NOVEL

光の影 -3-

 何故、彼は僕を抱こうと思ったんだろう?

 僕は不思議だった。とても不思議だった。……だって僕は、好きだと思った人以外と、そういう事する気にはなれなかったから。
「……いつも……こういう事してるんですか?」
 そう聞いたら、彼はにやりと笑った。
「……そっちこそ」
 何処か楽しそうな口調で。
「僕は……」
 確かに、いろんな人と寝てる。……寝た事がある。だけど、まるで気持ちがないなんて事ない。例えば、行きずりだとしても、淋しさを紛らわすためであっても、僕が選ぶ人は、何処か初恋の高橋先生に似ていた。……何となく、目元が。……中原さんも……龍也さんも、そう。身に纏う雰囲気はまるで違うけど。……でも、何処か子供のような部分を残してるところが似てる。それ以外は全然別。
 初恋の面影を追ってる訳じゃない。それだけは確かだ。それだけは絶対。目が好き。指が好き。手の平が好き。顔が好き。広い肩幅も、高い身長も、溜息が出そうな程の綺麗な筋肉も、きゅっと締まった腰もお尻も脚も好き。それから……僕を貫くモノも好き。
 ……大好き。
「……シャワー浴びる?」
「……もう少し……このままが良い……駄目、ですか?」
「別に? 俺は構わないけど?」
 ベッドの上で並んで寝そべって。まるで恋人同士みたいに、膝枕されて。胸元から彼を見上げて。

 好きでもないのに、こういう事しちゃうんだ?

