NOVEL

光の当たる場所2 緋色の妄執 -5-

「そうだ」
 ふと思い出した、というように、久本は口を開いた。
「邦雄を紹介しておくよ。僕がいなくて、佑兄が捕まらなくても、邦雄がいれば、大丈夫だから。あれは立ち回り方を良く知っているからね。既にその辺も含めて頼んではあるんだけど、改めて引き合わせておいた方が良いだろうと思うから」
「……え?」
「あと、忠告というか、補足なんだけど──君は僕を信用していないようだけど、僕は僕なりに、君のことを気に入っているし、愛してもいるんだ。だから、全力で守るよ。君が僕を好きでも嫌いでも関係なくね。君の死体は見たくないし、傷付いた君の姿も見たくはないからね。まぁ、隆兄が動かない限りは、それほどひどい事にはならないと、思いたいんだけど」
「……どういう……意味だ?」
「隆兄はサドだから。あと、四条家の三男で[たくみ]兄も要注意。あの人はやることが『下品』だから」
「……下品って……どういう意味だよ?」
 すると、久本はちょっぴり困ったように、唇を歪めて笑った。
「……あんまり言いたくないんだよね。血の繋がりは無いとは言え、我が兄ながら、本当恥ずかしい性癖の男だから。まさかそこまでバカで変態だとは思いたくないけど、あのひとがどの程度のバカなのか、僕にもちょっと読めないところがあるからね。とりあえず、匠兄と二人きりには絶対にならないこと。匠兄が取り巻きを連れていたら、すぐ逃げること。あの人一人だけなら、頭も体力も腕力も無いから君は十分対処できると思うけど、強力な取り巻き連れてたらアウトだからね。危険を感じたら、相手を殴り倒してでもすぐ逃げてくれ。それと、章人は金が絡まなければ、割合まともだと思うよ。だから、遺産放棄するという態度を前面に押し出しておいて、更にその見返りも一切求めないと言って、それを理解し了解して貰えれば何事も無く過ぎると思うんだよね」
「……思うんだよねってのは、どういう意味だ?」
「僕は超能力者じゃないから、人の心も未来も読めないって意味さ」
「…………」
 俺は溜息をついた。
「よく判らねぇけど、ろくな連中じゃなさそうだな」
「まあね。僕も時折呆れるよ。……時折、本気で死んでくれないかな、と思う程度には」
 その瞳の色に、ぞくりとした。
「…………」
「……まあ、だから、僕は随分まともに育った方だと思うけど」
 想像すると、恐い。何がどう、とは言いたくないし、言わないが。……それでも、あの隆という男を見た限りでは、不承不承ながら頷きたくならないでもなかった。不本意だが。微笑んでいる久本の貴明は、ひどく優しい顔をしているのに──とても悪魔的に見えた。たぶん、目だけが笑っていないからだ。そこにあるのは、憎悪や嫌悪では無い、静かな怒り。純粋な怒りの色。攻撃的、というのではない。それは人を罰する神にのみ許された、超然とした、眼差し。あるいは、何者をも憎み厭ってはいない、慈悲に溢れた、悪魔の眼差し。
 俺はそれを、間近で、声を上げることもできずに、呆然と見つめた。
「……僕は、君がとても羨ましいよ。君は、皆に愛されてる」
「……俺は……っ!!」
「僕も君を、愛している。その純粋さ、無垢さをね。……ねぇ、新雪の上に足跡を付けて汚して遊んだことはあるかい?」
「……え……?」
 急に話題を変えられて、一瞬、何の話か、判らなかった。
「僕は、子供の頃、それをとても楽しみ、好んだ。美しく純粋なものは、自分の足跡で汚して、跡形無く蹂躙して、自分の色に染めたくなる。……それはたぶん、独占欲とか支配欲と呼ぶのだろうね。僕は、幼い頃、自分の所有物を一切持たなかった。持つことは許されず、得たと思ったものは、必ずすぐに奪われ、壊され、踏みにじられた。僕は暗い土蔵の中に押し込められて、呼吸ですらひそめて、身を固くして、耐えながら、時間を待った。無論、待つだけじゃなく、その時間を早めるための努力も怠らなかったよ。僕は自分を必ず助けてくれると言った人が、迎えに来るのをじっと待った。でも、誰も迎えには来てくれなかったし、助けてくれることも、守ってくれることもなかった。……だから、自分の身はを守るのは結局他人ではなく自分自身で、何にも代え難い自分を救えるのは、自分だけなのだと思い知った。……ねぇ、君は、この世に、神は存在すると思うかい?」
「神? そんなの……」
 そんなもの、この世の何処にも存在しない。そんなものが存在するのなら、何故、広香は死んだ? 俺の母や、父親は? どうして兄貴は帰って来ない?
