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足12

驚いている僕には全く視線を向ける事無く、宗さんは悠然と歩み寄って来た。
そしてなんの屈託もなさそうに微笑んで、徳田さんに軽く頭を下げる。

「本日は当ホテルのご利用、まことにありがとうございます。
 先程徳田さんがこちらのバーに入られるお姿を、たまたま
 お見かけしたものですから、出過ぎた真似かとは思いまし
 たがご挨拶に参りました。」

……たまたま、って言葉に少しだけ力がこもってなかった……?

驚きで呆然としている自分とは別に、もう一人の僕がそんな事を思っている。

それにしても、宗さんがこのホテルグループの総帥だったという事実には、 今の今まで気が付かなかった。
実は僕って、あまり宗さんの仕事の内容を知らない。
もちろん宿での仕事や大きなグループ会社の社長さんだっていうのは わかっているけど、社長業務に関しては特に、あまりにも僕とは世界が 違う上に多岐に亘っているので、具体的に話を聞かせてもらっても、 きっと僕には理解出来ないだろうとわかっているから。
けれど、そういえばホテルに入るなり従業員の人が足早に近寄って来ていたし、 上にあるレストランが中山さんのお墨付きだって宗さんが言っていたんだった。
それはだからだったんだ、と今更ながらに納得する。

どちらかと言えば鈍い僕には珍しく、一瞬のうちにそんな事を考えながら 二人を眺めていると、さっきまで総帥なんて知らない、と 言っていた筈の徳田さんが、宗さんの言葉に慌てて立ち上がって深々と一礼していた。

「出過ぎた真似なんてとんでもありません!
 総帥自ら足をお運びになって、わざわざご挨拶頂けるとは
 大変光栄、恐縮です。
 ですが、何故私などの事を……?」

「もちろん存じ上げておりますよ。
 直接お会いする機会こそ恵まれませんでしたが、グループの
 建築設計に、大変実力のある建築士の方にご尽力頂いて
 いると、以前から耳にしておりました。」

実力、だなんて滅相もありません。」

……徳田さんもまんざらでもないらしい。
宗さんも、嘘ばっかり。
徳田さんのことなんて知らなかったクセに……

だけどきっと、仕事上色んな付き合いをしなければいけない宗さんの立場を 考えれば、ここは見てみぬフリを装ってやり過ごすべきなんだという事ぐらい 僕にだってわかる。

仕方が無く僕は座り心地のいいハイスツールに再度深く腰掛けて、両足を軽く プラプラさせながら、せっかくバーテンダーが淹れてくれたウーロン茶をゴクリと 一口飲んだ。

ウーロン茶の程よい冷たさが、いつの間にかお酒のせいで火照っていた体と、 宗さん登場の驚きを鎮めていってくれる気がする……


「先日も幕張のホテルで優秀建築賞を頂いたようで。
 お骨折り、実に感謝しております。
 そしておめでとうございます。」

「いえいえ、私なんかの力ではありませんよ。」

……世の中の人達って、みんなこんな会話をしてるんだろうか?

こういう場なんだから宗さんがいつもと違うのは大目に見るとはしても、 徳田さんも、さっきまで僕と二人だった時の雰囲気とは何か違う気がする。
でもこれが世間というものなんだと、わからないながらも無理やり理解してみる。
多分こういう会話を繰りかえさなければならないのだろう、接待という仕事が 多い宗さんの仕事は本当に大変だな。
社長業を、あの宋さんが嫌がるのもわかる気がする。

……でも。
それにしても、二人とも、握手をしたままの手を離していない。
なんか…やだな……


いつの間にやらクルリクルリと回り始めた頭と、ぼわ〜んと火照った 顔でそんな事を考えている。
そして宗さんと徳田さんは、耳だけはダンボのように大きくはしていても、 せめてそちらに視線を向けないようにと一生懸命努力している僕など まるで存在しないかのように、いまだ握手をしたまましばしそんな会話を繰り広げていた。
とは言っても、実際上時間的にはほとんど経っていないんだろうし、 それに会話というよりは、徳田さんが一方的に話している方が多いみたいだけど。
けれど僕はその様子に、だんだん悲しさが込み上げて来た。


宗さんとの距離は、僕の短い足で歩いたって多分数歩しかないだろう。
だけど今は、その数歩が途轍もなく遠く感じられた。
まるでお互い全く知らない他人のように。

……だけど、あの手は。
昨日ずっと僕と繋いでくれていた宗さんのあの手は……
……僕のじゃなかったの?
宗さん、何で徳田さんといつまでも手を離さないの……?


