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首7

その後絢菜さんとはもう一杯ずつ頼んでグラスを傾けながら様々な話をした。

私は彼女に特別な話をしようなどと、そんなおこがましい事は元々思っていない。
ただ、性別は関係無く楽しく会話を交わせるという事を、彼女に知ってもらうきっかけになれれば嬉しいと思っている。

アルコールが進んだおかげか緊張もほぼ解れたようで、私の話にクスクス声を立てて笑ったり、銀行で働いているという彼女に仕事について質問をすると一生懸命に答えてくれたり、とても穏やかに時を過ごした。


お互いのグラスが空になり、そろそろ家まで送りますよ、と言ってスツールから腰を上げると、彼女も私にならって立ち上がる。
彼女には先にバーを出るように促し、バーテンダーにお礼を言いながら会計を済ませた。
そしていまだにカクテルを飲めずに、頭を捻りながら上の砂糖だけを指でチビチビと摘んで舐めているミキ君にクスリと笑いながら近付く。
いかにもミキ君らしく、カクテルをどうやって飲むかという悩みに夢中で当初の目的を忘れているらしい。
ポンポンと肩を叩くと、私の方を振り返りながら慌てて立ち上がろうとしたので、そのまま彼の肩に手を置いてそれを止めると、耳元に口を寄せて早口で囁く。

「砂糖を挟むようにレモンのスライスを二つ折にして、
 口に入れたそれを噛み締めながら一気にブランデーを
 流し込むのですよ。
 口の中で作るカクテルでおいしいですが、アルコール
 度数は高めなので気をつけて。
 心配して来てくれたお礼ですから私の奢りです。
 この先は彼女を送り届けて真っ直ぐ私の飼い主の許に
 帰りますからご心配なく。」

「遼さんの飼い主?」

意味がわからないというように首を傾げるミキ君にクスっと笑い、軽くネクタイを緩めて、チリン、と鈴を鳴らして聞かせる。
どうやら意味を把握したらしく、口をポカンと開けた彼の肩をネクタイを直してからポンと軽く叩く。

「私はリョウのネコですから。」


****************


部長の家は住宅街にある洒落た一軒家で、自宅から歩いて15分程度の距離にあった。
絢菜さんが玄関に入るのを確認したら歩いて帰ろうと思い、迷わずタクシーを帰した私は彼女と一緒に門の前まで行くと、『今日は楽しい時間をありがとうございました』 とお礼を言った。
彼女と過ごした時間は本当に楽しかったし、彼女も私との会話を楽しんでくれているのがわかったから、それがとても嬉しかった。

彼女は 『こちらこそありがとうございました』 と頭を下げ、そのまま少しの間何かを言い淀んだ後、頬を赤く染めながら私を見上げる。

「あの、父から聞かされているとは思いますが、私は少し
 男性が苦手で……
 何か威圧感のようなものを感じてしまって、うまく会話が
 出来ないんです。
 でも恋をしたいとは思っていて……
 それで折原先生だけはそういうのを感じなくて、今日も
 とても楽しくて、だから、先生だったら、あの……」

そこまで言うとまた下を向いて押し黙ってしまった。
彼女がこの後にどんな言葉を望んでいるのかわからないほど子供でも野暮でもない。
けれど私は彼女の気持ちに応えることは出来ない。
どうすれば出来るだけ傷付けずに済むだろうかと一瞬考えたものの、そんなのはやはり無理な話。
だったら多少傷付ける結果になったとしても、好意を向けてくれる彼女とは正直に、しっかり向き合って話をするべきだと思った。

「男性女性問わず世の中には様々な人が存在しますから、
 確かに威圧感を与える方も中にはいるでしょう。
 ですが少しだけ勇気を出して色んな方と会話を交わし、
 一歩ずつ世界を広げて周りを見渡せば、そうではない
 人の方がずっと多いことがわかると思いますよ。
 たまたまその一人目が私だったという事でしょうから、
 そう思って頂けたならとても光栄ですし、嬉しいです。
 けれど私には大切な人がいます。
 ですから絢菜さんが絢菜さんらしく、いい人間関係を沢山
 作り、いい恋愛を沢山して、更に素敵な女性に成長される
 事を一人の友人として心から祈っています。
 お世辞でもなんでもなく絢菜さんは今のままで充分魅力的
 な方ですから、ゆっくりと焦らずに進んでくださいね。」

少し顔を上げて真剣に私の話に聞き入っていた彼女は、キュッと唇を引き結びながらも小さく頷いた。
『わかってくださってありがとうございます』 と微笑みながらお礼を言ったものの、やはり瞳を潤ませている彼女を見ていると、胸が痛まないと言えば嘘になる。
すると彼女が 『その大切な方というのは先生の恋人なんですか?』 と尋ねて来た。
私はその質問に迷わず 『えぇ』 と答え、それから少しの間考えて口を開く。


「先程絢菜さんは恋をしたいと仰いましたよね。
 では絢菜さんにとって恋とは何だと思いますか?」

後ろで手を組み、雲一つなく晴れ渡った夜空を見上げながら尋ね返すと、少し困った顔をしている様子が視界の端に見えた。

「誰かを…好きになる事、じゃないんですか?」

「そうですね、私もそう思いますよ。
 ですが答えはそれだけではないのだとも思います。
 恋とは何か、先人達が様々な議論を戦わせ、数え切れ
 ないほどの珠玉の言葉を残し、現代の私達も常にその
 答えを求め続けています。
 それだけ恋というものには様々な形があり、人間に
 とっての永遠のテーマなのでしょうね。
 その中で、最近私が身にしみて実感している有名な
 台詞がありましてね。」

私はそっと目を閉じる。
目蓋の裏には今見ていた夜空がそのまま映っていて、静寂に満ちている空間には聞こえる筈のない鈴の音が優しく響いている気がした。

リョウ……今すぐ貴方に触れたい……

鈴の音が遠ざかってしまわないよう静かに目を開け、ゆっくりと彼女の方に視線を向けて微笑んだ。

「『恋はするものではなく落ちるもの』
 私は恋をしたいと望んだ訳ではなく、気付いた時には
 既に恋に落ちていたんです。」