NOVEL

光の当たる場所2 緋色の妄執 -6-

 米崎邦雄という名の男が現れたのは、久本が内線で呼び出してから、二分後のことだった。無愛想な男だ、というのが第一印象だった。にこりともしないで、ちらりと俺の顔を見下ろしてから、久本の方へと向き直った。
「お待たせいたしました」
「いや。いつものことながら、早いね、君は。……紹介するよ、龍也君。こちらが、四条家の執事の息子で僕の幼馴染みの米崎邦雄だ。邦雄、これが、いつも話していた、中原龍也君。……どうだい? 初めて会った感想は」
 米崎は苦笑する。
「どうと言われても困ります。会ったばかりですから」
「そうかい。……龍也君は?」
「……別に」
 俺が呟くと、久本は肩をすくめた。
「ところで、互いに自分で自己紹介とかしないのかな?」
 その言葉に米崎が反応した。慇懃無礼に礼をする。
「初めまして、米崎邦雄です。以後、お見知りおきを」
「…………」
 初対面の中学生に対してするにしては、あまりにも丁重すぎ、かつ嫌味臭いあいさつだ、と思う。相手の下げられたままの頭に、無言の重圧を感じて、俺は思わず視線を逸らした。すると、米崎はゆっくり頭を上げた。
「……邦雄」
「了解しております。貴明様のおっしゃられたよう、十分注意いたします。何か動きが判れば、すぐにご連絡差し上げますので。……前回同様」
 前回、だと!?
 ぎくりとして顔を上げ、相手を凝視すると、米崎はふっと、小馬鹿にしたような顔で、笑った。
「っ!?」
「ああ。実は、由美子の居場所を探るのに、米崎を頼ったんだ。彼は有能な男だよ。様々なコネクションを駆使して、あの部屋を突き止めてくれた」
 久本の言葉に、米崎は無言で頭を下げた。
「とりあえず、僕はまだまだ若輩者で、修行が足りないからね。でも、いずれは自力でやれるようになるよ。既に、少しずつ準備はしているしね。それはともかく、龍也君。君は、邦雄には感謝すべきだと思うよ?」
「……ありがとうございました」
「いえ。貴明様のご依頼通りにしただけですから」
「…………」
 くすくす、と久本は笑った。
「それじゃ少し意地悪に聞こえてしまうよ、邦雄。彼はまだ子供なんだから。可愛がってあげなきゃ駄目だよ?」
「では、ホットチョコレートでもお持ちいたしましょうか?」
「ああ。それ、良いね。僕も飲みたいな。……龍也君、君はホットチョコレートは好きかい?」
「なんだそりゃ? 板チョコ暖めるのか? それって飲み物なのかよ?」
 言った途端、久本はぷっと吹き出し、それまで仏頂面だった米崎までもが、笑いを噛み殺すように、顔をしかめた。
「っ!?」
 な、なんなんだよ。なんでそんなに笑われなきゃならないんだよ!!
「あはははっ……ふふふっ……ぷっくくくくく……ご、ごめん、た、龍也君。君があんまりにも可愛くて……そ、そうか。ホットチョコレートって呼び方はあまり一般的じゃなかったかな? 別の呼び方をすると、『ココア』なんだけど」
「っ!?」
 だったら、最初からそう言え!!