 僕には良く判らない。彼は優しく穏やかに笑っているけど。
「クリスマス……イヴですけど……誰かと、過ごすんですか?」
 明日のイヴは振り替え休日で休日だ。……たぶん、普通なら恋人と過ごすだろう。昼間はデートしたりして。
「……そんな相手、いないよ」
「え? ……でも……」
 彼はくすりと笑った。
「……ま、もっとも仕事で? 帰りがいつになるか判らないから、相手がいたとしてもどうにもならないけど」
「……イヴに仕事、なんですか? 夜遅くまで?」
「まあね」
 龍也さんは苦笑いした。
「俺の雇用主は人使いが荒いんだ。休祝日や週末の方が、平日より圧倒的に仕事が多い。……妻帯者なんて最悪だな。俺には関係無いけど」
「……え? じゃあ、龍也さんて平日の方が暇なんですか?」
 ……ますます判らなくなってきた。もしかして、イベント関係のお仕事してる? ……でも、そういうの、何だか似合わない。
「……ヤクザな商売だとか思ってるでしょう?」
 にやり、と楽しそうに笑った。
「そんな事思ってません!!」
「そう?」
 くすくすと龍也さんは笑った。
「俺、ヤクザとかマフィアとかに間違われるぜ? 結構。あとヒモ」
 くっくっと楽しそうに。
「そういう勘違いされるような事やったんですか?」
 軽く、目を見開いた。
「……どうかな? ……似合わないスーツを仕事着にしてるからだと思うけど」
「……あ、仕事着なんですか? スーツ。じゃあ、やっぱりイベントの設営とかその関係の?」
「……イベントの設営?」
 面白い事を聞いた、と言わんばかりの顔で、僕を見た。
「何? そういう風に見える? ……それは初めてだな。そんな事言われたの。……でも、イベントの設営でスーツは無いんじゃないかな。汚れるからさ」
「え? ……あっ、ごめんなさい。僕……」
「……面白い。じゃあ、他にどういう風に見える? 俺の職業当てたら、何か買ってあげるよ」
「え? 職業……ですか?」
 たった今、思い切り外したばかりだ。咄嗟に言われて、困惑する。
「何でも好きなもの買ってあげても良いよ? 金には不自由して無いから」
 ……高いスーツだった。良く考えたら。普通の給料じゃとても買えない。上下合わせて数十万はするだろう。ネクタイもそれだけで数万円する絹製でブランド品だった。センスは良い。しかも上質。しかも上品。彼が乗ってきた車はBMWだった。ほぼ新品の。筋肉の付き方は一朝一夕で出来上がるものじゃない。彼の手の平は日夜酷使している手だ。例えば、キーボードとか鉛筆なんかを握っている手では無く、もっと硬いものを握り慣れてる手だ。そう言えば指にタコが出来ていた。……そう……あれは……。
 どきり、とした。思わず龍也さんを見上げた。
「……え? 何?」
「……あの……刑事さん、ですか?」
「……刑事?」
 彼は奇妙な顔をした。虚を突かれたような。
「……え? ……だって……」
 思わず僕は龍也さんの右手を見た。右人差し指先端にあるタコ。あれは……。
 龍也さんはくすりと笑った。
「……もしかして、刑事と付き合った事あるの?」
「え? ……ぁ……はい……」
 かぁっと頬が熱くなった。
「……成程ねぇ。そういうアプローチで来たか。……随分観察してるんだ? ……て言うか、普通はそういう事気付かないよね?」
「……じゃあ……刑事さんでも無いなら……」
 猟師? ……それこそ、彼には似合わない。だって彼はライフルよりも……。
「『銃を扱う指』に気付く人間てのは少数だよね。……と言うか、本来そういうのはバレちゃマズイんだが……」
「え?」
 どきん、とした。
「……この際だから、共犯になる?」
「きょ……共犯って……!!」
 僕は思わず絶句した。驚いて、彼を見上げた。龍也さんはにこにこと笑っている。
「……貴重な『体験』、させてあげようか?」
「……な……何ですか? その……貴重な体験って……」
 龍也さんはそれには答えずに、僕の唇を塞いだ。……キスで。
「……んっ……ぁ……っ!!」
 彼の右手が、僕の脚の間に伸びる。
「……っ……ぁあっ……ぅっ……」
「……『答え』はね」
 唇を離して、彼は笑った。
「……『ボディーガード』」
 指で、まさぐりながら。人差し指と中指で、弄ぶように揉み込んで、撫で回して。
「……だから、本当は『内緒』だよ?」
 そう言って、押し入るように指を呑み込ませた。
「ああぁっ……!!」
 彼は自分のと僕のを一緒に握って扱き始める。そうしながら、僕の後ろを指で犯す。痛いのにひどく気持ち良くて、眩暈がする。僕はもう何も考えられない。全部彼を感じるためだけの器官になって。
「ああっ……ああぁぁっ……あぁっ……はぁっ……ぁっ……!!」
 彼は笑う。
「……ねぇ? 気持ち良い?」
 ……判ってるくせに。……酷い……人。
「気持ち良いなら気持ち良いって言ってよ?」
 楽しそうに笑いながら。
「……ぅぁっ……ふっ……気……っ……持ち良いっ……ぁっ……です……すっごく……ぁあっ……あああぁっ!!」
 楽しそうに僕を貫きながら。……彼は僕を、見てる。
「もっと言ってよ?」
 余裕無いくらい激しく僕を突き上げながら。切羽詰まるような動きで僕を攻め上げながら。
「……すごくっ……ぁあっ!! ……イイですっ……!! もっと……っ!! ぁああっ!!」
「……淫乱だね。もっと激しくして欲しいの?」
 くすりと彼は笑った。耳が、熱くなる。
「ぁっ……僕を……っ……壊してっ……何もかもっ……全部っ……粉々になるまでっ……僕を……!!」

 ──何も考えずに済む『人形』になれるくらい、滅茶苦茶にズダボロに壊して。あなたを恨まずに済むくらい。……あなたを好きになった事を後悔せずに済むくらい。何もかも壊れそうなくらい、僕を貫いて。僕の全てを満たしてよ。僕の飢えを満たしてよ。