「たぶん、僕と君の意見は、ここで、おおよそ同じだろうと思うんだ。でも、君はまだ、どこか何か、信じている。僕の目にはそれは『甘え』にも見えるけど、別の見方をすれば、『希望』なんだろう。君はまだ、心のどこかで、神を、あるいは人を、信じている。なのに、何故君がそんなに暗い瞳をしているのか、僕にはどうしても理解できない」
「…………」
「君は、あまり笑ってくれないよね」
「…………」
「僕に対しても、僕以外の人間に対しても。それでも、結構心開いてくれるようにはなったかな、とか思うけれど、十分ではない。君が一体他人に何を求めているのか、何を望んでいるのか、それがどうしても見えない。それは、僕が人間として欠陥のある男だからなのか、君が特別なのかは判らない。君がどう思い、何を感じているかは判らないけど、僕は君を救いたいんだ。僕は君を、生きた人間にしたい。生きている人間にしたいと思っている。余計なお世話だろうけど。僕は神を信じていない。神は人などを愛してはいないし、存在もしていない。だから、人を救うことなど有り得ない。もし、存在したというなら、神はもうこの世から消え滅びたか、人間に愛想を尽かし立ち去ったんだろう。人を救うのは、神などではない。同じ人だ。それも、他人ではなく、自分だけだ。それ以外のものなど、まやかしで、ただの幻想で、おとぎ話だ」
 ごくりと、息を呑んだ。
「アンタは……そう考えているのか?」
 ぞくりとした。誰も、何も、自分を救わないと、誰かが、何かが自分を救い助けてくれるなどとは幻想だなどと、本気でこの男が思っているとするなら、この男の世界の闇はどれくらい深くて暗いのだろう。絶望しているのか、それとも、それがこの男にとっての希望なのか──いずれにせよ、そんなものは知りたくないと、身震いした。この、目の前の男と同じ闇の深淵など、知りたくない。絶対に共感できない。共有できない。
「……久本……っ!!」
「誰かに、何かに救ってもらおうなんて考えていたら、いくつ命があっても足りないだろう? この世の中は弱肉強食で、自分の身を守れなければ、食われておしまいだ。人の記憶の中に残されたものも、、いずれか風化して、消え去ってしまう。波打ち際に作られた砂の城と同じだよ。それがそこにあったという人の記憶が失われてしまえば、それは無かったものと同義なんだ。無意味で、無価値で、存在する必要さえも無い。君がその砂の城と同じ存在でも良いというなら、もはや僕に為す術はないけど、君にはまだ、誰かに汚されることも、蹂躙されることも、利用され尽くして搾取されることも望まない、潔癖さと誇りがある。僕は、君のその誇りを、とても価値のあるものだと考えているよ。そういうのは、とても好きだ。好ましい」
「アンタは……何を考えてるんだ……?」
「ただ、君に生きて、存在していて欲しいと願っているだけさ。たぶん年を取ったんだろうね。昔はこんなことなど考えなかった。何かを残したいと思っているのか、今更自分のやってきたことを悔やんでいるのかは謎だけど。君を見ていると、もっと違うやり方や生き方があったんじゃないかと、思うことがある。僕はたぶん、これまで本当の意味で、ひとを好きになったことなどなかったんじゃないかと思うよ。自分が誰かの何かのために、祈ることができるなんて、これまで全く知らなかった」
「祈る?」
「君のことをだよ。君の幸せのことだ。……正直戸惑っているけど、悪くない。僕は今、これまでにないほど充実した、光に満ちた生活をしているよ。僕はずっと光の当たる場所に行きたいと願っていたけど、それは単に陽光や脚光を浴びる場所だけじゃなく、本当はささやかな日常の中にこそ、それがあったのではないかという気がしてくる。そういうことに気付けたのは、君のおかげだから、密かに感謝してもいるよ。初めて会った時は、なんて腹の立つ子供だと、怒り呆れたりもしたけど」
「……感謝、だと?」
「そうだよ、感謝だ。時折、いじめてなぶって追いつめてやりたいような、衝動にも駆られるけど」
「なっ……なんだと!?」
 ぎくりとして腰を浮かすと、久本はにっこり笑った。
「思うだけだよ。実際にはやらない。結果は見えているし、たぶん君に嫌われ、脅えられるだけで、逃げられるだけだから。でも、それで君が僕のもとに留まってくれるのだとすれば、それをしてみるのも悪くないなという気持ちはある」
