ショーは即興の寸劇仕立てであった。
窓を背にして置かれた椅子に、ジャケットを脱いで目をとじたアンリが腰掛けている。
両手はだらりと下がり、脚にも力が入っていない。遠目には眠っているようにも見える。
澤木はひとり掛けのソファで脚を組み、箕生は大きなソファでウイスキーを飲んでいた。緋色の絨毯が敷かれたシガールームに帯状の煙が重なっていく。
扉から入ってきた高岡を見て、澤木は咳き込みそうになる。箕生もグラスを倒しかけた。
高岡の黒髪はくしゃくしゃに乱れていた。ネクタイは酔客がするもののように垂れ下がり、白いシャツの裾は一部が外に出ている。
ショーに挑むというのに調教道具は一切持たず、シガーケースを大事に抱いている。
背を丸め、よたよたと歩いていた高岡が、窓の手前でとまる。椅子の脇に動かしておいたワゴンにシガーケースを置き、震える手で蓋をあけた。
「ようやく見つけたよ、お前の目を。これで完成だ」
ソファのアームに肘を乗せた澤木が目を細めた。
「考えたね。人形と人形師か。モデルを人形に見立てれば細かな打ち合わせの必要もなくなり、美も引き立つ」
高岡が木箱からそっと何かを取り出す。うつむいたまま、しっかりした声で言った。
「どの義眼工房にも、お前のための目はなかった。だからね……もらってきたよ。町で一番きれいな目をした青年から」
グラスの縁を舐めていた箕生が口を離す。澤木はシガーを持つ手をとめた。細川もまた照明スイッチのそばで高岡に見入っている。
椅子と窓のあいだに高岡が体を入れる。アンリの後ろに立ち、軽くくぼませた手のひらをアンリの顔の前に持ってきて、とじている目のあたりを覆う。
「さあ、目をあけて」
高岡が自分の両手をどける。青い目がひらき、人形に生命が入った。
黄金の髪はシガーの煙を透かしてなお輝き、唇は葉陰に憩う木苺のよう。額から頬、顎へと続くラインが完璧である。下ろした髪からのぞく首がみずみずしい。
と、アンリが当然のように瞬きをした。
高岡は初めて奇術を見た子どものように驚き、澤木と箕生に向かって大げさに目を瞬く。人形師のおどけた表情に、観客は笑いを禁じ得なかった。
(大丈夫なのかよ、こいつ)
顔に赤みが差さないか気になるものの、アンリは高岡に任せるしかない。ショーの直前に耳打ちされた、瞬きは自由にという言葉に従っているだけだ。高岡はのんきなもので、
「まるで生きている。動いたら大変だ」
などと、探し物をするようにきょろきょろする。自分の胸先を見て明るい顔になり、ネクタイを抜き取った。
アンリの背後から脱力している両腕を持ち上げ、ネクタイ一本で若い手首を縛っていく。
縛り終えた高岡が、拘束した手首を上へと引き上げた。
(────ア)
アンリの眉根がかすかに動く。アンリは大学に通う傍ら、客に体を許していた。
客にはサディストも少なくない。技術のない者が縛ると早い段階でほどけたり、逆に最後まで締まったままで醜い痕が残る。望みもしない行為をしてきたのだ。体の記憶でわかる。
高岡の拘束は、無様な結末を予感させないものだった。
不意に熱が触れた。アンリの頬を緊縛に長けた男の指が伝っていく。
「お前を売りたくない。買い手がついているというのに、どうすればいいのだろう」
人形の腕を高い位置で保ったまま、人形師が姿勢を低くする。
まっすぐ前を向いた人形の二の腕に男性的な顔を寄せる。
しなやかな上腕に頬を押し当てたまま、人形師は光る目で箕生を見た。
「こうすればいい」
人形師はうっとりと告げ、尻ポケットからライターを出した。
根元が青い炎を人形の顔に近づけた、まさにそのとき。
室内が闇に支配された。
箕生がアンリの名を叫ぶ。澤木は照明スイッチを見る。
きっかり十秒後、パチンという音が響いた。
「おお……アンリ!」
アンリが片手を高岡にあずけ、箕生の前に立っていた。
箕生がアンリの腰を抱く。気が気でなかったと隣に座らせ、きつく抱擁した。金糸を裂いたような髪に顔を埋め、我に返って高岡を見る。
「いや、プロはきれいに縛りますな。お見事でした」
顔を引きつらせる箕生に対し、澤木は悠然とシガーを吸う。
壁にあるスイッチの前では、給仕の細川が頭を下げていた。
「細川も苦労するね。部屋の灯りを操る合図は何だったの、高岡くん」
「僕が火を近づけたら消し、十秒後に点けていただくようお願いしました」
澤木が笑い、シガーを灰皿に置く。紫煙をかすめてグラスが掲げられた。
「佐伯くんの美貌と、今宵集った全員の前途に」
中空の月が洋酒を彩る。
高岡は身なりを整えるために下がり、アンリの碧眼は無感動な蒼に戻っていった。