「くそっ。そんなに笑うことねぇだろ!? ホットチョコレートだなんてまぎらわしい呼び方すんなっ!! ココアなら最初からココアだって言えば、俺だって!!」
「うん、そうだね。……でも、もしかして、ココアとチョコレートが同じカカオからできてるって事は、知らない?」
「カカオ?」
「……ま、良いか。そんなのどうだって。邦雄の作ってくれるホットチョコレート、つまりココアはとてもおいしいんだ。だから、一緒に飲むと良いよ。まあ、君が言ったように、チョコレートも溶かして入っているから、とてもコクがあっておいしいよ。生乳や生クリームも入ってる。分量はどうするのか、僕は知らないけど。興味あるなら、邦雄に教えてもらうと良いよ」
「……別に良いよ、そんなの」
 ぶすっとして言うと、久本は楽しそうな笑い声を上げた。
「あはは、はは、はっ……。ああ、すごくイイなぁ、龍也君は。可愛くて面白くて、大好きだよ。ものすごくツボに入るなぁ。君がいると、楽しくて良いよ。……邦雄、とりあえず僕と龍也君の分、作って持ってきてもらえるかい? あと、君の分も作って一緒に飲もう」
「あ、いえ。俺は仕事が他にありますから。二人分のホットチョコレートだけお持ちします」
「そうかい? それは悪かったね。忙しいなら無理には頼まないけど」
「いえ。大丈夫です。ただ、食事の支度を手伝ったり、父の仕事の雑用をするだけですから」
「そうか。……有り難う、邦雄」
「いえ。……では、失礼いたします」
 米崎は一礼して、立ち去った。
「どうやら邦雄も君のことを気に入ってくれたようだね」
 どこが!? 俺は叫びそうになった。
「だって、彼は誰にでもホットチョコレートを作ってくれるわけじゃないんだよ? 僕には良く作ってくれたけど、それも大抵は夜寝る前とか、僕が一人で泣いている時とかだったし。泣いてもいない龍也君に作ってくれるだなんて、大サービスだと思わないか?」
「……俺はその大サービスに塩か胡椒でも入ってるんじゃないかと思うぞ」
「そういう悲観的なこと言うのやめてよ、龍也君」
 大体、本当に気に入られたなら、あんな風に小馬鹿にした笑みを浮かべたりはしないだろう。
「あのね、龍也君。邦雄はああいう感じで、照れ屋だから、感情をあまり表には表さないけど、笑っていたよ」
「…………」
「ただ、邦雄が笑うと何故か、何か企んでるような顔に見えたり、含むところがあるような顔に見えたりするんだけど」
 え?
「君が生意気で、礼儀知らずで、最低限のマナーも教育されていない不幸な子供だという事は、僕が十分話してあるし、邦雄はとても心が広いから、君がよほどのことをしでかさない限りは、おおむね見逃してくれるだろうと思うけど。でもまあ、言動には注意してね。……邦雄が怒ると、僕でもちょっと恐いから。仲裁はできないから、その辺よろしく」
 な、なんだよ、それ。そんなにヤバイやつなのか……?
「いや、恐いと言っても何か暴力振るったりとかはしないから。ただ、なんというか、話し掛けづらい雰囲気になるんだよね。なんというか、邦雄は神経質で真面目だから。冗談とかは通じないから、気を付けてね」
「…………」
「でもね、邦雄の作るホットチョコレートは本当逸品だから。たぶん甘いものが苦手というわけじゃなかったら、君も気に入ると思うよ」
「……そんなにうまいのかよ?」
 想像がつかない。
「うん。たぶんね、生クリームを泡立てて、牛乳をあたためて、その中に湯煎で溶かしたクーベルチュールチョコレートを加えて、上に生クリームをのせて、ココアを振ってくれるんだ。時には、ココアパウダーの代わりに、カラフルなトッピングチョコとかアラザンを振ってくれたりするんだよ。子供の頃はあれがなんだか妙に嬉しかったなぁ」
「アラザンって何だよ、ソレ」
「うん? 銀色のコーティングをした砂糖だよ。ケーキとか製菓の飾り付けに使うんだ」
「砂糖なんか振ってもらって嬉しいのか?」
 明らかに俺より金持ちのくせに、妙なことを言うやつだ、と思う。
「なんていうかね、自分のためにデコレーションされた甘い飲み物やお菓子って、子供の頃、嬉しくなかった?」
「いや。俺はそういう経験皆無だし。誕生日にイチゴショート食うのが関の山だったから」
「…………」
 一瞬、四条は固まり、気の毒げな表情を向けた。
「……そうか。そうだったね。君は著しく貧しい食生活と生活文化の中で暮らしてきたんだった。つい、うっかり忘れていたよ。それじゃホットチョコレートが何か知らなくても当然だね。箸やナイフやフォークの持ち方すら知らなかったんだし」
「そんな可哀想なものを見る目で俺を見るな!!」
「よし、決めた。これからは、親のいない貧しい子供達に豊かな食生活と、きちんとしたテーブルマナーをしつけるための環境作りのボランティア活動に励むことにするよ。この世にこれ以上、君のような不幸な少年を生み出さないためにも」
「お前、すごく失礼だよ!! 俺はそこまで不幸じゃないぞ!?」
「そうかな? 僕には至極不幸に見えるけど。人間は食べなきゃ生きていけないのに、それすらも満足にできない生活だなんて、犬畜生にも劣るでしょう? 俄然、燃えてきたよ、ふふ。ボランティア活動は企業イメージアップにも貢献するし、やりようによっては宣伝や節税対策にもなるしね。……社に出勤したら、早速秋芳社長に進上してみよう。あの方なら、きっと判ってくださるはずだ」
「……なんだかボランティアがきな臭い話になってきたんだけど?」
「やだなぁ、龍也君。世の中に心からの善意や無償の愛なんて存在しないよ。全てはフィフティ・フィフティ。企業利益がなければ、企業単位の寄付や献金なんて有り得るわけないでしょ? もし、見返りも利害もなしに、そんなことするおキレイなバカがいたら、鼻で笑ってやるよ。当たり前でしょ?」
「だっ……!!」
 そういうことを、人生に夢も希望もまだかろうじて持ってる青少年に言うな!! 久本!!
