事にした。
そしてその後はヒロと智紀さんに催促されなければ食べる事を忘れてしまうほど、森と一緒に夢中でパンフレットに見入ったり、それを見ながら時々言葉を交わしたりした。


上の階から順に回ろうという事になってレストランを出たものの、先程よりも更に増えている人の多さに愕然とする。
昼頃からは混むので、早めに回って切り上げようと行きの車の中でヒロと智紀さんが話していたけれど、まさかここまで人が多いとは思わなかった。
一目で左手がおかしいとわかる俺は、どこに行ってもあちこちからチラチラと視線を向けられるので、それがとても落ち着かなくて怖くて堪らなくなる。
だから人込みがとても苦手だった。
どうしよう、とその場で立ち尽くしていると急に温かい手に左手が包まれたので、驚いて左隣にいたヒロを見上げると、『さて、楽しむぞ?』 と笑っている。
確かにヒロの温かさに包まれていれば大丈夫な気はした。
でも……と思いつつ顔が赤くなりながら右隣の森に視線を向けると、森も智紀さんの腕を掴まされて恥ずかしそうにしている。
その森とふと目が合って思わず二人で照れ笑いをしながら、歩き始めたヒロと智紀さんに引き摺られて行った。


ヒロは歩く時は左手を包んでくれ、魚を見る為に大きなガラスに近付く時は、左手を包んだまま両腕の中に囲い入れてくれる。
でもなんだか余計色んな人に見られているようですごく居たたまれなくなり、『あの…ちょっと…』 と言いながら両手でヒロの手を引っ張ってフロアの角に行くと、訝しそうにしている智紀さんと森も一緒について来た。
俺が言いたい事に気付いていたらしいヒロは、小声でそれを伝えると一度頷いた後に優しく笑った。

「どうせ男同士ってだけで色んなヤツから見られるだろ?
 でも俺達は別に悪い事をしている訳じゃないんだし、
 コソコソする必要なんか一つもない。
 だったら逆に俺達がラブラブなのを見せ付けて、その
 視線も含めて思う存分楽しまなくちゃな」

ヒロの台詞に唖然としていると智紀さんまで 『そうそう。楽しんだ者勝ちだ』 とか言って笑いながら、隣の森の頭をキャスケットの上からポンポンと優しく叩いた。
森は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑っている。
ふと周りに視線を向けると、俺が見ている事に気付いた人達は何故か照れ臭そうにしていたり、少し顔を赤らめながら視線を逸らしていく。
普段俺に向けられる、左手と顔を交互に眺めて眉間に皺を寄せていたり、横目で左手をチラッと眺めてバツが悪そうに顔を逸らしていくのとは種類が全然違った。
もちろん智紀さんと中性的な印象の森とは違い、ヒロと俺は男同士なのが一目瞭然だから、驚いていたり変な目を向けられる事もある。
けれどそれにはいつもヒロが一緒にいてくれる訳だから、ヒロがいてくれるというだけで俺は大丈夫な気持ちになる。

……ヒロは俺を人前から隠すのではなく、どうやっても俺に向けられる視線の種類を変える事で守ってくれているんだ……

その事に気付いた俺は、深い優しさを感じてどうしても目頭が熱くなるのを止められず、ヒロの右肩に顔を埋めた。
ヒロは繋いでいる右手でしっかり俺の左手を包んでくれながら、もう片方の手で優しく頭を撫でてくれ、智紀さんと森は俺の涙が止まるまで、ずっとそばで温かく見守っていてくれた。


そのおかげでなんだか吹っ切れた様に周りを気にする事がなくなった俺は、見るもの全てに目を奪われ、同じ様に智紀さんに守ってもらっている森と今見た魚がどうだの、あっちに見えるくらげがなんだのと話しながら夢中で歩き回った。
時々はヒロや智紀さんが説明を挟んでくれて、それに真剣に聞き入ったりもした。

触れ合いコーナーに行った時は、『仁志、この水槽覗いてみろ』 とヒロに言われるままテッポウウオという魚が入っている水槽を上から覗き込み、突然顔めがけて水をかけられ、呆然としたままヒロにハンカチで顔を拭いてもらいながらみんなに笑われ、タコを指差して 『森がいる』 と言った智紀さんに森が口を尖らせながら真っ赤になって怒るのを見て、本当にそっくりだ、と思いながら右手で口を抑えて笑った。
年甲斐もなくはしゃいでいる自覚はあったけれど、それでもこんな幸せな時間を過ごせる事が嬉しくて楽しくてしょうがなく、その一々に感動して胸がいっぱいになった。


見ていない所がないほど散々歩き回って水族館全てを堪能し、そろそろ帰ろうと駐車場に向かい始めた時、ふと見上げた隣のヒロの視線が周りを見渡すように動いた。
あ、と思って 『さっきあっちにあったと思う』 と斜め後を指差すと、そちらを見たヒロが自動販売機を見付け、そのまま俺に視線を移して優しく笑いながらスッと頬を撫でてくれた。
ヒロの考えていた事を理解できて、それを褒めてもらえた事がすごくすごく嬉しい。
照れ笑いをしていると財布から金を取り出したヒロがそれを渡してくれながら 『4人分買って来い』 と言ってくれたので、『ありがとう』 と森と一緒にお礼を言い、もらった千円札を握り締めながら二人で自動販売機に向かって走った。

先に選んでいいよ、と言うと、自分にイチゴミルクを買った森は、『智紀はブラックしか飲まないんだ』 と言って砂糖もミルクも入っていない缶コーヒーを迷わずに買い、俺も自分にウーロン茶を買ってから 『ヒロも大抵ブラックだけど今はこれかな?』 と言いながらミルクが少しだけ入った無糖の缶コーヒーを選んだ。
二本ずつ缶を胸に抱え、お喋りをしながら俺達を待ってくれているヒロと智紀さんの元に走って戻り、それをそれぞれの恋人に渡す。
そして智紀さんにポンポンと頭を優しく叩いてもらって嬉しそうに笑う森の横で、『よくわかったな』 と笑ってくれたヒロにまた頬を撫でてもらい、照れ臭さと恥ずかしさと嬉しさとが色々混じった温かい気持ちになりながら笑った。


****************


その後買い物をして帰るという森と智紀さんを、自宅近くのショッピングセンターまで送った。
助手席の窓を開けて智紀さんに今日のお礼を言い、森には、また花屋に行くから、と言って手を振る。
森も頷きながら大きく手を降り返してくれた。


「これからどうする?
 まだ夕飯には早いだろ?
 どこか行きたい所でもあるか?」

静かに車を滑り出させたヒロが話しかけてくる。
俺はフロントガラス越しに見える傾き始めた太陽を眺め、それから運転しているヒロの方を見た。

「海に……前にヒロが連れて行ってくれた
 海に行きたい……」

ヒロは驚いたような顔をしながら俺の方に顔を向けたけれど、ヒロの目をしっかり見つめ返した俺を見てすぐに優しく微笑んでくれる。
そしてまた前に視線を戻し、わかった、と言いながら左手を伸ばして、膝の上に置いていた冷たい右手を掴んでくれた。
その温かい手に自分から指を絡め、オレンジ色に変わり始めた太陽を黙って見つめ続ける。
ヒロも同じ様に黙ったまま、海に着くまでずっと俺に体温を分け与えてくれていた。