「……僕を貫いてっ……あなたで僕を一杯にして!!」

 切実な願い。……祈り。

 たぶん誰にも届かない。──あなたにも。

「もっとして!! 頭が……空っぽになるくらい!!」

 祈りはきっと、届かない。
 龍也さんは穏やかに笑って僕を見てる。身体だけは僕を強く求めてるのに、気持ちのレベルで僕を求めてない。

 ……お願い、求めて。

 言えないけど。誰にも決して言えないけど。
 僕は結局、いつまでも辿り着けないまま……。

「好き…………っ!!」

 この一瞬が。

「大好きっ……!!」

 気持ちが手に入らないなら、『偽物』でも良い──『僕』を見つめて。『本物』になりたいけど、それはたぶん一生無理だから。
 ほんの一瞬で良い。……『僕自身』を見つめて? 『僕』に他の誰かを重ねないで。他の誰でもない『僕』だけをどうか見つめてよ。
 愛してなんて言わない。愛が人を救うだなんて思ってない。大事なのは僕が、相手を愛しているか。……結局のところ、相手が僕を『愛してるよ』と言ったとしても、僕にはそれを確かめる術がない。確認する術がない。言葉はとても不確かで不完全で、意味がない。

 ねぇ、お願いだから『僕』を見てよ?

 お願いだから、『僕』だけを見て?

 目の前にいる『僕自身』を認識して?

 愛情なんか信じないから。
 そんなもの、信じられないから。
 『決して変わらない』なんて絶対嘘だから。
 『お前だけ愛してる』なんて、とんでもない嘘だから。

 お互い二人でいる時だけが、全て。

 ねぇ、『僕』を見てよ?

 素通りする瞳なんて見たくない。

 ねぇ、本当に『僕』を見てる?

 あなたは優しく笑うけど。

 いつの間にか、窓の外は雪が降り積もっていた。うっすらと白く化粧されたアスファルト。僕は窓辺に腰掛けて。僕の吐息で、窓が白く曇る。
「雪は、祈りに似てるね」
「詩人なんだね、律は」
 くすり、と龍也さんは笑った。僕は曖昧に笑った。
 街に降る雪は、コンクリートとアスファルトに阻まれて、母なる大地には辿り着けない。切実な願いも祈りも、神の心臓には決して届かず、その表層を流れ、人工的に作り出された偽物の川を通って、汚れた排水場と化した海へと流れ去るだけ。何の報いも恵みもなく。ただ、通り流れ過ぎるだけ。意味も、理由も、価値もない。誰の記憶に残る事なく、誰かの何かの役に立つ事もなく。存在に、理由を意味を持たない。街に降り積もった雪は、邪険にされ疎ましがられ、踏みにじられ、人工的に溶かされ、春を待つ事なく、澱んだ排水溝を通って海へと流れ去る。ほんの一瞬の、大地との融合も遂げる事なく。

 ──僕は、一生誰かの『光』にはなれないのかも知れない。

 ぽつりと思った。

 僕は一生『光』の『影』で、街に降る雪のように、何の意味も意義もなく、通り過ぎて流れ去るだけの存在なのかも知れない。……そう思ったら、ひどく胸が痛くなった。
「……大丈夫?」
 表面上は優しげな穏やかな声。
 僕は、笑った。
「……抱きしめてくれますか?」
「良いよ」
 彼は笑った。──たぶん、僕はバカな事をしている。それでも……僕は……。
 裸のまま、抱き合って。……キスを交わしながら、ベッドの上へ押し倒される。
「ん……ぁっ……」
「……扇情的な、顔」
 そう言って、彼は舌先で僕の顎を舐め上げた。
「ぁあっ……!!」
「……挿れて欲しい?」
「……挿れてっ!! ……突いてっ……壊れそうなくらい、僕を貫いてっ!!」
 そう言って、彼の唇を求めて、舌を求めて。舌を絡め合って互いを貪り合って。
「僕を、滅茶苦茶にして」
 誰にも何にも届かない、祈り。
 身体の一番奥深いところを、刺し貫かれて。
 僕は高く、悲鳴のように、声を上げた。

 窓の外の雪は、まだ降り止まない。

The End.
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