「な……っ!?」
「暴力や束縛で、ひとの心が手に入れられるものなら、そうするさ。でも、僕は、自分でそれがいかに効果が無いかということを知っているからね。恐怖でひとの心は縛れない。縛ったつもりでも、それは簡単に緩んでほころぶ、不確かで不安定な代物だ。一度檻から出たら、二度と顧みられない。それどころか、憎まれ恨まれるだけなのだとしたら、これほど割に合わないことはないじゃないか。僕は無駄なことはしたくない。そんなことをするくらいなら、傍観する方が余程ましだ。……君は、人の嗜虐心を煽るような性格をしていると思うよ。卑屈なくせに、プライドはとても高い。そういう人間を屈服させ、蹂躙し、支配したつもりになるのは、とても心地よいだろうと想像する。……たぶん、匠兄も、こういう気持ちだったんだろうな」
「……久本?」
 ぎくりとした。まさか……それって。
「……お前……まさか……っ!?」
 そう言えば、兄に会ったと言った時、こいつは最初に一体何を確認した? 俺のシャツの襟元をばっと開いて……。
「お前のその、……匠兄とかいう男って……もしや……っ!!」
 あの時、俺は既に隆には会っていた。だから、俺が会ったの久本の『兄』は、匠か佑のどちらかだろうと、久本は推察し、匠ではないかと考えた。だから……。
 久本は苦笑した。
「そうだね、君の考えている通りだよ。匠兄は下半身に節操がない男なんだ。というか、正直ヤること以外の何かを考えたことがあるのかなって思う。働かなくても良いだけの金を持っているから、今更定職に就く気もさらさらないんだろうけど──正直、どうかな、って思うよ。既に軽蔑するとか、そういう領域の問題じゃない。あのひとは、『それ』だけで生きているようなものだから。もう少し、T.P.O.を考えて行動して欲しいものだと正直思うよ。例え戸籍上だけのものだとしても、他人にあれが自分の兄だと紹介するのは、本当に恥ずかしいと思うから。隆兄も嫌いだけど、匠兄こそは、本当、どういう方法でも良いから、ぜひ死んでくれないかなと、つくづく思うよ。ただ、自分の手を汚してまで、積極的に死んで欲しいとまでは、今のところまだ思えないからね。彼がなるべく早く死んでくれることを、願うだけだよ。その待つ時間が長ければ長いほど、恥を広め、深めるだけだから」
「久本……お前……」
 どういう顔をして良いものか、判断つかなかった。久本がどういう心配をしたかは、理解できた。一つだけ気になるのは、その男が──匠が、久本自身には、何をしたのか、ということだ。
「お前は……大丈夫なのか?」
 俺が尋ねると、久本は軽く目を瞠った。
「え? 何? 僕の心配をしてくれるわけ? 珍しいよね、そういうの。僕のことなら大丈夫。慣れているし、対処の仕方も判っているから。大丈夫、心配しなくていいよ。匠兄はバカだけど、自分より強い相手には媚びへつらうし、長いものには巻かれる質だから。とりわけ暴力は苦手だから、腕力と筋力が有り余っている取り巻きを連れ歩いていない時には、ちょっと平手打ちしただけで、態度豹変する男だしね。まあ、ただし、腹の中では違うこと考えてるけど、それさえ判っていれば、そう恐くもない。いざと言う時は、急所蹴りでもしてやれば良いよ。いっそのこと、あれが使い物にならなくなれば、たぶん去勢された雄猫並にはおとなしくなるだろうから。むしろ、それを希望してるから、機会があればやっちゃってよ? 君、そういうの得意そうだし」
「得意じゃねぇよ!! お前、俺をどういう目で見てるんだ!?」
「え? 得意じゃないの?」
「不思議そうな顔で言うな!! そんなもん得意なワケ無いだろ!! 常識考えろ!! 常識!!」
「……そうか。残念」
「ちっとも残念じゃねぇ!! だいたいソレ、犯罪じゃないか!! 俺はまだ傷害とかで逮捕とかされたくないぞ!?」
「そうなんだ? 折角自分でやらなくても、代わりにやってくれそうな人を見つけたと思ったのに」
「アホか!? お前!! 自分の希望を俺に代わりにやらす気か!? そんなにやりたきゃ、てめぇ一人でやれ!! 俺を巻き込むな!!」
「確かに僕は君を巻き込んでいるかと思うけど、君だって十分過ぎるほど楽しんでいるだろう?」
