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耳4

「出席番号27番。次読んで。」

突然指名をされた奴がキィ〜という椅子の音をさせながら慌てて立ち上がる音が聞こえ、雅史の綺麗な発音とは違う、たどたどしい英語で教科書を読み始めた。
チラッと上目遣いに視線をあげると、右手で教科書を持ちながらゆっくりと教室内を歩き出した雅史と目が合い、俺はまたすぐに視線を逸らして下を向く。


机の上の教科書に視線を縫い付けて右手でシャーペンをくるくると弄びつつ、教室内をぐるりと回って後ろから近付いてくる雅史の靴音に耳を澄ませる。

コツ…コツ…コツ…コツ……コツ……コツ……

いつもと同じ独特なリズムを刻むその音。
俺以外誰一人気付いてはいないだろうが、俺の側を通る時、雅史の足音は必ずほんの僅かにリズムが緩やかになる。
雅史に関する音に一つずつ耳をそばだてるようになって、初めて気付いた小さな癖。
素直じゃないあの性格を考えれば多分自分でも無意識なんだろうが、こういう所が滅茶苦茶可愛いんだよな〜……


コツッ

後ろから近付いて来た足音が俺の隣で止まる。

「はい、そこまで」

頭上から声が聞こえ、俺は少しだけ焦りながらその声から意識を逸らして教科書を眺める。

「大友、そこスペル間違ってる」

あ?どこが?と思いながら慌ててノートに視線を走らせると、腰を屈めた雅史が俺の手を一瞬包み込むようにしながら持っていたシャーペンをさっと取り上げた。
屈んだせいですぐ目の前に下りてきた雅史の髪からは、いつものシャンプーの香りが微かに漂っている。
先程少しだけヤバイ想像を繰り広げていた俺は、触れられた手を強張らせながら大きく跳ね上がった心臓を必死になだめ、ノートを直し始めたらしい雅史の横顔を息を殺して見ていた。

勘弁してくれよ〜……

だが雅史はお構い無しにさらりと柔らかい髪を揺れせながらカタンとシャーペンを机の上に置き、一瞬流し目をくれながら屈めていた腰を起こした。

「そこは大事だからしっかり覚えておけ」


そのまま少し足早に俺から離れていく後ろ姿から目が離せないでいると、教壇に戻った雅史はまた教室内を見渡す。

「今日やった所はテストに出るからな」

何故だか少しぶっきら棒な声で告げるのと同時に昼休み開始の鐘が鳴り始め、途端に教室内がざわつき始める。
雅史は教卓の上でとんとんと出席簿やら教科書やらを揃えながら、一瞬だけ俺の方を見た。

ん?……顔が赤い……?

何だ?と思ってさすがに視線を逸らせずにいると、今度は俺からではなく、急に子供の様に少し口を尖らせた雅史の方がすっと視線を逸らし、荷物を胸に抱えて教室の出入り口に向かう。
そしてバンッと何気にいつもより大きな音を立てながら戸を閉めて出て行き、俺はそれを見送ってからようやく詰めていた息を吐き出した。

今のは一体何だったんだ……?

教室内は静まり返っていた先程とは正反対に、早速会話をしながら弁当を食べ出す奴らや何を買うか相談しながら購買に向かう奴らの声で、耳を覆いたくなるような喧騒に満ち始める。


日直の奏が黒板を消しに行くのを横目で見ながら、そういえばどこが間違っていたのだろうとノートに視線を落とす。
そして雅史が書いた走り書きの文字を読み、急激に湧き上がってくる苦笑を頭を抱えて隠しながら、そのままノートの上に突っ伏した。


『俺は教師である前に暁のモノだ』

……バカか、あいつは……


今朝の告白を俺も聞いていたと奏から聞かされた上に俺の態度を見て、多分悩んでいる内容に気が付いていたんだろう。
だがそれにしても朝は 『俺は人間である前に教師だ』 とかカッコつけてたクセに、『教師』 である前に 『俺のモノ』 かよ……

その上あんな態度で教室を出て行きやがって、相変わらず突拍子もない時にとんでもない可愛さを見せる年上の恋人に、俺はすっかり振り回されっ放しだ。

雅史のヤロ〜…このままで済むと思うなよ……?

まんまと雅史にしてやられ、何か仕返しをしてやろうと思う程度には悔しい気がしている筈なのに、俺は何故か鼻歌交じりにほくほくしながらそのノートをカバンにしまう。
……とことんアホだぜ、俺……


黒板を消している奏に 『昼寝してくる』 と声をかけると、奏は意味ありげに笑いながら 『昼寝、ね。わかったよ』 と答えた。
俺が英語準備室に向かうのはバレバレなんだが、まぁ一応……

「後でな」

手を振ってくる奏にそう返し、英語の教科書を丸めて手に持ちながら廊下を歩き出す。
万が一俺の前に誰かがいても、わからない箇所を聞きに来ました、と言えば言い訳代わりには使えるだろうから。


英語準備室では今頃 『淀川先生』 ではなく 『俺の雅史』 が、間違いなく耳まで真っ赤になって頭を抱えているだろう。
その姿を想像して内心ほくそ笑みながら、雅史の許に向かう自分の足取りがいつの間にか小走りになっている事に苦笑した。