「ごめんなさい先輩! 待ちましたか?」
私服に着替えてきた春樹を見て、新田が首を横に振った。学校の最寄り駅にあるコインロッカーは使用中のものが多く、新田は空いたロッカーの前で待っていてくれた。
ふたりでホームに向かい、都心方面への電車に乗る。大手学習塾に向かうのか、単語帳から目を離さない生徒も少なくない。期末テストが近いのに寄り道をする後ろめたさから、隣に立つ新田を見てしまう。
「嫌だったか……? こんなときに誘って」
無言でかぶりを振る。新田と春樹は人の目から隠れるように手をつないだ。手の平から伝わる脈が同調していく。
新田からメールがきたのは昨夜遅くだ。メール画面を開いたまま、早く朝にならないかと胸を躍らせていた。
『明日の放課後、一緒に街を歩きたい。私服を用意してきてくれ。』
駅のトイレでこっそり着替えて、制服を押し込んだ通学鞄を新田と同じロッカーに入れ、共に電車に揺られる。
テスト前は短縮授業が増えることもあり、校内にいるときから級友たちも浮き立っていた。何を食べるとか、女子校に近い駅で降りてみようとか、休み時間になると放課後の過ごしかたで持ち切りだった。
高校生らしい楽しみに新田と加わることができる。肉体を提供している自分を忘れるために、新田の手を強く握った。
「ここにしよう」
そう言った新田と並んで降りたのは新宿駅だった。テレビでもおなじみのファッションビルを冷やかして歩く。
少年や青年の出入りが多い店舗のロゴに見覚えがあった。
「あ……ここ」
新聞をとれと高岡から言われていたころ、新田が全国紙と経済紙を持ってきてくれたことがあった。ロゴが表す店名は、新聞が入っていた袋と同じものだった。
入り口近くの棚に、新田が好んで着るパーカーやTシャツが積んである。値段も手ごろだ。春樹は新田の袖を引き、そこらじゅうを見まわしながら進んだ。
「なに買うの? しゅ……先輩なら、これが似合いそう!」
「いや、今日はその、買うつもりじゃ」
「せっかく来たのに一着も? こっちも合うと思うけどなあ」
友人と服を買った経験は数回しかない。仕事をするようになってからは、壬の店の世話になりっぱなしだ。
年齢に見合った洋服を新田と選べるだけで鼓動が速くなる。躊躇する新田に、なかば強引にカットソーの肩を合わせた。
「すごく合うよ。僕も何か欲しいな」
ブルーのアーガイルにとまどっているのか、新田は首を縦に振ろうとしない。春樹はワゴンの商品まで見ていく。
有線放送の音と人いきれで、新田のため息に気づきもせずに。
「……怒ってる?」
ファーストフード店に入ってから、新田はほとんど口をきいていない。好物のハンバーガーも注文せず、何も入れないアイスコーヒーを飲んでいるだけだ。それだけならまだしも、机の下で財布のなかを覗いている。
春樹はわざと音がするようにコップを置いた。
「レシート、ないの?」
新田らしくない、呆けた顔がこちらを見る。
「さっきの洋服屋のレシート。あるなら下さい。返品してくるから」
「なんでそんな……お前に選んでもらった服だ。返す気なんてない」
「だって、怒ってる。僕が浮かれて、欲しくもないもの買ったから。レシートと服、渡してよ。返してきます」
顔が火照って、語尾までかすれた。新田と買い物ができて喜んでいたのは春樹だけなんて、情けなさすぎる。
カットソーをひったくろうとする春樹の手を、大きな手の平が押さえた。いつもと同じ、あたたかい新田の手だった。
「ごめん、春樹。誤解させて悪かった。もっと早く言うべきだったな」
厚みのある唇が一度引き結ばれ、聡明な瞳がまっすぐ春樹を見る。
「もう一度────あのホテルに行きたい」
目の前にいる人が言う言葉とは思えなかった。
ここから少し北に入った、異性とでなくても入れるホテル。暴漢のナイフに怯えた新田が春樹を置いて逃げた、忌まわしい場所に行きたいと……?
行けば嫌な思いをするのは新田のほうだ。乱暴な男たちのもとに春樹をひとりで残した事実は残る。
どんなに言葉をつむいで乗り越えても、過去を消せるわけではない。
「修一……つらくならない……?」
一瞬の間をおき、新田が春樹の手をテーブルの上で握った。隠すことなく両手で包みこまれる。
「お前さえ嫌じゃなかったら、ついてきてほしい」
隣席に座る女子高生が目を丸くしても、新田は春樹の手を離さなかった。