峻君によると、どうやら仕事の合間を縫って無理やり抜け出して来たらしく、またすぐ事務所に戻らなければならないらしい。
けれどリョウは一旦テーブルにつき、私と話していた峻君にまるで八つ当たりをするかのようにビールを持って来るよう言いつけた。
慌てふためきながらキッチンに消えて行った峻君が走って戻って来ると、その手から缶を引っ手繰ってプシュッと蓋を開けるなり、ゴクゴクと浴びるように飲み始める。
「明後日遼さんは休みだと聞いたんですが……」
テーブルを挟んで向かいに座った3人にお茶を出した後、リョウの隣で飲み掛けだった缶ビールに口をつけた私に、土岐君がチラチラとリョウの方を気にしながら尋ねて来る。
何の気なしに、えぇ、と返すと土岐君は少し迷った様子を見せてからまた口を開いた。
「その日、花見に行きませんか?」
「お花見ですか?
でもリョウは会議があるんですよね?」
「寄り合いが終わってから組長や十人衆の面々で行な
うんですが、兄貴は…あの……用事が終わってから
遼さんを迎えに行くだけなんで、その場には……」
意味がわからなかった。
私がリョウのいないお花見に行くはずなどないのに……
不思議に思いながら隣に視線を向けると、リョウは私に視線を返す事無く黙々とビールを喉の奥に流し込んでいる。
その様子を見れば多分これがリョウの機嫌の悪さに深く関連しているのだとわかったので、簡単には答えを口に出せないと思い、『どういう事ですか?』 と尋ね返した。
すると右京君が 『…兄貴…』 と控えめに声をかけ、リョウが苦々しげに舌打ちしながらも頷いたのを確認すると、一度ゴクリと唾をのみ込んでから緊張した面持ちで話を始める。
それに寄ると。
リョウ達の世界では地方に行ったり接待を受けたりする時など、必ずと言っていいほど女性が付き物なのだという。
当然一夜の関係を共にする為に女性が割り当てられる訳だけど、黒神の昇龍がその接待を一切受けないのは有名らしい。
ただ理由は表立って伝えられてはいないので、事情を知りたがる人達は後を絶たないし勝手な噂も様々に流れている。
そんな状況の中、組長の西道さんと五分の兄弟(同等の立場)である合田(アイダ)さんという人が、リョウに自分の娘を差し出したいと西道さんに申し出て来た。
それはこの世界では珍しくない政略結婚を意味するので、西道さんは黒谷さんに結論を託し、黒谷さんは返事を保留にしている。
けれど、巷は既にリョウの結婚話で持ち切りだそうだ。
黒神の昇龍がどこかの組に関連する人と姻戚関係を結べば、当然のごとくリョウ達の世界には様々な波紋が拡がるし、たとえ断ったにしても今まで女性を抱かずに来た理由の在り処が垣間見え、この先様々な展開に利用出来るかもしれない。
だからその結婚話がどんな結末を迎えるのかを、どの人も固唾を呑んで見守っている。
組を介している上合田さんが組長の西道さんと五分である以上、若頭であるリョウには自分で判断し、結論を下す権利が与えられない。
それにたとえ西道さんが断ったとしてもここまで噂が広がってしまえば合田さんのメンツを潰す結果になり、こちら側が非としてどこで抗争に発展するかわからない。
合田さんが率いる二代目鳴海組はそれなりの規模を持つ組である為、抗争になればそれ相当の痛手をお互い被るだろうし、黒神一家としてもやはり余計な血を流すような事態は避けたいという話だった。
「遼さんの存在は黒神の上層部ならば皆知っています。
それ以外や他の組でも、性別まではわからずとも
『ハルカ』 という名前だけを聞いた事がある人間は
それなりにいますし、合田組長もその一人です。
ですが、女房以外に情婦を持つというのは当たり
前のような話ですから……」
「『ハルカ』 がいても結婚に支障はない、と?」
後に続くだろう言葉を代弁すると右京君は視線を下に落として黙り込み、他の二人も俯き加減で堅く口を閉ざしている。
リョウも私から視線を逸らしたまま、握り締めたビールの缶を穴が空くほどに見詰めていた。
……肯定、という事ですか……
リョウの立場上、いつかそういう話が来るかもしれないとは心のどこか片隅で思っていた。
けれど、リョウが私以外の誰かと……と頭を掠めるだけで心が完全に拒否反応を起こしてしまい、深く考えるのを無意識に避け続けて来たのかもしれない。
リョウが……結婚……
盤石だと思っていた足元が、何の前触れもなくガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようだった。
頭の中は真っ白になり、何をどう考えどう受け止めたら良いのだか全くわからない。
けれど……とにかく最後まで話を聞かなければ……
辛うじて思い直した私は、これ以上聞きたくないと耳を覆いそうになっていた両手で伸びかけの髪をかきあげ、僅かずつ細く息を吐きながら自分を奮い立たせる。
「……そこまではわかりました。
ではそれとお花見がどう関係あるのですか?」