Thanx!500000HIT!

spring storm(春嵐)
- 11 -



若衆の方の先触れで、皆それぞれ自分の席に戻って姿勢を正す。
芸者さん達は一度席を外し、私も失礼にならないよう、芸者さん達のやり方を思い出しながら見よう見まねで御端折りや襟元を整え、全く手をつけていない自分のお膳の前に座り直した。
鰆のお刺身やら甘鯛の桜蒸しやら春野菜を使った煮物など、お花見にふさわしい、目にも鮮やかな春を彩る料理が並んでいる。
きっととても上品な味わいで美味なのだろう、と眺めながらも、着物は苦しいしお酒で胃はいっぱいになっているしで、相変わらず食欲は全く湧いて来なかった。

そんな事をぼんやりと思っているうちにスッと襖が開けられ、広間にいた全員が 『お疲れ様です』 と一同に頭を下げたので、私もそれに倣って少し頭を下げる。

「皆ご苦労。
 ……ほぅ、これはこれは……
 のう良哉、この度の黒神桜は随分と妖しい色気が
 漂っているとは思わんか。」

その言葉で頭を上げると、垢抜けた、深い味わいのある青みかかったグレーの着物を召している黒谷さんを始め、西道さんや十人衆の方々も、黒谷さんの後に続いていた黒いスーツ姿のリョウに興味津々の眼差しを向けている。

当のリョウはやはり私の姿に驚いたようで、珍しく目を丸くしながら一言も言葉を発さずに敷居を跨いだまま足を止めた。
けれど次の瞬間瞳が鋭く光り、頭の天辺から足の爪先まで走らせる視線が次第に緊張感と険しさを増していく。
さすがにこのままだとリョウの怒りが爆発しかねないと思った私は、自分が納得した上だと知らせる為に、視線を合わせながら僅かに微笑んで頷いて見せた。
リョウは元々この着物の意味を知っているのだから、それだけでわかってくれるだろう。

少しの間視線を絡ませると予測通りすぐに気が付いてくれたようで、微かに舌打ちしながらも軽く頷いて返して来た。

「……色々手を打って頂いたようで感謝します」

リョウが頭を下げる様子をホッと胸を撫で下ろしながら見ていると、黒谷さんは 『まったくお前は……』 と言いながら苦笑を漏らし、それに合わせるように西道さんも十人衆の方々も楽しそうに笑い出す。

「せっかくここまでお膳立てしたというのに、もう少し
 動揺してくれんとわしの楽しみが減るんだがなぁ?」

顔を上げて 『すいません』 と返すリョウに、黒谷さんはリョウの肩をバンッと荒っぽく叩いてクックと笑い続けていた。


****************


『ちと物足りんから一杯だけ付き合え』 と黒谷さんに言われたリョウは、一瞬眉間に皺を寄せたものの黙って頷いた。
そして踵を返すといきなりつかつかとこちらに歩み寄って来る。
黒谷さんはしてやったりとほくそ笑みながらその姿を眺めていて、他の方達も忍び笑いを漏らしていた。
リョウももちろんそれに気付いているのだろうけれど、そんな事に構っていられないほど不機嫌なようで、腰を屈めて私の手首を手荒に掴むと、一瞬刺し貫くように見詰めて来る。
けれどすぐに視線を逸らしてそのまま強引に立ち上がらせると、新たに用意された自分用のお膳の前に腰を下ろし、私をすぐ隣に引き寄せて座らせた。

黒谷さんが上座に座られ、顔を出して挨拶をした女将にお酌をしてもらうと、他の方達も広間に戻って来た芸者さん達から再度乾杯をする為にお酌を受けている。

けれどリョウは 『どうぞご一献』 とにこやかにお銚子を差し出してくれた芸者さんに 『いらん』 とにべも無く答えて、右手に持った盃を私の前に突きつけて来た。
こちらに視線を向けようとはせず、けれど掴んだ手首は全く放してくれる様子がないまま……

内心苦笑しながらも、申し訳ない気持ちを込めてその芸者さんに軽く目礼すると、気にするなというように微笑んでくれたので、掴まれていない左手でお銚子を持ち上げ、片手でリョウの盃にお酒を注いだ。


黒谷さんを中心に西道さんの音頭で改めて乾杯を終えてからは、周りの方々は 『良哉が戻って来た途端に遼と話せなくなってつまらん』 と軽口を叩いて笑いながら、皆それぞれに芸者さんとの会話を楽しんだりしていた。
空腹にお酒を流し込んだおかげでかなり酔いが回って来ていた私は、手首を掴まれたまま、もっぱら片手でのお酌に徹している。
リョウはお膳に箸を付ける事無く、時々かけられるからかうような言葉に鋭い視線だけを返し、黙々とあおるように飲み進めていた。


手首を痛いほどに掴んでいるその手からは、確かに苛立たしさが伝わって来る。
けれどただそれだけではない、私を支え、守ろうとしてくれている気持ちも明確に溢れていた。
リョウの深い思いに包み込まれている何とも言えない心地良さのおかげで、自分でも気付かないうちに強張っていたらしい体から余計な力が自然と抜け落ちていった。
それが伝わったのかリョウの力は少し緩められたけれど、掴まれていた手が解かれなかった事に、密かに安堵の息を漏らす。


力強くて温かい、何ものにも換えられないこの手をいつまでもずっと離さないでいて欲しいと、心の底から強く願っていた。