NOVEL

光の影 -2-

 僕は一人でいたくない。だけど、相手は誰でも良い訳じゃない。
 たった一人、本当に好きな人と、世界でたった一つの存在になりたい。ただ、それだけ。多くは望まない。たった一つだけで良い。他には何もいらない。家族も、友人も、平穏も、幸せも。たった一つ。愛情だけあれば、それで良い。
 僕一人を世界で一番愛してくれる、この世で唯一人のひと。それだけいれば、僕はとても幸せになれる。命なんて、ただそれだけのためにあれば良い。
 多くはいらない。
 他にはいらない。

 観劇が終わって外に出ると、彼の姿は無かった。言われた通りの場所のファミリーレストランへ一人で入った。
「いらっしゃいませ、お客様。何名様でしょうか?」
「二人です」
 そう答えてしまってから、慌てて付け足した。
「今はいないけど、後から来ます」
「……判りました。では、こちらのお席へどうぞ」
 促されるまま、座った。
「ご注文はこちらのベルを鳴らして下さい。お伺いに参りますので」
「……お願いします」
 僕はこういう場所へ来たのは初めてだった。……いつも、食事は一人で家でするか、でなければ行きずりの人と、ホテルの個室で簡単な食事をするのが関の山で……ファミリーレストランって初めて入った。家族連れや、中高生くらいの団体、あとカップルなんかで溢れ返ってる。
 そうか。そういうもんなんだ?
 僕はぼんやり思った。……何だか楽しそう。遠く、見つめて。……二人って言ったけど、彼が来なかったらどうしよう? 僕一人でずっとイブまで座り続けて、誰もいなくなってしまったらどうしよう? ……そんなのはイヤだな。そしたら一体何処へ行ったら良い? ……僕は何処で時間を潰せば良い?
 ……今更、彼以外の人と寝るのはイヤだった。
「……お待たせ」
 思わず。立ち上がってしまった。
「……何?」
 きょとん、とした顔で彼は僕を見た。
「あっ……来て下さったんですね!?」
 彼は──中原龍也さんは、笑った。その顔を見てから、僕は自分が変な事を言ったのに気付いて真っ赤になった。
「あっ……すっ……すみません……!!」
 恥ずかしくて、顔が上げられない。
「……来ないと思った?」
 優しく、甘い声でそう聞かれた。返事が出来ない。……恥ずかしい。
「……俺は、一度した約束翻すほど薄情な男じゃないよ」
 歌うように、笑うように言った。……僕はほんの少し、安心した。彼の気を悪くしたらどうしようってそう、思ったから。
「……すみません……僕……」
「……ま、遅くなったしね。……そう思われても仕方ない。……ところで食べたの?」
「いえ、まだです。……あなたが来てから食べようと思って……」
「……それなのに俺が来ないと思ったんだ?」
 面白そうに彼は笑った。真っ赤になった。
「あっ……そのっ……僕……っ!!」
 彼はくすくすと笑った。
「……面白いね」
「……え?」
 僕はびっくりして彼の目を見た。笑いながら、優しい眼差しで僕を見ている。楽しそうに。
「……俺に『セックスしませんか?』なんて顔赤らめもせず言ったクセに、そんな事で赤くなってる」
「……あっ……!!」
 カァッと顔が熱くなった。耳まで熱い。彼はくすくす笑う。
「……気に入った」
「え!?」
「……気に入ったよ」
 優しく笑うその顔に、僕は思わず見惚れてしまった。
「さ、食事しようか? ……好きなの頼んで良いよ。勿論俺が奢るからさ」
 楽しそうに、彼は言った。
 ……どうしよう。
 どきん、とした。……僕、この人、凄く好きだ。物凄く好き。会って間もないのにこんなに好きになって、大丈夫だろうか?
 彼はにこにこと笑いながら、僕を見ている。

 ……僕は……彼と釣り合ってるだろうか?

 ぽつん、と思った。僕は、彼にふさわしい?
 穏やかに、楽しげに明るく笑う人。表情によっては物凄く目つきの悪い一重の目が、子供のように細く無邪気に笑ってる。本当に楽しそうに笑う人。

 ねぇ? 僕は自信を持っても良い?

