冬休みを待たず、悪戯の犯人が判明した。
学級委員が職員室で聞きかじったらしく、昼休みになっても同じ話題で盛り上がっている。
「キモいもんな。あいつじゃないかと思った」
「そうそう、暗くてさあ。あ、丹羽! よかったな。靴代請求してやれよ」
級友に対して曖昧にうなずく。クラス全員の視線が、ひとつの空席にそそがれていた。
守屋 享(もりや すすむ)
今年初めて同じクラスになった生徒だった。会話した記憶がほとんどない。険悪な関係になったこともないため、靴を隠された理由がわからない。
守屋は昨日、下校時に足を捻挫した。今日は欠席になっている。春樹はうつむいて席に着いた。
「でもさあ。生駒にかかったらビビるよな」
(……生駒?)
生駒の名を口にした生徒を見る。幸か不幸か席が近いので、しっかり聞きとれた。
「守屋が丹羽の靴箱のぞいてたのを、通りかかった生駒が見たんだと」
「運の悪ぃやつ。つか、生駒がキモリヤを相手にするか?」
「生駒にガン飛ばされたと思ったんじゃねーの? 守屋、すのこ踏み外して捻挫したらしいぜ」
「なにそれ! ウケんだけど!」
級友たちは爆笑して、春樹の眉間にはしわが寄っただけだった。
ごつごつした生駒の指が足首に触れたときから、ずっと考えている。
生駒が神社周辺に野良猫がいるのを知っていた理由、春樹を待ち伏せていたかのように現れた理由を。何より、生駒の言葉が忘れられない。
『寒いだろ』
竹下以外のだれも、不便だろうとも言わなかった。生駒だけが気づかったのだ。
予鈴が鳴る前に教室の引き戸が開く。教科の教師ではなく、担任と副担任が入ってきた。
教壇に立った担任が臨時のホームルームだと告げ、副担任が春樹を連れ出した。
本来の時間より早く、春樹は下校することになった。副担任の声が繰り返し再生される。
『守屋がシャープペンシルを貸そうとしたのを断ったそうだな』
覚えはある。夏休みが明けてすぐのことだった。授業中に替え芯がなくなって困っていたら、後ろの席にいた守屋がシャープペンシルを差し出してきた。
ありがとうと言って借りるつもりだった。守屋の手が非常に湿っていたため、躊躇したのだ。
感謝の言葉は「ボールペンがあるから大丈夫」になり、その翌週から靴隠しが始まった。
手に汗をかいてまで文房具を貸そうとしたのに拒絶された。
人見知りが激しい守屋にとって、復讐する動機になっただろう。
副担任は書類にするためだと前置きし、靴を隠された日と状況を訊いてきた。帰ってよろしいと言われたとき、「いじめられたなどと騒ぐな」という声が聞こえた気がした。
足もとを見る。デッキシューズはきれいで、飛ばされた枯れ葉がくっつくこともない。どこもおかしくないのに、上履きで帰るときより足どりが重くなっていた。
静かなところを歩いた結果、神社の裏に到着した。小さな鳥居の向こうにはうっそうとした木々があり、不気味なシルエットを浮かび上がらせている。昼夜を問わずうら寂しいため、初詣で以外はほとんど出入りしたことがない。
ひっそりした空気が欲しくなり、鳥居をくぐってみた。入ってすぐに社務所が見える。社務所の壁には竹ボウキやポリバケツ、落ち葉を集めたゴミ袋などが置いてあった。
(せっかく入ったんだし、お賽銭あげておこうかな)
手水まで行き、ぎくりとした。生駒に似た人がしゃがんでいる。
水を流す音がしており、数匹の猫が前足を舐めたり、顔を洗ったり、手水を囲む木の柱に体をこすりつけたりしている。春樹は足音がしないように近づいてみた。
「餌、あげてたの?」
顔を上げた生駒は普段と同じ表情だった。一番大きな猫が伸びをする。生駒の手にはコンビニ袋があり、猫の絵が描かれた缶詰が透けていた。
「見りゃわかるだろ」
生駒はうっとうしそうに春樹を睨み、濡れた手を迷彩柄のズボンでぬぐった。
今日は校内で生駒を見ていない。ダウンジャケットを着ているためか、制服姿より大きく感じる。ズボンのベルト通しから長いチェーンが垂れて、尻ポケットの財布とつながっていた。くるぶしの上まであるスニーカーも人気があるメーカーのもので、春樹との共通点は見つけられない。
春樹は詰襟の学生服に竹下が編んだマフラー、白いデッキシューズだ。整髪料で髪を逆立てている生駒と並んでは、同じ学校に通う同じ学年の生徒同士には見えないだろう。
「生駒くん」
聞こえなかったのか、生駒は神社の表側に向かおうとした。
「いっ、生駒くん!」
冬の午後は短い。先ほどまで陽ざしがあった空も急速に薄暗くなりつつある。
接点すらなかった生駒が立ち去ることが心細く、気が焦った。