「お前なんか大っ嫌いだっ!! もうそれ以上喋るな!! 何も喋るな!! それ以上聞いたら人間不信になる!!」
「そういうところが可愛いなぁ。……まあ、君が聞きたくないと言うなら、これ以上言うのはやめてあげよう。君をいじめるのは楽しいけど、嫌われたら元も子もないからね」
「……久本、お前、俺をいじめてる自覚あったんだ?」
「当然でしょ? そんな、自覚もなしにいじめてたら、至極人迷惑じゃないか」
「十分人迷惑だとは思わないのか!?」
「だって、君は、怒らせでもしないと、僕にあんまり構ってくれないんだもの。何もしなくても君が僕に甘えてすがりついてくれるって言うなら、そうしても良いよ? 君が望むなら、君をベタベタに甘やかせて、君が欲しいと思うもの全て無条件に与えて、優しくしてあげても良い。……でも、そうなってしまうことで、今の君が変化してしまうのは恐いからね。人への感謝の仕方も知らない、バカで教養ない上、図々しいクソ生意気なガキは嫌いだし」
「……それ、俺のことか?」
「うん? 龍也君はそう思うわけ? 別に僕は龍也君の事を言ったつもりはないんだけど。……まあ、君に対してそう思ったことは、今のところは無いよ。今のは、別の子供に対して思ったことだから。人のちょっとした気まぐれの親切を当然のこととして受け止めて、感謝も反省もしないガキのお守りなんか、本当してられないんだよね。ある程度、殊勝で可愛らしげな態度を見せてくれるなら、僕だって考えはあるんだけど。呆れて見捨てたら、勝手に裏切られたとか言って恨まれるのは、本当筋違いだよね?」
「……久本……お前……」
「せめて相手が可愛い女の子だったら、光源氏作戦で自分好みに育てるってのもアリかなとか思うけど。あれは本当、男の夢でファンタジーだよね」
 な、なんだと!?
「久本!! お前、それ、節操なさすぎ!! だいたい、お前!! 結婚したんだろう!?」
「したよ。……でも、そろそろ恋人が欲しいかなと思ってきた頃だし。淋しいんだよね。独り寝は」
「なっ……だっ……何言ってんだ!? 久本!!」
「まあ、別に誰でも良いなら相手はいくらでもいるんだけど。僕好みの女性ってのは、なかなか見つからなくて困ってるんだ。こうなったら、男性でも我慢しようかな、とか思いかねなくて……いや、参るよね」
「参るのはこっちの方だ!! そういうシモの話を俺に振るな!!」
「別に僕はそれほど節操なしじゃないよ。とりあえず、相手を口説く前に抱いたりするのは、ルール違反だと思ってるし、同意を得ずに交渉するのはどうかと思うし。金を払って処理するのもなんだかわびしくて空しくなるし。やっぱり愛が無いと淋しいよね」
 良く言えたもんだ!! この男!!