 言えないけど。……あなたを好きになっても良いですか? 僕は、あなたを好きでいても良いですか? あなたをもっと好きになっても良いですか? 僕を好きになって欲しいなんて言えない。僕を好きだと言って欲しいだなんて言えない。でも、僕はあなたのこと、好きになっても良いですか? あなたを好きでいて良いですか? あなたを好きだと思う僕のこと、あなたは許してくれますか?
 あなたを好きだと思うその気持ちを、否定したりしませんか? 好きだと思う事を『やめろ』だなんて言いませんか? それすら駄目だと言われたら、僕はもう死ぬしかない。たぶん僕はあなたをもっと、好きになる。それが重荷になるだなんて、あなたは言わない?
 願わくば、この想いが叶いますように。……幾度、願っても叶わずにきた言葉だけど。

 彼の指はまさに理想的だった。太くてごつごつした指。僕の頬をすっぽり包んでしまいそうな。待ちきれなくて、思わず指を口に含んだ。ざらついた感触が気持ち良い。人差し指をくわえて舌を使って爪の先から根元まで、唾液が滴るくらいに舐める。
「……『好き』だな」
 彼は苦笑した。僕は頷く。凄く、好き。大好き。ぴちゃぴちゃと音を立てて舐める。凄くいやらしい音。僕は好きだ。
 彼の右手が僕の頬をゆっくりと包む。このごつごつとした厚みのある手の平が好きだ。アレをしごくくらいにしか使ってない軟弱な手の平には、僕は全く興味がない。彼の手は、日頃の鍛錬と彼の日常生活によって、固く厚い。一朝一夕でこうはならない。彼の指が僕の顎を、つっと撫でた。思わず僕は喘いで口を開けた。
「……ぁっ……んっ……」
「エッチな顔して。そんなに『欲しい』?」
「……あっ……」
 ベッドへ押し倒される。ベルトを片手で外して、ジッパーが下ろされる。左手で唇をこじ開け、喉の奥に突っ込まれる。僕は顎を閉じる事も出来なくて、嘔吐しそうに苦しくて、窒息しそうで思わず両手でその手を掴んだ。なのに、彼はひどく魅力的な笑顔浮かべて、右手で僕のズボンを膝まで下ろした。
「……酷い事されるの、好きだろう?」
「……ぅ……ぁっ……!!」
 左手中指の腹が下顎を撫で、人差し指と親指が上顎を支えている。唾液が、口の端から零れ落ち、滴りシーツに染みを作った。
 彼は右手の人差し指と中指をそっと口に含んだ。その瞳に、欲望が光っているのを見て、思わず吐息が洩れた。笑いながら、彼は乱暴に僕の両足を折り曲げる。腹に密着させるように押し付けて、後ろに右人差し指を滑らせた。
「……ぁっ……」
  焦らすように、何度も入り口付近を行き来する。左手指で僕の口腔を弄びながら。僕は喘ぎ、楽しそうに笑う彼の指に舌を絡めてねだった。ぴちゃぴちゃといやらしい音が、部屋にこだまする。濡れた指で、何度も入り口を素通りして。彼の熱い器官を下腹部付近に感じるのに、彼は平静な顔して僕を弄び焦らす。
「ほら、自分でシャツのボタン外して?」
 笑いを含んだ声で、甘く囁かれた。僕は言われるままに、ボタンを一つずつ外していく。彼の視線が僕の手に注がれてる。脱がされるより何だかひどく恥ずかしくて、僕の指は震えて上手く動かない。もどかしいくらい、手間取りながら、ようやくボタン全て外し終わった。
「……可愛いね。恥ずかしいのかい? 自分で誘っておいて? ……そんな耳まで赤らめて。処女じゃないんだろう? ねえ?」
 優しくて甘い声なのに、意地悪で。僕は、ひどく顔が熱くなって、目を逸らした。すると口の中から指を引き出して、彼は僕の顎を捕らえ、無理矢理自分に向けさせた。真っ直ぐな目で、彼の目が僕を射抜く。口元には笑みを浮かべてるのに、目だけはひどく真剣で真摯で。熱いのに、何処かひどく冷たい瞳。僕の全てを射通すかのような、真っ直ぐな瞳で。どんな嘘もまやかしも全て見通してしまいそうな視線で。
