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いつかきみと朝を 2

「わ、きれいな部屋……!」
 ホテルの室内は、外観とは違っていた。照明は明るく、内装は毒々しくない。ソファもテーブルも、最新型のテレビもある。
 ダブルベッドなのは当然とはいえ、人造大理石などはなく、浴室がガラス張りでないのが意外だ。むっとした空気もない。
「修一……どうしてここに?」
 ドアのそばに立っていた新田が近づいてくる。緊張を隠せない顔をしていた。
「俺はあの日、怖くて逃げた。自分に負けた。今度こそ負けたくないという、ばかみたいな意地だ」
 甘い表情のない新田が、次いで春樹がベッドに腰かける。
「お前にとって、ここは最低最悪の場所だ。行こうと切り出せなかった。だから、少しでも嫌だと思うなら」
 帰ろうという言葉が出る前に、春樹の唇が新田の口をふさぐ。
 嫌な記憶があるホテルを使って過去を払拭したい。新田の苦しみはわかっていたはずなのに、癒えない心を想像できないでいた。新田の意地はばかなものではない。生半可な気持ちで今日という日を迎えたなら、もっと笑顔があったはずだ。
 カットソー一枚買うのにためらったのも、財布を見たのも、ホテル代を気にしていたためだったのだ。
 新田が言わないからといって決意に気づかず、訊こうともしなかった。春樹の視界が大きくぶれる。
「ごめ……ひとりで、は、はしゃい、で」
 新田の指が頬に触れる。涙をぬぐってくれる新田の、陽のにおいがする体にしがみついた。
「修一の勇気、気づかなかった。なのに、子どもじみたこと、い、言って」
「デートのつもりで誘ったんだ。はしゃいでくれないほうが悲しい。こそこそ財布を見て勘違いさせたのは俺だ」
 頬が乾いていくにつれ、春樹の震えは小さくなっていく。視線が合うと、新田のキスがひたいに下りた。
「お前は俺に、つらくならないかと言ってくれた。俺の気持ちを考えてくれた。お前とのことを、もう迷ったりしない」
 求め合うのにふさわしいかどうかなんて関係ない。愛おしく思う感情と、相手への配慮以外に必要なものなんてない。
 恋の根源を理解した新田と離れがたくなり、胸の鼓動が同じ速さになるまで抱きしめていた。






「修一。髪も洗ったの?」
 先にシャワーを浴びてベッドにいた春樹が身を起こした。新田が髪をふく手をとめて、顔を赤らめる。
「髪まで洗うものじゃないのかな」
 春樹は微笑み、新田の濡れ髪に触れた。短い黒髪に指を差し入れる。自分の髪とは違う感触が新鮮で、静かにタオルを落として髪に口づける。
 ベッドカバーに膝をついて上半身をかがめていた新田が、春樹の手をつかんで下ろした。
「水、飲んだか?」
「まだだけど、いいよ。熱くても平気だから」
 小さい子を叱るような顔をした新田が、春樹の隣に滑りこんでくる。冷えたペットボトルのキャップをひねった。
「俺も飲みたい。一緒に飲もう」
 交互に飲んだ水をベッドヘッドの台に置く。ふたりでうつ伏せになって水の横に並ぶボタンを触っていたら、部屋の灯りが暗くなった。枕もとのライトだけがほのかにともり、一気にそれらしい雰囲気になる。
 照れて笑う春樹とは対照的に、新田は一点を見ていた。浴室にあった小さなボトルだ。ホットローションと書かれてあったため、潤滑剤として使えるのだと判断して枕もとに持ってきたものだった。
 ローションに伸ばそうとする新田の手を押さえた。春樹が怯えたと思ったのか、新田の目に迷いの影が走る。
 春樹は新田の手をとり、頬ずりした。
「好き……」
 新田の親指を口に含む。土に触れることが多い新田の指を、いたわるつもりで舐めた。
「だっ、だめだ! だめだ春樹、あ……っ!」
 珍しく大きな声を出した新田が下を向く。春樹が口を離すと、新田は悔しげに目を閉じた。
「ごめん…………」
 消え入りそうな声に、新田の一部に急激な変化があったのを知った。
 勃ち上がりかけていたものが、どういうわけか萎えてしまったらしい。
「き、緊張しすぎて……ごめん、本当に」
 男しか知らない春樹でも、早熟な級友たちから男女の性交がどのようなものであるかは聞きかじっている。アダルトビデオなどとは違い、結合の直前や途中での失敗は珍しくないのだと吹聴する生徒がいるのだ。本当に自身の体験かは定かでないけれども。
 優秀な新田が、身も心も真剣になってくれた。言葉では足りなくて、新田の頬にキスしようとしたときだった。
 肩を軽く押された。キスを拒んだ新田が、薄暗い室内を睨んで低くつぶやく。
「俺は汚い。不潔な人間だ。触らないでくれ」
「なに言ってるの。髪も洗ったのに」
「そんなことじゃない。お前が、夜になると夢に……だめだ。自分に嫌気がさす」
 新田はひとりで壁のほうを向いてしまい、自分でベッドカバーを肩まで引き上げた。
「どういうこと? 何が嫌なのか言っ」
「だから……口で……お前のきれいな唇が……俺のを、その────」
 さすがに察することができた。
 愛しの新田は、春樹に口で愛されることを夢想していたのだ。指を含まれて自分のよこしまな部分を見せつけられた。
 これほどまで素になってくれた新田をこのまま帰すなど、とうてい考えられない。

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