「楽しむ!? どのツラ下げてその台詞が言える!? お前、俺がイヤだと言っても聞かないだろう!! 抵抗しても、結局自分の都合を優先させるくせに、何をバカなこと言ってやがる!! 他人の迷惑ちったぁ考えろよ!!」
「うーん、やっぱりカワイイなぁ、君は」
「……はぁ!?」
「そういうところがとても可愛くて好きだよ。いつまでも、変わらないでね」
「……何を言ってるんだ?」
 久本はふふ、と笑った。
「君の反応はとても愛らしくて微笑ましくて、好ましいと言ってるんだよ。君は僕をこんなに楽しませて、一体どうしようと言うの? ついついもっと構ってあげたくなるじゃないか」
「めっ……迷惑だ!! 冗談やめろっ!! 久本!!」
「冗談? 冗談だって? やだなぁ、僕は冗談は言わない質なのに」
「あっ……ぁああ、あんた、自分で何を言ってるか、理解してるか? それとも、トシで耳が遠くて、頭もボケてて、理解できない? 認知・感知できないのか?!」
「僕はいつでも真面目で真剣だよ。君の反応は本当に面白いなぁ。それにとても可愛いよ」
「やめろっ!! やめてくれっ!! 俺に構うな!! 放っておいてくれ!!」
「そう言いながら、君、僕のこと、とても好きでしょ? 君の瞳が、僕を好きだ、好きだと言っている。僕も君のことがとても好きだよ。可愛いし、興味深いし、楽しいとも思う」
「冗談やめろっ……!! 勘弁してくれよっ!!」
「……本当に、稚児趣味はないはずなんだけど、君を見てるとだんだん変な気になってくるよね」
「本気でやめてくれっ!! あんた、なんでそんなこと真顔で言うんだ!? 俺をいじめてそんなに楽しいのかよ!?」
「なんでって……そりゃぁ、本気で言ってるからに決まってるだろう? 本気で物を言う時に真顔でなくて、いつ真顔になれって言うの? 君は」
「絶対タチ悪ぃよ!! 久本!! 冗談でも、最低の部類のネタだぜ!! やめてくれよっ!! 本気でやめてくれって!! 俺はそういう冗談大嫌いなんだよっ!!」
「……君がそう言うのなら、考慮するよ。注意も払う。……君は中身というか、性格そのものにはあんまり色気はないんだけど、時折する表情に色気があるんだよね。何を考えてるのかちっとも理解できないけど。自分の内面を懸命に抑制しようとしているところが、また、嗜虐心を煽るんだろうな。ちっとも抑制できてないように見えるけど」
「……だから勘弁してくれよ……」
 ほとんど泣きそうな思いで言った。
「誰の手垢もついてない君を、匠兄ごときに蹂躙されたくはないからね。とりあえず、しつこいくらい釘を刺しておこうかと思うけど……」
「俺をこれほどいじめておいて、まだ足りないって言うのか!?」
 半分泣き言で、悲鳴を上げると、久本は肩をすくめた。
「あんまりいじめすぎて、脅えられるのも困るからね。程々にしておくか」
「…………」
 今更ながら、後悔している。
「久本、ひとつ、確認したいんだけど」
「何?」
「俺のすることは、遺産放棄の書類にサインするだけなんだろ? それが済んだらお役ご免なんだよな?」
「ああ、ごめん」
 言われた途端、ものすごくイヤな予感がした。
「あ、いや。その他にも通夜や葬式があるから。それに遺産放棄の書類にサインする日は、葬式の翌日ってもう決まってるんだ。だから、それまで君はここから一歩も出られない」
「……何だよ、それ!! 聞いてないぜ!?」
「うん、ごめん。黙ってた。君が怒るだろうって事は予測できたんだけどね。でも、この別邸にいる間は、僕が君を絶対に守るから。僕がいない時は、邦雄や、できれば佑兄に頼んで、傍にいてもらうから。あの人達もさすがに佑兄には何も手出しできないからさ。今の僕の立場に対して手が出ないのと同様にね。邦雄はあの人達のやり方を熟知しているから、対処の仕方は良く判ってる。……一つ、言っておこうか。九頭竜も、四条も、同じ穴の[むじな]だ。油断していると食われて殺される。僕が知っているだけで、両家の関係した自殺者は、全部で五人だ。その他に、不慮の事故での死者が四人。それを多いと見るか、少ないと見るかは自由だけど──ここに、『本物』を連れて来なかったのは、『保険』だよ。『偽物』なら、いざという時、言い訳や切り抜けが出来るからね。勿論君の身は全力で守る。君を連れてきたのは、君がある程度、自衛できる能力がある事も見越してだ。以前の件があるから、君も安易に、出された飲み物には手をつけないだろうとも思ってるし」
