夕食はホテルのレストランを利用した。ゴルフ談義もあらかた済み、シガールームに案内される。最初に座った箕生が半笑いで澤木を見た。
「大したものだな。タバコ部屋か」
「建て替える際、ここは残すようにしたそうだ。先代の遺言で」
もとは名立たる貴顕も利用した宿である。徹底的に管理されたシガーしか置かず、腕の確かな給仕を常駐させていた。このホテルで唯一、会員制になっている空間でもある。
澤木は隅で待機する給仕──細川という初老の男に目配せした。細川はワゴンを押して箕生のそばに立ち、木製のシガーボックスを開けて中身を見せる。
ソファでアンリの肩を抱く箕生は、うるさそうに眉をしかめた。
「澤木には悪いのだが、どうも葉巻は。俺はあれで……いや、酒ももういいな。ワインを結構やったから」
箕生があれと言ったのは飾り棚に並ぶ洋酒だった。棚の脇にある小卓には口直しの水、チョコレート、枝付きのグリーンレーズンなども用意されている。
澤木は箕生にかまわず一本のシガーを選んだ。細川に吸い口のカットと火付けを頼み、ゆったりと脚を組んで微笑む。
「夜は長い。誰も、どこにも逃げやしないよ」
細川の手から箕生にシガーが渡るまで、高岡はアンリを見ていた。
今、灯りが消えたら、箕生の接待役として呼ばれた美青年は白く輝いて見えるだろう。
月が冴え冴えとする夜、ブロンドの輪郭は優しくけぶり、品の良いシャツやタイ、スーツも魅惑的に映るに違いない。
月の光を独り占めにしたアンリは、きっとこの場にいる者の心をさらう────
愚にも付かぬ夢想を断ち切ったのは、箕生があげた感嘆の声だった。
「こりゃあうまい! こんなにうまい葉巻は初めてだ。高いのか」
細川に向けられた言葉を澤木が引き受ける。「それほどでもない」と言い、細川に給仕を続けさせた。燃焼時間が長いシガーをやらない高岡は葉巻の子どもサイズであるシガリロを選ぶ。生来短気な高岡を笑い、澤木は吸いなれたシガーを愉しんだ。
まとわりつく煙とアルコールに酔った箕生が、愛おしそうにアンリの頭を撫でる。
「明日は誕生日じゃあないか。何でも買ってやるぞ、アンリ。あとでゆっくり話そう」
碧眼の底に影が這った。影は舌先をほんの少しみせただけで引っ込む。
澤木はコニャックのグラスを傾け、天からやってきたような青年を、よくよく眺めた。
「佐伯くんはイブに生まれたの。素敵だね」
アンリは遠慮がちに微笑み、クリスマスの祝いと同じにされるが今年は箕生がいるので寂しくないと恋を語る。高岡は翡翠色のレーズンをつまみ、上唇を指でなぞった。
(出生の話題を嫌ったように思ったが、気のせいか)
シガーはペースが速いと悪酔いする。細川のすすめでチョコレートを食べた箕生が、ふと高岡に視線を移した。意地悪い笑みが口端に浮かぶ。
「あなたは調教師だそうで。やはりあれかな、馬にくれてやる鞭で打つのかな。そうだ、ここで見せてはくれませんか。金なら出しますよ」
主賓の振る舞いをとがめなかった澤木も、キッと眉尻を上げた。
「正真正銘の乗馬鞭を使うことは一般的ではない。高岡くんにはゴルフを楽しむために来てもらった。金の問題でもない。防音設備も完璧でない場で鞭などもってのほかだし、ショーには打ち合わせが必要だ」
「夜は長いのだろう、いいじゃないか」
「絡み酒か、箕生」
澤木が出した助け船に乗っていた高岡は、斜め前から強い無関心を感じた。
青い瞳は間違いなく高岡を見ている。否、見ているのに見ていない。
巣食う穴が深い。美しい目の凍て付く暗さが、高岡を船から降ろした。
「わかりました。趣のある夜です。それもまた一興でしょう」
グラスを置いた高岡を澤木がたしなめる。
「高岡くん。箕生の気まぐれだ、聞くことはない」
「ありがとうございます。僕では力不足と思いますが」
高岡が立ちながら細川を見る。澤木はこめかみをかき、ため息をついた。
「細川なら心配ない。余計なことは忘れてくれる」
箕生が拍手するあいだに高岡は室内を見まわし、おとなしい笑顔を返した。
「どのようなものをご所望ですか。澤木様のおっしゃるとおり音は出せません。過剰に肌を見せることや汚れることも致しかねます。モデルがいると助かりますね」
不穏な空気を察したアンリの腰が浮く。金の髪が波打つ肩を、箕生が押さえた。
「この子を使って、芸術的なやつを頼む!」
「かしこまりました」
深々と腰を折った調教師が顔を上げ、窓の近くに細川を呼ぶ。
空に遊ぶ白い月が高岡の横顔を照らした。