>> Homeへ

前へ 目次へ


 午前一時を過ぎたころ、高岡の靴がホテルの外階段を踏んだ。冬らしい外気に誘われ、波打ち際に近い遊歩道に出ていく。
 階段から海岸手前まで続く手すりに、ひとつの人影がもたれていた。
 シガールームでの共演者は月の化身にも似た様子で、冬の海を見ている。
 冷たい微風が金色の後れ毛をそよがせる。ざっくり結わえた髪に薄手のセーター、ラムスキンのコートというシンプルな姿が遊歩道のライトで彩られる。
 近づく靴音に気づいたアンリが、高岡を見た。どこか焦点が合っていない。
「散歩? 澤木さんが寂しがらない?」
「僕らは違う部屋ですよ」
 アンリは朝と同じトーンで「そう」と言い、煙草に火をつける。ライターの火に浮かぶ白磁の顔には、湯を使った火照りがわずかにあるだけだ。リュヌ・ドゥ・ミールの香りもなく、宝石のような瞳は何もとらえていない。
 煙草をふかすアンリが手すりに背中をあずけた。のけぞって喉をさらし、煙を吐き出す。
「高岡さん、だっけ。敬語はやめてほしいな。巧い緊縛だったよ」
「それはどうも」
 アンリがククッと笑う。高岡は片肘を手すりに乗せ、アンリを見据えた。
「今日が誕生日なのか。朝はどうして車を飛ばした」
 白い指が煙草を放った。長い吸殻が夜空に消える。
「僕が佐伯社長の養子というのは?」
「知っている。噂で聞いた」
 噂ね、と、アンリが身をひるがえした。
「本当の誕生日は知らない。捨て子だからね。今日……今日だね、もう日が変わったから。とにかく12月24日っていうのは、施設が勝手に決めた、いい加減な誕生日なんだ。意味なんかない。何も感じない。そう、こんな接待にも……。だから、スピードを出した。いや、そもそも、ポルシェに乗るのに、メーターなんか気にするつもりはないよ。どう? これで満足?」
 細い体が歩き出した。体に残る箕生の衝撃のために二、三歩ふらつき、それでも浜への坂を下ろうとする。
 高岡がアンリの腕をつかむ。碧眼の美青年は面倒そうに振り返った。
「なに」
「知らない土地の海は信用するな」
 アンリの口角が上がる。じわりと音のしそうな嘲笑だった。
「へえ? それならあなたの言うことも聞かないさ」
 睨み合いは一分近く続いた。試合を棄てたのはアンリだった。
 ふいと目をそらし、そらした目が冬の海面につかまる。青が消えてしまった海だ。
「……暗い海だ」
「暗いのは夜だけだ」高岡はつかんだ腕を放さない。「海の色がどうであれ朝は来る。誕生日が不確かなものであっても」
「朝の次にはまた夜がくるだろ。それより痛いんだけど、腕」
「夜が終われば朝になる。朝になったら海を見てみろ」
 痛いと言っても放さず、他人の誕生日と海の色に固執する男に、アンリは肩をすくめた。
「そんなことが気晴らしになるとでも? 安く見られたものだねえ、僕も」
 海風がふたりをあおった。先ほどまでのそよ風が一変し、黒い海の表面を駆けてくる。
 高岡は両手でアンリのコートの襟を立たせた。ほつれた金糸をすくって耳にかける。耳朶から頬に手を滑らせ、繊細なつくりの顔を包んだ。
「騙されたと思って、朝の海を見ろ」
 アンリの指が高岡の手にかかる。潮の湿りを帯びた指に、力は入っていない。
「なんで朝なんだよ」
「美しいからだ」
 白亜のホテルから海への階段で、ふたつの顔が重なった。
 唇が触れてから目をとじる、よすがを求めない口づけだった。




 翌日。
 助手席で携帯電話が鳴った。電話機を開いた高岡は少々考えて通話ボタンを押す。
 聞こえてきたのはアンリの声だった。
『寄り道せずに帰るの? まじめだね』
 重要な話でなければ名乗らないのは同類の証か。苦笑しかけて、何とかこらえる。
「これでも暇ではない。何故この番号がわかった」
『箕生さんに名刺を渡したでしょう』
 盗み見たとみえる。高岡は遠慮なく笑った。
「お前の番号は教えてくれないのか。非通知のようだが」
『だってねえ。誕生日プレゼントが、ホテルから見える海ってだけじゃ』
「海を見たのか。どうだった」
『誕生日に見る景色としては、悪くないね。まあ、でも』
 間ができたので外を見た。車窓を流れる家並みの向こうに水平線がある。
『次はあなたと見たいかな』
 笑い声を残して電話が切れる。高岡はサングラスを外した。
 青銀色の水面がどこまでも続く。波頭も白く明るい。
 雲ひとつない澄んだ空に、東京では見ない鳥が半円を描いていた。




<  了  >








お読みいただき、ありがとうございました!
お友達の紫藤ゆう様のキャラ・アンリに、当サイトのキャラ・高岡がお節介をやくお話でした!
何だかんだ言ってますが、要はナンパなのかもしれません(笑)
美貌の青年・アンリを書くの、すっっっっごく! 楽しかったですv
大切なキャラを書くことを快諾してくださった紫藤ゆう様と、紫藤ゆう様の世界を愛する読者様に感謝!!
このお話を読んでくださったすべての方々! ありがとうございます!!

前へ 目次へ

Designed by TENKIYA