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足11

宗さんに背中を押されるように、僕はゆっくりゆっくり徳田さんに近付いて行った。
すごく不安だったけれど、宗さんがすぐに来てくれるという言葉を信じて。
そしてあと10歩ほどの距離まで近付いた時、徳田さんが持っていた雑誌を下ろし、同時に僕に気が付いた。

「やぁ初めまして、木下さん。
 やはり実物の方が何倍も可愛い。」

思わず足を止めてしまった僕に、徳田さんが壁に寄りかかっていた背中を起こして笑いながら話しかけて来る。
ドキン、と心臓が跳ね上がったけれど、優しそうなその笑顔に少しだけ胸を撫で下ろし、僕も小さく 『初めまして』 と返しながら頭を下げた。
でもそれ以上どうしたらいいのかわからず、頼るようにチラッと後ろを振り返ってみると、何故かそこには宗さんの姿がない。

え……?どこに行っちゃったの……?!

慌てて体ごと後ろを振り返り、あちこち見渡してみるけれどやはり宗さんの姿は見当たらず、ドキンドキンと早まる鼓動と一緒に急激に不安が襲いかかって来る。
両手で自分のYシャツの胸元をギュッと掴み、泣きそうになるのを必死でこらえながら何度も何度も広いロビーを見回していると、僕のすぐ隣に歩み寄って来た徳田さんが 『どうかしましたか?』 と心配そうに聞いて来た。

「あ……いえ、……」

緊張と不安と何だかよくわからない感覚に、顔が熱くなりながら下を向き、小さく首を横に振る。

宗さん、どこ……?


「もし体調があまり良くないのなら、このまま僕の部屋の
 ベッドで横になった方がいいですよ?」

徳田さんはやはり心配して言ってくれているんだろうけど、そう言えば、宗さんが来るまで絶対部屋に行っちゃダメって言われたんだ、と思い出し、慌てて顔を上げて見慣れぬ瞳を見詰め返す。

「あのっ、ぼ、僕、のどが渇いちゃったみたいで、
 それで、その、に、2階にバーがあるって……」

2階で間違いないよな、と宗さんの言葉を思い出しながら、焦りのあまりどもりつつも答えると、徳田さんは 『あぁ、緊張しているんですね』 とクスクス笑う。
元々赤くなっていた顔が恥ずかしさで更に赤くなり、やっぱりこの場から逃げ出したくなってしまう。
すると徳田さんは、『ではこの出会いに乾杯をしましょう』 とエレベーターの方に促す様に、さりげなく僕の腰に手を回して来た。

その手に驚いて思わず足を止めると、徳田さんは少し声を潜めながら 『緊張で足が震えているようですよ』 と囁く。
確かにさっきからずっと膝が震えていたので、きっと僕が転ばないように気を使ってくれているんだろう。
あの手紙の文面から思っていた通りに優しい人なんだな、と思いながら、ありがとうございます、とお礼を言った。

「あの、でも、一人で歩けますから……」

気持ちは嬉しかったけれど、でも僕は女の子じゃないし、それにやっぱり宗さん以外の人に触られたくない……

徳田さんはすぐに手を離してくれ、『そう言えば照れ屋さんでしたね』 とクスリと笑う。
徳田さんと宗さんは全く見た目は違うけど、こういう笑い方だけは何となく似ている気がした。
でもこういう笑い方をする時の宗さんって、大抵イジワルなんだけど……

ふとそう思った僕は宗さんが見当たらなかった事を思い出し、今だけはその事にホッとする。
もしこんな場面を見られていたら、一体後でどんなお仕置きをされるかわかったものじゃなかったから。


****************


少し薄暗い照明で、静かに音楽が流れる落ち着いた雰囲気のバーだった。
それに時間が早い事もあってか、お客さんは僕たち二人だけ。
普段こういう場所に来る事はまずないけれど、それでも暖か味があって居心地が良さそうな気がしたので、これなら慣れない僕も少しは安心して過ごせるかもしれない。
宗さんはそれをわかってたから、このバーで待ってるように言ってたのかな?


