クラブハウスのティーラウンジから望む芝は青く、緑のグラデーションが陽光と風を受けていた。コースを区切るモミノキの向こうに、数年前に改築したホテルが見える。
ゴルフ利用客の宿泊先でもあるホテルは目を射る白壁になり、昔のたたずまいを知る者には不評であった。
変わったのはホテルだけではない。木立ちの多い日本的な丘陵も均され、初心者向けのコースを増やして売り上げ回復に努めている。
「おいおい、芝目を読むには早いよ。そう負けん気を出すこともないだろう」
紅茶のカップを置いた澤木 (さわき) が高岡のよそ見をからかう。
澤木は神戸を拠点とする商社の跡取りだ。茶色でまとめたウェアが似合う。四十後半の独り身で男振りがいい。好んでSMショーに足を運び、週末には不特定の若い男女を鞭で打つ。高岡の店を通して遊ぶこともあった。
高岡は右隣に座る澤木に一礼し、はにかんで答える。
「このところ数えるほどしかコースに出ていません。緊張しますよ」
「言うね、きみも。ツーサム専用コースだよ」
澤木がツーサム、ふたりで組になってゴルフをしないかと言ってきたとき、高岡は電話口で返答に詰まった。ここのツーサム専用コースは特別に易しいことで知られており、ゴルフ雑誌の広告に釣られたサラリーマンや大学生の利用が増えている。仕事にも遊びにも手を抜かない澤木が選ぶ場所とは思えず、耳を疑ったのだ。
何より、いい年をした男がふたりでラウンドというのは格好が付かない。
外せない接待でね、と澤木が笑っていた理由は、主賓の名を聞いて判明した。
「えい、遅いな」
左から主賓の声がした。四角い顔を右に左に動かし、クラブハウスの正面玄関を見ようとする。一年留年しているが澤木と同窓であり、学生時代からゴルフをしていたという。ただいかんせん、下手の横好きなのである。
「クリスマスツリーが邪魔だな。入り口が見えん」
「スタート時刻には一時間近くあるだろう、箕生 (みのう) 。佐伯くんはしっかりした若者だと聞いている。気を揉むな」
箕生が眉間にしわを刻んで振り向く。腿に手を乗せ、口角泡を飛ばさんばかりだ。
「しっかりしているとも。J大に通っているのだからな。しっかりしているから心配なのだ。
事故に遭っとるかもしれん」
「よせよ。高岡くんに笑われる」
箕生は高岡をちらとも見ずに、ツリーの向こうをうかがって首を伸ばす。
主客は代々食品卸を営んでおり澤木との付き合いが長い。海外の食品事業グループとの提携を控えた澤木にとって、箕生は大切なパイプ役のひとつであった。
「アンリ! おおい、こっちだ!」
箕生が手を振って立ち上がる。いくつかの冷ややかな視線が箕生に注がれた。
視線は間を置かず、正面玄関を通る客へと移る。ラウンジにいる全員の目がフロントの前を横切る金髪碧眼の青年を追った。
青年は全身に光をまとっていた。肩の下までありそうなまばゆい髪を後ろで結んでいる。磁器に似た肌が日本人とは違う白さを放っていた。
天井のファンが暖かい空気に揺らぎを与え、彼の光が舞う。
青年が箕生の前で足をとめると、光の粒子と共に香水の香りが運ばれた。
「リュヌ・ドゥ・ミールか。女物だが、合っているね」
澤木が青年のセンスを褒めたために箕生は一層気を良くし、疲れただろうと青年に席をすすめる。青年はすぐには座らず、まず箕生に、次に澤木と高岡に頭を下げた。
「佐伯アンリと申します。お待たせして……」
笑いじわを顔に刻む箕生がアンリの手を握り、言葉を遮った。
「洲本インターを出て少し行った辺りで、お前の車を見た。えらいスピードで走っていたな。肝を冷やしたぞ」
アンリが口ごもる。沈黙は短く、そつなく謝辞を述べて静かに手を引いた。箕生は人目をはばからずアンリのコートを脱がせる。
「何にせよ、無事ならいい。着替える前に何か飲むか?」
「いいえ。先に着替えてきます」
やり取りが一段落し、高岡は窓の外に目をやった。長い脚を組みなおす。
佐伯アンリ。
聞き覚えのない名ではない。澤木と双璧をなす企業に佐伯商事という一流商社がある。食料品も取り扱うため箕生とのつながりもあった。
『佐伯商事の社長がフランスで引き取った美しい養子に特殊な接待をさせているらしい』
際立って珍しい話でもなかった。これが親か、経営者なのかと思う人物は確かにいる。
佐伯アンリはいわば、強者に狩られた不運な獲物に過ぎない。
ダークブラウンのラムスキンが高岡の視界に入る。
腕にコートを掛けたアンリが、フロントに向かう途中で立ちどまったのだ。
リュヌ・ドゥ・ミールの花香が迫った。
「今夜はあなたも参戦するの?」
箕生は複雑に入り組む垂水ジャンクションへの不平を訴える。澤木も相槌を打っているため、アンリが高岡に話しかけたとは気づいていない。
アンリの蒼い目と高岡の鈍く光る目とが、刹那、ぶつかった。
「僕はゴルフをしにきただけですよ」
そう、という声がリュヌ・ドゥ・ミールを引き連れて離れる。
事前に聞かされたのかもしれないが、佐伯社長の息子はこの集いにおける高岡の社会的順位を心得ているらしい。
アンリの声には少しばかりの嘲りと、嘲り以上の諦念があった。