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耳1

カッカッカッカッ……

昼休み前の4時間目。
黒板に英文を書き連ねていくチョークの音が響く。
静まり返った教室内には雅史がチョークを操る音とそれを写していくシャーペンのさらさらという音が満ちていた。
右手で教科書を持ち、左手でチョークを操っていく雅史の背中を横目で見ながら、頬杖をついて黒板に書かれた文字を機械的にノートに写していく。

今日の雅史は相変わらずの細身のジーンズを穿き、黒いTシャツの上に第2ボタンまで外して着ている白いシャツの袖口は、チョークの粉で汚れないよう肘の手前まで捲り上げている。
その両手首に傷痕を隠す目的のごついリストバンドはもうない。
たまに片腕に巻いてくる時はあっても、それはあくまでも雅史の好みだからだ。
だが俺はいまだにその手首に傷がない事を真っ先に確認するのがクセになっている。
もう二度とあんな思いをさせないと誓った自分を思い出しながら。


カタ…パンパン……

雅史がチョークを置き、両手を叩いて粉を払い落とす。

「この過去分詞は……」

右手を教卓に付き、粉を払い落とした左手で黒板に書いた英文を後ろ手に指差して、教室内を見渡しながら説明を始める雅史と一瞬目が合ったが、俺は即座にふいっと視線を逸らし、そのまま自分のノートに視線を落とした。

元々俺達は学園にいる間、視線を合わせる事があまりない。
俺達の関係がバレないように、という大義名分を抱えているからなんだが、今日はそれだけではない俺側の勝手な理由があり、朝のHRの時点から視線を逸らしっ放しだった。


****************


今日の朝、日直だった奏に付き合って英語準備室を訪れた時。


相変わらずほとんど生徒達がいない廊下を、昨日のテレビがなんだの、結構気に入っているアーティストが最近出した新曲がどうだのと、奏と二人でくだらない話をしながら歩いた。
そして準備室の手前まで来た時、扉がほんの少し開いていて、中からボソボソと話し声が漏れている事に気が付いた。
教師同士の打ち合わせなのかもしれないし、他の生徒が用事があって来ているのかもしれない。
別に日誌を取りに来るぐらい後でもいいわけだから一旦教室に戻っても良かったのだが、以前の事があるだけに取り合えず中にいる奴が出て来るまで待とうと、俺達はお互いに目配せをしながら声を潜めて扉の影に隠れ、中の音に耳を澄ませた。


『……学祭……先生が…っていた言葉を聞き……』

学祭?
雅史の言葉?

上手く聞き取れなくて、俺達はそのまま廊下にしゃがみ込みながら扉に耳を付ける。

『……から先生に恋人がいるのはわかっています。
 それでも先生が好きです!』

突然明瞭に聞こえた、緊張したような上擦った声に、目を丸くしながら奏と顔を見合わせる。

『気持ちは嬉しいが、俺は応えてやれないから。』

すぐに聞こえたいつもの調子の声で、雅史の感情が全く揺れ動いていない事がわかって少し胸を撫で下ろしたものの、奏は苦笑いをし、俺は小さく溜息を吐いて膝の間に顔を埋めながら首を横に振った。

……朝っぱらからなんつ〜場面に……


元々雅史は生徒から人気のある方だったが、あの学祭以降何故か闘志を燃やす奴が増えたようで、告白をされる回数がてき面に増えたようだった。
それは忍にも言えることで、あれだけの公開告白でありながら皆瀬が既に同じ学園にいないのをいい事に、今までよりも更に多忙なお断りタイムを送っている。
まぁ学園内では、皆瀬が近くにいない分高梨が目を光らせているから前のようにバカな事をしでかす奴はいないが。

雅史はそういう話を報告して来たりはしないものの、雅史の口から聞かなくても、俺達の関係を知らない他の口が俺の耳に面白おかしげに喋る。
そういう噂というのはあっという間に広まるものだ。
だからそんな事に一々ガキくさい嫉妬をしていても始まらない、と自分に言い聞かせつつ過ごしている。

それでも小さく漏れてしまう溜息を奏に聞こえないように吐き出し、上靴の靴紐を弄びながら、雅史はもう断ったんだからさっさと出て来いよ、とそいつが中から出て来るのを待っていた。
ところが。