促されるまま一番奥のカウンター席に座り、徳田さんに何を飲むのか聞かれた僕は、お酒弱いので、と言ってウーロン茶を頼むようにお願いした。
ところが 『やっとこうして実際に会えたのだから、乾杯だけでも付き合ってもらえませんか?』 とお願いするように言われたので、それ位なら大丈夫かと思って頷く。

けれど沢山の名前が書かれたドリンクメニューをいくら眺めても、どれがどんな飲み物なのかさっぱりわからない。
え〜と、え〜と、と頭を悩ませていると、徳田さんはメニューも見ずに慣れた様子で、自分には 『バーボンをロックで』 と頼み、僕には何だか長い名前の、紅茶色のカクテルを注文してくれた。


「これ、すごく美味しいですね」

二人で乾杯した後、グラスに挿されているストローに恐る恐る口をつけて少しだけそれを飲んでみると、お酒のはずなのに見た目通り紅茶の味がする事に驚いた。
普段ほとんどお酒は飲まないけれど、こういうのなら今度宗さんと一緒に飲みたいな、と思いながら次は思い切り良く吸い込んでゴクリと飲む。
徳田さんはそんな僕を見て、気に入ってもらえると思ってました、と笑いながら、胸ポケットから取り出したタバコに火を点けた。


緊張で本当に喉が渇いていたのと、カクテルがとても美味しかったせいで、一杯目はジュースのようにゴクゴクと飲み干してしまった。
そしてその後は徳田さんがいつの間にか頼んでくれたお代わりにお礼を言い、久々のお酒で何だか心地良くなって勢い良く飲み進めながら、僕達は色んな話をした。


徳田さんは一級建築士だそうで、このホテルの設計にも携わったらしい。
このホテルは全国的にグループ展開していて、それにも色々と関わっているらしく、話を聞く度に、すごいですね〜と賞賛の眼差しを向けた。

「僕よりも木下さんの方がずっとすごいですよ。
 木下さんの絵を見ていると、どんなに疲れていても
 とても心が癒されて澄み渡っていくんです。」

徳田さんは煙を吐き出しながら、何本目かのタバコを灰皿で消した。
ありがたい褒め言葉に心からお礼を言いつつも、慣れないタバコの香りやバーの雰囲気にポーっとしてしまっていた僕は、宗さんまだかな……と思いながら所在無くストローをいじる。

「……木下さん、手を見せてもらえませんか?」

「?」

多分三杯目か四杯目?に口をつけたところで、徳田さんが声を落として話しかけて来た。
僕はよく聞き取れなかったので、少しだけ徳田さんの方に身を乗り出す。

「……僕の大好きな絵を生み出して行く手に、実際に
 触れてみたいんですよ。」

そう言われれば絵を持ってくるのを忘れてた、と急に思い出し、慌ててその事を謝った後、その代わりに僕の手なんかで良ければ、と、手の平を上に向けてカウンターの上に置かれた徳田さんの手に、自分の右手を伸ばそうとした時だった。


コトン


徳田さんの手と僕の手の間に、バーテンダーが静かにウーロン茶を置く。
そしてそれに続いて徳田さんのお代わりも。

僕も徳田さんもお代わりは頼んでいなかったので、手を止めて驚きながらにこやかに微笑んでいる初老のバーテンダーを見た。

「当ホテルグループの総帥から、お二方へのプレゼントです。」

……総帥?
あ、さっき徳田さんは設計に携わったって言ってたから、そんなに偉い人でも知っているのかもしれない。

「総帥なんて、僕は直接知らないな。
 ……まさか木下さんの知り合いなんて言わないよね?」

先程までの優しい雰囲気と少し様子の違う徳田さんが、まるで問いただすように尋ねて来た。
何だか急に不安になってしまった僕は、首を横に振りながら差し出しかけていた手を慌てて引っ込める。

「総帥がご挨拶にまいりました」

展開がよくわからないままバーテンダーの視線の先を追った僕は、重厚な作りの扉をホテルの人に開けてもらい、軽く頭を下げたバーテンダーに頷き返しながら僕達の方に近付いて来る、大好きな大好きな人を見付けて口をポカンと開けた。


宗さん……