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「お前はどんな子供時代だった?」

佐倉が腕組みをしながら静かに口を開いたので、目の前にある鉄製の手すりに両腕を乗せて寄りかかりながら 『想像がつくだろ?』 と笑って返すと佐倉も笑いながら頷く。

「お気楽な子供時代だったよ。
 親から愛される事を当たり前と思って過ごして来た。
 お前もそうだろ?」

俺の問いに、あぁ、と佐倉は笑った。

「少なくとも飯の心配をした事も、親からの暴力に
 怯えた事もなかったな。」

それぞれの経緯を理解しあっている俺と佐倉は、同僚や親友というよりどちらかと言えば戦友に近いものがあるとお互いに感じている。
似たような境遇の恋人を持ち、その存在を守る為に必死で戦っているという点が同じだからだろう。


「そういえば、相変わらず森君はお前がいないと何も
 口にしないのか?」

ゴミをあさって必死で生きてきた森君は、食べる心配をしなくて良くなった分、今度は佐倉がいないと何も食べなくなってしまったらしい。
水すらも飲まないと、以前にぼやいていたのをふと思い出した。
すると佐倉が小さく溜息を吐きながら苦笑する。

「バイトもしている訳だし、体力が持たないからせめて
 何か飲むぐらいはしろと何度も言い聞かせたが、智紀と
 一緒の時じゃないと欲しいと思わないから、と言って
 きかない。
 あれは頑固だからな。」

やっぱりな〜、と俺も苦笑した。
まるで餌付けをされた雛のように、森君は佐倉がいなければ、そのまま食べ物を食べずに消えてなくなってしまうのではないかと思う。
どこぞの男が森君に手を出そうとしたらしいが、所詮無理な話だ。
森君の目はいつでも佐倉しか見ていないし、森君の耳はいつでも佐倉の声しか聞いていないのだから。


「仁志君はいまだに小遣いを受け取らないのか?」

俺はちょっと肩をすくめて頷いて見せる。

「相変わらず金を渡しても食卓の上に置いたままだ。
 何かを与えられると罰が当たるという考えが抜けきら
 ないから、怖いんだろうな。
 でも仁志を見ていれば欲しそうな物とかはわかるし、
 最近ようやく買ってやった服を嬉しそうに着るように
 なったから、少しは進歩したんじゃないか?
 ……簡単に癒えるような傷じゃないからな。
 一生かけてのんびり進むだけだ。」

二人で同時に小さく溜息を吐き、そして一緒に苦笑した。

「なんであんなに健気でいい子達が辛い思いをしなければ
 いけないんだろうな?」

親の暴力に怯えたりゴミの中から食べ物をあさったりした後は、唯一持っていたその体を生きていく為に売り続けた。
もちろん二人がその道を選んでいなければ今の俺達4人はいない訳だが、それにしても何故こんな社会なのだろうと思ってしまう。
すると佐倉も俺と同じ様に手すりに両腕を乗せて寄りかかりながら深い溜息を吐く。

「……だからだろ?
 今の世の中、純粋で健気でいつでも一生懸命な人間にしわ寄せ
 が来る。
 森や仁志君みたいな思いをしなければならない人間が少しでも
 減るように、どんな形でもいいから俺達大人が努力をするべき
 だろうな。」

本当にその通りだな、と俺も溜息を吐きながら仁志達に視線を戻し、おっかなびっくりイルカの方に近付いていく仁志と森君の姿を眺めながら二人で笑った。


****************


係りの人の説明を受けた後、少しずつ少しずつイルカの方に近寄って行く。
歩く時に右手と右足が一緒に出てしまうほど緊張していたけれど、森が背中にへばり付いていたので妙に俺が頑張らなきゃという気分になり、まずは俺から、と恐る恐る右手を差し出す。
イルカってこんなに大きかったんだ、と改めて驚きながらそっと握手をすると、冷たいけれど、絹の様に滑らかでゴムの様に弾力のある不思議な肌触りにすごくドキドキした。
俺に続いて腰が引けながら握手をした森も、ただでさえ大きな茶色い目をもっとまん丸にしてイルカを見つめ、そして他の子供達も握手を終えて、最後はイルカに向かって全員で手を振る。
イルカも係りの人に指示を受けてしっかりバイバイを返してくれ、つぶらで優しい瞳を見ながら何故か涙が零れそうになった。


ヒロと智紀さんの所に戻った俺達は、ずぶ濡れの姿を二人に笑われながらいつの間にか用意してくれていた着替えを手渡され、そのままトイレに直行した。
他の人の迷惑にならないよう狭い個室に一緒に入って着替え、お互いに付けられているキスマークを見て、照れながらも指差しあって笑った。
森と友達でいられて本当に良かったとつくづく思う。
家庭環境に恵まれなかった事も、体を売って生活してきた事も、今は大事な恋人に守ってもらっている事も、全て共通していて思いを全部分かり合えるから。
だから森が幸せそうな顔をしていると俺まで幸せな気分になるし、森も俺が笑っている顔を見てその度に笑っている。
恋人とは違うけれど、友達というのはとても大きい存在だと思う。

智紀さんと色違いのベージュのキャスケットを被り、ファー付きのダウンジャケットの下に淡いトーンのパーカーとカーゴパンツ姿の森は、いつ見ても中性的なイメージで本当に可愛い。
そして俺が今着替えたのは昨日ヒロが買ってくれた服。
普段夕飯の買い物しか出かけないので、今持っている服だけで充分だと何度も言ったのにもかかわらず、『いいからいいから』 とヒロは笑いながら次々と俺に試着をさせた。
相変わらず店員の視線や恥ずかしがる俺にはお構い無しに 『これ着ると可愛いな〜』 とか 『やっぱりこっちの方がもっと可愛いかな〜?』 とか言って、結局刺繍入りの細身のジーンズにUSED加工のロングTシャツ、そして最後にリブ付きのショートブルゾンを買ってくれた。
この前雑誌に乗っていたショートブルゾンを、しばらく眺め続けていた事に気付いていたのかもしれない。

俺はいまだに何かを貰ったりする事がとても苦手だ。
今度こそ罰が当たるんじゃないかという不安がどうしても襲い掛かってくるから。
けれどその度にヒロは俺を抱き締めて 『俺が守るから大丈夫』 と何度でも言い聞かせてくれる。
そしてそのおかげで最近は買ってもらった服を着る事がとても好きになった。
『俺が買った服を着ていれば、俺がいない間も一緒にいられる気分になるだろ?』 と笑って言ってくれたから。
だからヒロが会社に行っている間はヒロに買ってもらった服を着て、ヒロの気持ちに包まれながら絵を描いたりしている。

目を閉じて袖を通したブルゾンごと自分の体を抱き締めてみると、ヒロの温もりがよみがえって来る気がした。

俺は今、本当に本当に幸せだ……

しみじみ思いながらそっと目を開けると、不思議そうな顔をした森が首を傾げながら俺を見ていたので、急に恥ずかしくなって慌てて下を向きながら、バサバサと音を立てて濡れた洋服を袋に仕舞った。