「最低!!」
「……え? そんなひどいかな? 普通こんなもんだと思うけど」
「お前……妻帯者だろ? 既婚なんだろ? それじゃまるで、社長の役職目当てに結婚したみたいじゃ……」
「いや、全くその通りなんだけどね。由美子は僕とベッドを共にするくらいなら舌を噛んで死んだ方がマシだと言っているし」
 いや、あの傲慢女はそういうキャラじゃねぇだろ? むしろ、久本が潜り込もうとしたら、マシンガンで応戦しかねないような。ああ、確かに一緒に寝るどころじゃないか。……いや、しかし。
「……普通、結婚てそういうこと前提というか、込みでするもんじゃなかったのか?」
「必ずしもそうとは限らないよ。結婚というのは、つまり、法律上の契約のことだしね。それに何か意味を付加するのは個人の自由だと思うけど」
「俺はまだ結婚に夢を見たい年頃なんだよ」
 げっそりして言うと、久本は首を傾げた。
「そうなの? そりゃ悪かったね」
「思ってねぇ!! 絶対悪いとか思ってねぇよ!!」
 俺が怒鳴ると、久本は苦笑した。
「まあ、確かに思ってないけどね」
 か、勘弁してくれ。この男!!
「まあ、最近、本当、男でも良いかもと思い始めてきた頃だよ。別に、それほど抵抗はないしね。女と違って妊娠するわけじゃないから、そっちの方が良いかとも思えてきた。最近忙しすぎて脳味噌煮えてきたかな、とか思うけど」
「煮えすぎだ!! しばらく冷やせ!! 俺は絶対付き合いたくないぞ!! 久本!!」
「別に君に手を出すとか言ってないでしょ? 失敬だな。そんなに言うと、意地悪したくなるじゃないか」
「なっ……!?」
「……なぁんてね、ふふ。脅えないでよ? いくら溜まってると言っても、君みたいな子供を、襲って食ったりしないから」
「し、信用できるかよ!?」
「まあ、でも、相手が邦雄とかでもいいかという気がしてきたのは、かなり結構まずいとは思ってるんだ。邦雄は言ったら付き合ってくれそうだけど、僕の気まぐれに彼を付き合わせるのも悪いような気はするしね。それに、邦雄とは気まずくなりたくないし」
「俺なら気まずくなっても良いのかよ!?」
「そうじゃないから困ってるんだよね。……参ったな、本当、参ってるよ」
 だから参るのはこっちの方だ!! 久本!! うぅ、くそ。勘弁してくれよ。
「そういうのは、普通マスターベーションでもして解消するもんだろ? エッチビデオとか見てさ。それがイヤなら風俗行けよ、風俗。俺と違って入店拒否されないだろ?」
 苛々しながら言うと、久本は笑って言った。
「僕が欲しいのは、むしろ『愛』なんだよ」
 嘘臭ぇ、と思った。
「それより、龍也君。風俗興味あるの? 君の年齢でそれはまだ少し早すぎないかな? 普通の恋愛楽しんでからにした方が良いよ。最初にあれを体験しちゃうと、普通のセックスできなくなったら困るでしょう?」
「そういう露骨で具体的な性の話すんなっ!! 俺はまだ十五歳の青少年なんだぞ!?」
「僕は本気で心配してるから言ってるのに。十代の性生活は大事だよ。君くらいの年齢で経験したことが、一生ものになっちゃうんだから。最初からヤバイところに手を出したら、後はもう大変でしょ? たぶん普通の女子中高生は、いきなりフェラとかしてくれないから」
「だからっ……そういう話を俺にすんなっつってんだよ!!」
「うん、ごめんね。っていうか、僕は小学生で大人体験しちゃった口だから、ちょっと色々思うところがあってね。ほら、僕は、この通り、見目麗しくてモテるから」
「…………」
「あ。大丈夫。相手はちゃんと女の人だから」
 あっけらかんとして言う久本に、絶句した。
「いや、子供の頃の思い出って色々恥ずかしいことばっかりだよね。今思い出すと、本当火が出そうなくらい恥ずかしいよ」
「はっ……恥ずかしいことなら言うな!! 久本!!」
 真っ赤になって叫ぶと、久本はにっこり笑った。
「いやぁ、そういう反応、新鮮で楽しいなぁ」
 もしかしなくても……からかわれてる。俺。
 げっそりした。

To be continued...
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