飲み慣れないお酒のせいか、急激に収集がつかないほど心が千路に 乱れ始めた僕は、慌ててウーロン茶のグラスを頬に押し当て、そのピリッと した冷たさで少しでも気を逸らそうとしてみる。

気持ちいい……

軽く目を閉じてその気持ち良さを堪能しながら、静かに流れる音楽に耳を傾けた。
僕と宗さん、徳田さん、バーテンダー以外誰もいない店内には、先程から 優しい音色のジャズが静かに流れている。
宗さんのお父さんが洋楽好きだそうで、宗さんも宋さんも中山さんも その影響を受けているらしいんだけど、宗さんは中でもジャズが好きで、 今の家でも宿にいる時も、テレビをつけずにジャズを流している事が多い。
なので僕も最近は耳に慣れて来たし、だから少しは気が紛れるかもしれない と思ったんだ。
が。
次に流れ始めた曲が悪かった。


宗さんと一緒に過ごすベッドの中で、何度と無く聴いてきた曲……
大抵僕は宗さんの腕の中で途中から何が何だかわからなくなってしまうんだけれど、 それでもこの曲のどこか優しくて切なくなるようなフレーズは、頭の片隅に こびりついている。
そしてこの曲と同じ様に、宗さんは僕を優しく抱き締めながら、『愛していますよ』 と 切なそうにいつも囁いてくれるんだ。
そういえば昨夜はあんな状況だったから、さすがに音楽はなかったけれど……


『……ユヅキは誰が欲しい……?』

ドキンっ!!


急いでパチリと目を開け、慌てふためきながら少し乱暴に ウーロン茶のグラスをテーブルに戻した。
グラスの中の氷達が、動揺している僕の心と同じ様に、驚きながらお互いがぶつかり合って、 カランカランと音を立てている。

音楽に気を取られたせいで、急に 昨夜の宗さんを思い出してしまった。
そして目蓋の裏に浮かんだその姿が、すぐそこにいる今の宗さんと被ってしまって、 自分でも驚くほどリアル過ぎた図になってしまった為に、跳ね上がった心臓が止まらない。

ドキドキドキドキ……

ダメだっ……!
宗さんも徳田さんもすぐそこにいるんだから、こんな様子を見られたら絶対変に思われる……

僕はそれらを振り払おうと、またギュッと目をつぶってブンブン首を横に振った。
だけどそんな僕自身の必死な抵抗にも関わらず、顔は火が点きそうなほど熱く なっていくし、おまけにまるで理性が働かなくなってしまったかのように、 勝手に暴走し始めた心の一部だけがどんどん止まらなくなっていく。

今はダメだと思えば思うほど昨夜の宗さんが目の前にチラついて、おかげで宗さんの手が 恋しくて恋しくて仕方が無くなり、だからこそ余計に徳田さんと握手をしたままなのが 悲しくて許せない。

こんな自分をどうやって止めたらいいのかわからなくて、だけど宗さんに助けを求めようにも 当の本人は徳田さんと握手したままで、それがまた悲しさと怒りを増幅させるという 堂々巡りをし始め、 ただでさえ男のクセにもろい涙腺が、今にも崩壊してしまいそうになっていた。


****************


この男の底の浅い狡猾さには、早速うんざりさせられていた。
握手をした手を離さず、同伴中である筈の柚月さんを放っておいたまま 簡単に私の誘い水にのり、それとなく自分の業績を自慢し続けているのは、 この機会に自分を売り込もうとでも思っているからなのだろう。

今朝秘書室に集めさせたこの男の情報を聞く限り、建築士としての腕は 信頼が置ける確かなものだった。
社でもその点を評価しての取引ではあったのだろう。
だが、それと人格が必ずしもイコールになる訳ではない。
人間が造り出す作品にはその人物の本質が現れる事を考え合わせれば、 社とこの男との取引も、そろそろ考え直させる時期が来ているのかもしれない。

それにしても、どうしてこの男は自分の愚かさに気付かないのだろうか。
人間など誰しも愚かなものだが、自らもそうである事を熟知した上で 振舞うからこその大人だと私は思っている。

何度か手紙のやりとりを繰り返しているうちに、柚月さんが世間知らずである事に 気付いたのだろう。
それを利用するように、柚月さんが一見してラブレターとはわからないように 手紙を書き、いつの間にか信頼させて絡め取っていこうとするやり方。
そして先程からモニタールームで見ていた限り、アルコールが弱いとわかって いる柚月さんに飲ませたのはロングアイランドアイスティーだろう。
紅茶のような味や甘さで飲みやすい反面アルコール度数が高く、女性を 落とす為によく使われる、古臭い常套手段だ。
別にこの男がどんな手を使おうと自由だが、私はこういうやり方が 好きではない。
白々し過ぎて、見ているこちらの方が恥ずかしくなる。
インテリな大人の男を気取って相手を手に入れたいのならば、もっとスマートに やって欲しいものだ。

……まんまとハマっている柚月さんも柚月さんだけど。


……おや?


正面に立つ男越しに視界の端に入れてある柚月さんは、先程まで こちらをチラチラと気にしながら時々悲しそうな顔をしていた。
私もいい加減この不愉快な時間を切り上げたかったので、さりげなく 握手を解こうと思っていた矢先、気を逸らせる為なのだろうか、 柚月さんがグラスを頬に押し当て、動きを止めて何かに耳を傾け始めたかと思うと、突如 グラスを置き、真っ赤になって首を横に振り始める。
一体何に、と思いかけた頭は流れている曲を耳にした瞬間理由に 思い当たり、不覚にも苦笑を漏らしそうになる己を寸前で抑える。

まったく、可愛いんだから……



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