50p四方程の白くて平らな四角い石。
その前にしゃがみ込みながらいつもの様にそっと触れてみると、
何も書かれていないその表面はやはりつるりとしていて、何も
変わったところはない。
以前、ここには1本の桜の木が植えてあったと聞いた。
植物が育たないこの世界で、何故桜の木があったのかは
わからない。
けれどとても大切な場所なのだと周りの鬼達が教えてくれた。
この世界に来た当初から毎日欠かさずここに通っている。
初めてこの場所を見付けた時、何故か懐かしい気持ちになった。
幼い時は何も考えずにただ通っていたのだけど、最近では
この石に触れる度に不思議な気持ちになる。
懐かしいのに切なくて、胸がほんわか温かくなるのに苦しくて。
そしてその思いが、日々霊力が増すにつれてどんどん強くなっていた。
何故この場所からそんな思いが伝わってくるのだろう?
そして知らない筈のこの場所に、何故私はこんなに心が
揺さ振られるのだろう……?
「白桜(ハクオウ)、お前はまたここにいたのか」
「あ……麒白(キハク)様……」
慌てて立ち上がって、着物の裾を直しながら頭を下げる。
苦笑しながら悠然と私に近付いて来るのは、私達が住む
この麒紋領(きもんりょう)の長であり鬼神である麒白様。
薄い金色に縁取られた意志の強そうな白い瞳。
短くて艶のある白い髪に、とても端正な顔立ち。
初めてお会いした時は、私に向けられたあまりにも真剣で刺さるような視線が恐ろしくて泣き出してしまったけれど、あれは幼かった私の勘違いだったのか実際はとても優しく明るいお方で、その笑顔は周りの誰をも蕩かしてしまう。
さらりと衣擦れの音をさせながらいつもの様に私の頭を一度撫で、
先程の私のようにその石の前にしゃがんだ麒白様は、少しの間その石に
触れている。
……またあの眼……
懐かしそうで、愛しそうで、切なそうで……
麒白様はこの場所を訪れると、いつも決まってこういう眼をされる。
何故なのだろう?
私がこの石に触れる度に胸に湧き上がる思いと、何か関係
あるのだろうか?
7年前にこの世界に来たばかりの幼い頃、『ここは何か
意味がある場所なのですか?』 と麒白様にお尋ねした
事がある。
すると麒白様は少しの間迷ったような素振りを見せられた後、『お前は知らなくていいんだよ』 と
切なそうに微笑まれた。
それを見た時、その事に触れてはいけないのかもしれないと幼心に思った。
いつも明るく周りを和ませてくださる麒白様が、一瞬苦しそうな表情をされたから。
いつも私を父のように温かく見守ってくださるその瞳が、どこか別の場所に向けられてしまう気がしたから。
だからそれ以来、一度もその事に触れた事がない。
麒白様が切なそうにされる理由が何なのか。
私の中に湧き上がる思いは何なのか。
そしてこの場所が特別なのは何故なのか。
最近ではそれらが気になって堪らなかった。
けれど……知りたいけれど……知りたくない。
『それを聞いてしまったら私の中の何かが壊れる気がする。
それを聞いてしまったら私が私ではなくなってしまう気がする。』
そんな渦巻くような不安が、最近私の心の中を蝕み始めていた。