「……ねえ? 気持ち良い?」
 笑ってるのに、怒ってるみたいな口調で。僕は思わず彼を凝視した。
「……気持ち良いなら気持ち良いって言えば? 良くないなら良くないで、それでも良いからさ」
 くすくすと笑いながら。
「……あ……の……っ」
 何だか恐い、と思った。今まで誰とセックスしても恐いだなんて思った事無かった。どんなに酷い目に遭わされても、痛い目にあっても、全然恐いだなんて思わなかった。
「ヤりたいんだろう? ヤれれば誰だって良い? 今まで何人とした? 気持ち良かった?セ ックスフレンドは何人いる?」
「あのっ……な……かはらさんっ!!」
「……何?」
 何事もなかったような平静な顔で。右手で僕をまさぐりながら。
「……あなたが良かったんです。……あなたと『したい』と思ったから……僕は……」
 そう言ったら、ひどく優しい笑顔になった。びっくりするくらい穏やかで優しい笑顔。
「……そう」
 優しいけれど、何処か悲しそうな顔で。僕は思わず彼の首に両手を回して抱きついた。
「……なっ……?」
「……あなたが好きです」
 心から、迸り出た言葉。
「あなたが好きです」
 驚いたように僕を見る彼の額に唇を落とした。
「好きです」
 右頬に。
「好き」
 左の頬に。
「凄く好きです」
 唇に、唇で触れて。
「……会ったばかりで?」
 揶揄するような口調で、彼は言った。
「時間なんて関係ない。……僕はあなたが好きです。あなたを初めて見た瞬間から。……今は、もっと。もっと好きです」
 彼の瞳をじっと見つめた。彼の瞳が微かに揺らめいた。何故か自嘲の形に唇が歪んだ。
「……中原さん……?」
 彼は笑った。目を伏せて、唇だけで。
「……『龍也』で良いよ。……名字だと、仕事の延長か仕事仲間相手みたいで気が削がれる」
「……たつや……さん」
 彼は笑った。ひどく優しい微笑みで。僕をそっと優しく撫でた。それから優しいキスをする。ついばむような、ソフトなキス。何度も、何度も、繰り返し落としながら。胸を下腹部を彼の指が這う。固く屹立した乳首を揉み上げられ、弄ばれてる。僕と、龍也さんの息が触れ合い、交錯する。部屋の温度が少しずつ上昇していく。右人差し指と中指でそっと入り口を開いて、口付けられた。
「……ぁあっ……!!」
 熱い舌が、それだけ別の生き物みたいに滑り込んでくる。呻いて、僕は拳を握り締めた。ゆっくりと、身体を押し広げられる。熱くねっとりとした舌が僕の内部へと侵入してくる。その熱さと心地よさに、僕は酩酊した。腕が伸ばされ、僕の中央で小刻みに震えてるソレに手を触れて、ゆっくりと扱き始めた。
「……龍也さん……!!」
 ぴちゃぴちゃと舐める音と、扱き上げる音がひどく響いて聞こえて。優しいけれど真摯な視線が僕の奥へと注がれている。
 何も隠せない。この人の瞳はきっとどんな嘘も見抜いてしまう。不意に、またひどく恐いと思った。この人の瞳は、あまりにも強すぎて、真っ直ぐ過ぎて。僕の全てを暴かれ、晒し出されてしまう気がして、思わず身震いした。そんな僕に気付いて彼は笑った。僕はまるでそれが生まれて初めての行為のように、細かに震えていた。繰り返し、数え切れないくらい交わしてきた、経験してきた行為の筈なのに。
 彼の太くて厚い手の平が僕を包み、押し上げる。右人差し指が差し込まれた。
「……ぁっ……」
