シリーズTOP



ふと気付くとTシャツとトランクスだけの姿で、ベッドの中で丸くなっていた。
そっと目を開けて枕に顔を埋めたまま周りに視線をめぐらすと、俺の着替えとかを入れさせてもらっているベッドサイドのチェストが見え、その上に置いてある目覚まし時計を見ると、あれからそんなに時間が経っていない事がわかった。
部屋自体の電気は消されていて暗いものの、背中側からいつもヒロが読書用につけているスタンドライトの光を感じる。

元々浅い眠りを繰り返すだけで何かあればすぐに目が覚める体質なので、ここに運んでもらったのも服を脱がしてもらったのも全く気付かなかった事に自分でも驚きながら、ボーっとしている頭を横に振って起き上がろうとした。
すると頭に優しく手が置かれ、背中側から声をかけられる。

「もう起きたのか?」

ハッとしてそのままコロリと寝返りを打つと、ベッドのヘッドボードに立てかけた枕に寄りかかり、家用の眼鏡をかけて何かの本を読んでいたらしいパジャマ姿のヒロが優しく微笑みながら俺を見下ろしていた。
そう言えば散々泣き喚いて、そのままヒロの腕の中で泣き疲れて寝てしまったような……

一気に先刻までの事を思い出して、さーっと血の気が引いていくような、逆にかーっと顔に血が上っていくような、怖いんだか恥ずかしいんだか自分でも良くわからない感覚に襲われた俺はどうしたらいいのかわからなくて、軽い羽毛の掛け布団を掴んで頭から被ろうとした。
するとヒロがクスクス笑いながら本をサイドテーブルに置いて掛け布団を引っ張ったので、顔を隠せなくなった俺はそのまままた掛け布団を引っ張り返す。
しばらくそうやって掛け布団の引っ張り合いをした後、ヒロがすごくおかしそうに声を上げて笑った。

「仁志ぃ〜、そんな可愛い事してると襲うぞ?」

完璧にからかっているんだろうヒロの声に、思わず布団から顔を出しながらヒロの方を見上げて言い訳をしようとする。

「あの、俺はただ……」

泣き過ぎて腫れぼったい上に、青くなったり赤くなったりして目も当てられないだろう顔を隠す為に……、と言おうとして、その顔を自分自らさらけ出している事に気がついた。
俺の言いたい事に気付いているらしく、可笑しそうに目を細めているヒロと一瞬目が合い、バババッと顔が赤くなるのを感じながらもう一度掛け布団を引っ張った。
既にヒロは布団から手を離していたので、思っていたよりもスムーズに布団の中に隠れられた事にホッとしながら、そのまままた背を向けようとすると、『背中を向けるのは反則だろ?』 と笑いながら掛け布団を引き剥がされ、片手で外した眼鏡をサイドテーブルの本の上に置いたヒロに、強引だけれど優しく腕枕に引き入れられた。
骨と皮だけの俺とは違い、パジャマを通してもわかるしなやかな筋肉に覆われた逞しい体。
触れている全ての場所から伝わってくる、俺よりも高いヒロの体温。
それらを意識して心臓が口から飛び出してしまいそうなほどドキドキしながら緊張で身を硬くしていると、それに気付いたヒロは俺の前髪に優しくそっと口付ける。

「今日はこのままもう一度ゆっくり寝るといい。
 煩悩だらけの俺としては、本当は今すぐお前を抱かせて
 欲しいところなんだけどな。
 でも心は仁志に受け取ってもらえたと思ってるから、体を
 受け取ってもらうのはゆっくり寝て体力を回復した、次回の
 お楽しみに取って置くよ。」

その台詞に照れながらもおかげで体の緊張があっという間にほぐれ、思わずふふっと笑ってしまった。
明るくて大らかなヒロのおかげで、あんなに取り乱して泣いた先程の出来事が嘘のように心が落ち着いている。
こんなに安心して穏やかな気持ちになったのは、記憶にある限り生まれて初めてだろう。
涙と一緒に、何か憑き物が落ちたかのようだった。
泣き過ぎた為にボーっとした頭と腫れぼったい顔は重いけど、その分心がすごく軽かった。

ヒロは腕枕をしていないほうの手で、掛け布団の上からポンポンと優しく背中を叩いてくれる。
そして 『俺の美声で子守唄を歌ってあげよう』 と言って本当に子守唄を歌ってくれるヒロに笑いながら、温かい声と体で安心感に包まれて、俺はもう一度深い深い眠りに落ちた。


****************


翌日目が覚めたのは夕方近くで、泣くっていうのは結構体力を使うものなんだと少し驚いた。
当然のごとくベッドにヒロはいなかったので、目を擦りながら寝室を出て居間に向かうと、カーテンが開け放たれた明るい窓の向こうに洗車をしているヒロが見える。

