ウエイトレスの恋・4
恋愛映画で泣くなんて。
テレビドラマや映画で涙腺がゆるむことは皆無ではないが、キスシーンを見て涙が出たのは初めてだった。
映画館を出たのが九時少し前。駐車場は、もう一本奥まった通りにある。何時から仕事があるのかわからないが、高岡は腕時計を見ない。そしてどういうわけか、落葉樹の並木道がある公園に立ち寄った。
高岡は先を歩き、歩調を合わせようとはしない。落ち葉を踏む音が違う。高岡の音は規則的で軽い。春樹の音は、引きずったり小走りになったりで、小さい子がふざけて歩いているみたいだ。
何か言いたそうな顔の高岡が振り向く。外国人のように高く上がった眉がカンに障る。どうからかってやろうかと、愉快な算段をしているに違いない。春樹は高岡を睨んで口を開いた。
「あんな映画で泣いてごめんなさい。歩くの遅くて、ごめんなさい」
吹き出すと思ったのだが、高岡は歩くペースを落としただけだった。
「あんな、とは思わなかったが。いい映画だった」
並んで歩く高岡を見上げた。今夜は月が隠れている。まばらに立つ街灯が、見た目の良い男を浮かび上がらせる。何となく、本当に何の気なく、高岡の予定を訊きたくなった。
「今夜……お仕事、ありますよね」
「お前を抱くつもりだったので、あと三十分程度なら大丈夫だ」
「! だっ……!」
春樹は落ち葉を蹴散らしながら、猛然と歩いた。歩くというより、走ったというべきか。
いい映画だと言った口で、雰囲気を壊さなくてもいいだろう。それも、からかい口調で。
映画の感想を話したい、できれば何か温かい飲みものでも飲みながら、なんて、考えるほうが間違っていた。高岡に並の情緒を期待しても裏切られるだけだ。涙を拭われるのと同じ、何度も同じ過ちを繰り返してしまう。
「ムードを壊すな。ゆっくり歩け」
どの口が言うのだ。
頭が沸騰しそうだったから、冷ますために早歩きをやめた。高岡の隣に戻るためではない。断じて違う。
「高岡さんは、どこがいいって思いました?」
無駄は承知だが、高岡のペースにはまりたくない。この男との会話は、遠まわしな説教か禅問答ばかりだ。
映画館で映画を観て、夜の公園を歩く。こんなときくらい自分で会話を始めてみたかった。期待せずに訊いてみたら、意外にも高岡は真面目に答えた。
「セリフが無いのに、恋の終わりが伝わったところだ」
確かにそうだ。ガラス越しのキスをする前、雨の中を想い人が駆けてきたときから幕が引かれるまで、セリフはひとつもなかった。演技ですべてわかった。
渾身の力で扉を押さえる主人公が、愛しい想い人を冬の雨にさらした。青い血管を透かす白い手が、カフェを舞台にした恋に終止符を打った。びしょ濡れの想い人以上に、主人公の顔は蒼白だった。
知らず、唇に触れていた。手袋をしていない指先で、自分の唇をなぞる。
ガラスを隔てて体温が伝わるのだろうか。扉を開ければ触れることができるのに。最後のキスは、あたたかいものであってほしい。それでも主人公は、あのキスを選んだ。
「口をどうかしたか」
「あのキス……映画の、最後の。あんなの、したことないな……って」
同じ速度で葉を踏む男の、悪だくみをうかがわせる視線を感じた。春樹は今日二度目の作り笑いをした。
「もう三十分、経ったんじゃ」
「まだ経っていない」
「でもっ。あのっ……うわあっ!」
車道側ではない木の裏に引っ張り込まれる。逃げようとした足が落ち葉にとられた。靴が滑って倒れかけた体を、高岡が抱きとめる。そのまま幹に背中を押し付けられた。
背中を預けたはずみで葉が落ちた。そのうちの一枚が春樹の肩に乗る。高岡が光る目を細めて、肩に落ちた葉をつまみ上げた。