 彼の瞳が僕を見つめている。いたたまれ無くなるくらいじっと僕を見つめて、逸らさない。まるで僕の行為全てを視界に収めようとするみたいに。指で犯され、乳首を指で挟まれ揉み込まれてる僕を観察するみたいに。優しく慈悲深い穏やかな瞳で。まるで他の誰かを見てるみたいに。中指が追加された。
「ぁっ……はっ……」
「……気持ち良い?」
 彼は訊いた。
「……イイ……」
 荒く、息を吐きながら、僕は彼を見上げた。彼の目が僕の目を見ている。
「……凄くイイ……」
「こんなもんでイイの? じゃあ、本番いらない?」
「……イヤ」
 僕は呻いた。
「……イヤです。して。……して下さい。お願い……して。挿れて。ぐちゃぐちゃに掻き回して。僕を壊れるくらいに貫いて……僕をあなたで一杯にして……!!」
 不意に、指が引き抜かれた。彼の瞳が変化した。真っ直ぐな瞳。だけど僕を見てない瞳。荒々しい獣みたいな目で。彼のジッパーが下ろされ、そのまま挿入された。乱暴に、荒々しく彼が侵入してくる。
「……あああぁぁっ……!!」
 息が詰まるかと思った。殺されそうなくらい、凶暴な意志に満たされた『彼』が僕の身体を乱暴に凶暴に抜き差しする。僕は感覚が麻痺して、ただ『それ』だけに支配されて。荒々しく求められる『それ』に満たされて、貫かれて。腿が、腰が熱く強く麻痺しそうな程に打ち付けられて、僕は気が狂いそうなくらい『苦痛』とも『快感』ともつかぬ『それ』に『支配』されて。目の前の景色がぐるぐると回る。腸壁を、抉るように鋭く突かれて、腰を浮かせて仰け反った。両腕で、限界ぎりぎりまで足を押し開かれ、腰を高く掲げられて腰を叩き付けられるように、貫かれる。永劫に続きそうなその行為に、僕はのたうち喘ぎ、震えた。声を抑える事も忘れて、悲鳴のように大声を上げてた。少しずつポイントを変えながら、何度も何度も突き上げてくる。次の予測がまるで立たない。僕は『彼』に翻弄されて支配されて。爪を立てた。腿が鬱血しそうに強く掴まれ、自由にならない。荒い息が狂気的な熱が、空間を支配している。全てのイニシアチブを彼が握って、獣の瞳で、僕を見つめてる。熱く、荒く激しく僕を求めながら、強く激しく僕を貫きながら、彼の目が、僕の向こうを射抜いて違うものを見てる事に気付いた。
「……ぁっ……ぁあああぁぁぁっ……!!」
 それでも彼の動きに反応してしまう僕の身体。一気に貫かれて僕は失神しそうに気持ち良くて。
 ──この人は、僕を好きじゃない。
 そう判ってしまったのに。僕の目に涙が滲んだ。
 ──なのに、僕はこの人が好きだ。最初会った時より、ずっと。
 まだ何も知らないのに。この人がどういう人か、何をしてる人なのか、何処に住んでるのかも年齢すらもまだ、何にも知らないのに。

 この人が好きだ。

 くらくらする。僕の内部で『彼』のモノが解放された。叩き付けるように放たれるそれを感じながら、僕は眩暈に襲われていた。

 ……どうしよう。

 唇を噛み締めながら。彼は静かな顔で、額に口づけた。
「……どうした?」
 どうしよう。
 僕は彼を見つめた。優しい穏やかな瞳。温かな視線。……だけど。

 ──僕を見てはいない。

 絶望的なまでに。……彼は僕の事は見てる。ただ、その辺にある置物や花や、動物となんら変わらない。彼は優しく振る舞ってはくれるだろう。僕が望めば、僕を抱いたりキスしたりしてくれる。……だけど。

 彼自身がそうしたいと望み、そうする事は無いだろう──。 
 代償行為の『それ』以外には。

 目の前が真っ暗になった。

To be continued...
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