ヒロは眼鏡やサングラスを集めるのが趣味だと言うだけあって、すごく沢山の種類を持っている。
それらを仕事用・家用・休日用と使い分けていた。
今ヒロがかけているのは休日用の少しブラウンがかったサングラス。
それに胸元が広めに開いたダーク系のニットを着て、クラッシュ加工のジーンズを穿いている。
すごくカッコ良くて見惚れる反面、首にかけているタオルがなんともヒロらしくて、思わず笑いが込み上げた。
見ているのがバレないよう居間のドアに隠れてドキドキしながらしばらくその姿を眺めた後、シャワーを浴びさせてもらう。
そしてヒロのとは違って安物のいつものジーンズとパーカーに着替え、玄関から靴を持ってきて居間の窓から庭のテラスに出た。


「おはよう。よく眠れたか?」

俺に気付いてホースの水を止めたヒロが、首にかけていたタオルで手を拭きながら声をかけてきた。
何だか少し気恥ずかしくて、遠慮がちに、おはよ、と返して頷きながらカーポートに入って行くと、まだ冷たいその両手でいきなり俺の首に触れたので、思わず 『うわっ!』 と叫びながら庭の方に逃げ出す。
でもヒロはからかうように笑いながら追いかけてくるので、俺も笑いながら必死で庭やテラスを逃げ回った。
結局体力のない俺はあっという間にヒロに捕まえられ、ぜぇぜぇ肩で息をしている体を後ろ向きに抱き締められながら、その腕の中でヒロと一緒に笑った。

昨日あれだけ泣いてぐっすり寝て、すっかり心も体も軽くなった俺は、その後車に乗って一緒に買い物に行き、ヒロが作ってくれた夜ご飯を食べる間もずっと笑いっ放しだった。
笑った事など無かった過去を、その日一日で全て塗り替えてしまえるほどに。


夜ご飯の後片付けを終え、いつも通りソファで一緒に座ってワインを飲みながら話すヒロの話を笑いながら聞く。
そして起きた時からずっと考えていた事を実行する事にした。

「ヒロに見て欲しいものがあるんだ」

突然口を開いた俺に、怪訝な顔をしながらワインをテーブルに置いて 『俺に見て欲しいもの?』 と首を傾げるヒロに頷いて立ち上がると、ヒロもソファから立ち上がったので、俺はそのまま寝室に向かった。


訝しげにベッドのそばに立っているヒロに背中を向けてチェストの前にしゃがみ、引き出しの一番奥からある物を取り出す。
そして振り向きながら立ち上がって、丁寧にたたんであるそれを手渡した。
それがあの時の飴の包み紙だとすぐに気付いたらしいヒロは、それを掌に乗せたまま、眼鏡の奥にある目を丸くしながら呆気に取られたように俺を見ている。

「どんなに辛かった時も、いつもそれが俺を支えてくれた。
 だから、ずっとずっとお礼を言いたかったんだ。
 ヒロとの出会いが無ければ、とっくに頭がおかしく
 なって死んでいたと思うから。
 ……俺に、生きる意味と勇気をくれて、ありがとう。」

声が震えないよう、ゆっくりと、一言ずつ伝えた。

……俺は今、うまく笑えているだろうか。
ちゃんとお礼の気持ちが伝わっただろうか。
生まれて来て良かったと、初めてそう思わせてくれたヒロに、俺の精一杯の気持ちが伝わっただろうか……


「……まったくなんでお前はそんなに……」

呟くように言ったヒロはチェストの上にそれをそっと置き、そのまま俺の頭を強い力で抱き寄せた。
ヒロが何を言おうとしたのかはわからないけれど、ずっと言いたくても言えなかった言葉を、やっと伝える事が出来てホッとした。
おずおずとヒロの背中に手をまわすと更に強い力で抱き締められ、少し早めのヒロの鼓動が伝わってくる。
良かった。
ドキドキしているのは俺だけじゃなかった……


しばらくそのまま抱き締められた後、少し体を離したヒロを見上げると、真っ直ぐで熱い視線と目が合った。

「キスを…していいか?」

ヒロの腕の中で言葉を伝えられた安堵感と安心感に包まれながら、少し顔を赤くしつつも頷いて目を閉じる。
そしてそれと同時に熱い唇が俺のそれにそっと触れた。
誰かとキスをするのはもちろん初めてじゃない。
だけどいつも強引に無理やりされるばかりだったから、ただ唇を合わせるだけというこの行為が、こんなに感動をもたらすものだとは夢にも思っていなかった。

ゆっくりと唇が離れていったので、それと同時にそっと目を開ける。
するとヒロが俺の左手を持ち上げてそこにもキスをした後、安心させるようにすごく優しく笑ってくれた。

「数え切れないほどのお礼を言わなければいけないのは
 俺の方だ。
 だから仁志が今まで頑張ってきてくれた分、これからは
 仁志を甘やかすのも、仁志を幸せにするのも、全部俺に
 やらせて欲しい。
 一緒に、幸せになろうな?」

俺とは一生縁がないと思っていた 『幸せ』 という言葉に、全身の震えが止まらなかった。
今のこの気持ちを、どう表現していいのかわからなかった。
でも口を開けばきっとまた涙が零れてしまう。
だから勇気を振り絞ってヒロに手を伸ばし、今の俺の全部を込めて自分からキスをした。



※次は18禁※苦手な方はご注意を