耳2
『セックスフレンドでも構いませんから!』
……。
は?
靴紐を弄んでいた手を止めて思わず顔を上げた俺は、俺と同様目を丸くしている奏とまた顔を見合わせる。
いや、確かにそれだけ必死なんだろうとは思う。
だがそれにしても……
雅史も今頃扉の向こうで開いた口が塞がらないのだろう、いつまでも返事を返さない。
『先生も教師である前に人間ですよね?
だから最初は先生の性欲の捌け口でも構いません!
あの学祭で先生は恋人に、素直じゃなくて悪い、と謝って
いましたが、それはその人が先生をちゃんと受け止めて
あげていないからじゃないんですか?
その人は先生をちゃんと大切にしてあげていないんじゃ
ないんですか?
でも僕は先生を必ず大切にしますし、先生の全部を受け
止めますから!』
奏は少し複雑な顔をしながら扉の方を見ている。
俺はせっぱ詰まったその声を聞きながらまた膝の間に顔を埋め、雅史との年齢差を嫌でも感じさせられる、『龍門学園2年生』 指定の赤ラインの入ったボロボロの上靴を、穴が開くほどに見つめていた。
そいつの言っている事なんか鼻で笑い飛ばせばいいのかもしれない。
このまま 『ふざけんな!』 と目の前にある扉を蹴り開けて中に入っていこうかとも思った。
……だが正直な所、俺は耳が痛かった。
『てめぇなんかに言われるまでもなく俺は雅史を大切にしている!』 と言い返してやりたくても、教師と生徒という立場や一生埋められない年齢差がある以上、どうにも出来ない事もあるというのは事実だった。
それに雅史と付き合うようになって、今まで知らなかった色んな面を知って、どんどん雅史にのめり込めばのめり込むほど自分のガキ臭さや、包容力のなさや、思慮の足りなさを痛感させられて、自己嫌悪に陥るのもしょっちゅうだ。
それでもそんな自分の至らなさで簡単に諦められるぐらいなら、初めから年上であり、自分の担任であり、ましてや男である雅史なんかを好きになったりはしない。
だからこそ俺はいつも必死だ。
雅史に早く追いつきたい。
雅史を守ってやりたい。
雅史にふさわしい男になりたい。
いつでもそう思って来たし、勉強だろうがバイトだろうが、その為の努力は惜しまずにしているつもりだ。
だが今の段階で、誰だかわからないそいつのような奴に、雅史が素直じゃないのは俺のせいだと言われても何も言い返せない。
俺は雅史を全部受け止めてやっている、と胸を張って言う事が出来ない。
そんな自分が歯痒くて情けなかった。
バンッ!
勢い良く机を叩いたらしい音が突然中から聞こえ、反射的に顔を上げて準備室に飛び込もうと腰を浮かせた時だった。
『……俺が誤解を招くような発言をしたのならそれは
謝るが、それでも君が何も知らない俺の恋人を侮辱
するのは許さない。』
初めて聞く、静かな怒りに満ちた雅史の声。
『……驚かせて悪い。
だがこの際誤解が無いように言っておく。
俺が心の底から惚れているのも、俺がセックスをしたい
のも、その俺をいつでも受け止めて守ってくれているのも、
全てその恋人だけだ。』
少しの間沈黙が走った後、いつも通りの声に戻った雅史が優しく話しかける。
『申し訳ないが、一人の人間として君の思いに応えて
やる事は出来ない。
だが俺は人間である前に一人の教師だから。
だから君にはもっと自分を大切にして欲しいと思うし、
その為になる事なら、教師として可能な限りどんな
協力でもしようと思う。
性欲の捌け口なんて悲しい言葉を使わなくても、いつか
必ず君だけを好きになってくれる人が現れるよ。
……俺を好きになってくれてありがとう。』
そしてすすり泣くような声と、雅史が 『ごめんな』 と申し訳なさそうに言っている声が聞こえた。
腰を中途半端に浮かせたまま固まっていた俺は、曲げていた膝に両手をついて、いつの間にか詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
……ったくよ〜……
雅史の台詞を聞いて不覚にも目頭が熱くなってしまった自分を誤魔化すように、ガシガシと頭を掻いた。
ふと横を見ると、奏が微笑みながら俺を見ている。
何となくバツが悪いような照れ臭いような気がして、そのまま立ち上がりながら左手をズボンのポケットに突っ込んだ。
そしていまだしゃがんで俺を見上げている奏の肩を右手でポンと叩いて小声で声をかける。
「悪りぃ。先戻ってるわ。」
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