竜の巣

竜の巣・7

 ひたいに冷たいものが乗った。氷水を入れたビニール袋だった。
「ごめん……」
「謝るほどのことではない」
 ベッドの上に寝かされた弘田の頬に、高岡の手が触れる。目を閉じて高岡の腕をつかんだ。
 肘の内側のあたりから植物の香りがした。干し草に似た匂いだった。
「父が死んだ。背中に絵のある人。葬式もすんだって。さっき、電話があった」
 手製の氷のうを押さえて起き上がる。ベッドの上で膝を抱えた。両手で抱え込んだため、氷のうがシーツに落ちた。
「竜が……追ってくる」
 高岡の視線を感じた。狼の目が見ている。母を残して逃げた生け贄を。
「竜を飼っていた男が死んだから、竜が放たれた。追ってくる。僕を殺しにくる」
「幻覚だ。追ってこない。お前は無事だ」
「追ってくるよ。竜は想像上の生きものだから。火葬場の火でも焼けない」
「返り討ちにしろ」
 顔を上げて高岡を見る。高岡の眼光は弘田を貫き通していた。弘田を射貫き、後ろから追ってくる竜を牽制していた。
「忘れないために水槽を置いたのではないのか。お前の判断は正しい。逃げる必要も、忘れる必要もない。悪いのはお前ではない」
 そうだ。強くなるために水槽を置いた。泳ぐ魚は竜を連想させたが、優しい恋人とベッドから眺める水槽からは、少しずつ竜が消えていったのだ。
 手探りで生きてきた弘田を正しいと言ったのは、高岡が初めてだった。
 肩を引き寄せられる。触れる高岡の唇が熱い。今はこの熱にすがろうと思った。




 ベッドの中央で腰を持ち上げられた。高岡が脚の間に入る。切れ長の双眸に水槽の灯りが映り込んだ。明るい水面の照り返しに似ていた。
「っ、あ」
 父の傷が残るところに、高岡の熱いものが入る。浅いところの抵抗をやり過ごし、先週の夜と同じ静けさで進んできた。高岡の片腕が弘田の首の下に入り、もう一方の腕で腰を抱かれる。ふたりの上体が密着した。
「ん……っ」
 より深いつながりを求めて、両脚を高岡の腰に絡めつけた。背中に手を回してしがみつく。高岡は弘田が燃える箇所を知っている。探ることなくそこを刺激され、男しか愛せない弘田の体は何度も震えた。高岡の唇が耳朶をくすぐる。襟足を軽く吸われ、ささやかれた。
「竜はいるか」
 喘ぎながら顔を横に向ける。水槽にいるのは弘田が飼っている魚だけだ。高岡の背にも、水槽の向こうの闇にも、弘田の心にも、どこにも竜はいなかった。
「いな、い……!」
 鋭敏になるところを中心に、抑えた動きで高岡が出入りした。草の香りを忘れるために脚をきつく絡める。腰を締められた高岡の吐息の熱さが増した。徐々に強く追い上げられ、弘田の背中が弓なりに反る。
 高岡の背中から手を離そうとした。爪を立ててしまうのが怖い。
「放すな」
 灰色に光る目が弘田を見ていた。オードトワレが香る。
「会いたいと思う相手を間違えはしない」
 高岡を見たまま、背中の手に力を入れた。一度水槽を見てから目を閉じる。
 今夜はこの熱にすがると決めたのだ。足掻いて生きる弘田を正しいと言う男なら、ここが竜の巣でも連れ出してくれる。この男は必ずそうする。
 大声をあげて絶頂を迎えた。遠慮なくしがみついた両手は、高岡の肌に弘田の痕を残した。