「……詳しい説明もなしに連行した事についてはどう思ってるんだ?」
「それについては悪いと思ってるよ。でもまあ、僕が君と一緒にいたかった、ってのはあるんだけどね」
「……っ!!」
 カッとした。
「あんた、本当人迷惑だな。俺を好き勝手引っ掻き回して、振り回して。俺の都合なんかおかまいなしで、自分の都合ばっかりじゃないか。他人の迷惑なんか考えやしない」
「……全部僕の責任? 君がそう思いたければ、そう思えば良いけど、『責任転嫁』って言葉知ってる? 確かに僕は僕の都合で君をここへ連れてきたけど、一度も君に強制したつもりはないよ?」
「良く言えたもんだな!? そんなこと!! イヤだって言っても聞く気なんて一つもなかったくせに!!」
「それはそうだけど、君はむしろ喜んでいただろう? 僕に会えて」
「どの面下げてそんなこと言える!? アンタには恥じらいは無いのか!? アンタみたいなやつのことを、面の皮が厚いって言うんだよ!!」
「恥じらいはあるよ。君とは違う基準のところにあるけど。こう見えても僕は、結構照れ屋さんだよ?」
「『照れ屋さん』とか自分で言うな!!」
「……まあ、君もとても照れ屋でシャイだよね。可愛くって、とろけまくって、本当どうにかなっちゃいそうだよ。良かったね、龍也君。僕に稚児趣味がなくて」
「気色悪ぃこと言うなっ!!」
 ぞくりとした。背中に震えが走る。怒鳴っていないと、足下の地面が揺らぎそうだ。
「とりあえず、邦雄を呼んで紹介するよ。たぶんきっと、間違いなく馬が合わないだろうと予測するけど、我慢して。たぶんそれは邦雄の方でも同じだから」
「……そんなやつに協力させるのか?」
「言っておくけど、邦雄は親切で優しい男だよ。それにとてもマメで気の付く男なんだ。君がいつものように喧嘩腰で噛み付いたりしなければ、とても穏和に優しく接してくれると思うよ。僕より、君と邦雄が仲良くなったりしたら、それはそれで不快だけど」
「……は?」
「邦雄の方が僕より懐が深くて優しい思いやりのある男だということは、自覚しているけど、君と仲良くなるのにこんなに苦労している僕を差し置いて、仲良くなられるのは腹が立つからね。むしろ、二人が互いに毛嫌いしあっていがみ合ってくれる方が、僕の心が和むような気がするんだよね」
「…………」
 ものすごくこの男……タチが悪いというか、性格が悪いというか、人格がひね曲がっているというか、人迷惑というか、おとなげないというか、すごくヤなやつじゃないか?
「無論、冗談だよ、冗談。本気のわけないだろう? ふふふ」
 俺が睨むと、久本はくすくすと笑いながら言う。
「……さっき、冗談は言わないタチだとか抜かしたのは、どこの誰だ?」
「それは本当だけど、まあ、そういう細かいことは気にしないでよ?」
「気にするに決まってるだろう!?」
 って本当なのかよ!?
「人間にはほら、本音と建前ってやつがあるからね。僕の希望的には、前者なんだけど、実際、そうなったら困るかなとも思うから、必ずしもそうなって欲しいというわけじゃないんだって」
 ころころ笑いながら、久本は言った。
「……お前、ものすごくタチが悪くないか?」
 冷や汗が額を伝った。
「大丈夫。愛はあるから。むしろ愛が溢れて困ってるから。安心してよ?」
「できるかっ!! ボケっ!!」
「君と会話してると、本当に楽しいよね?」
「……俺は楽しくない」
「また、そんな風に照れて突き放すふりなんかして。ま、それも楽しいから良いけど」
「……っ!?」
「まあ、まだまだ先は長いからね。じっくり行かせてもらうよ」
「……何を……っ!?」
「ふふふ、内緒」
 内緒、だと!?
「……本人の目の前で言ったら、内緒にならないんじゃないか?」
 半ば呆れて言うと、久本はにっこり微笑んだ。
「良いんだよ。僕の目の前にいる子は、本当不器用で鈍いから」
「…………」
 普通本人目の前にして『鈍い』とか言うか?
「何? 怒った? 不快になった?」
「楽しそうに嬉しそうに言うなっ!!」
「そうやって律儀に噛み付いてくれるのが、君の魅力の一つだよ、龍也君。あんまりそういうことしてくれるひと、他にいないんだよねぇ。楽しくて嬉しくて、顔がほころんでしまうよ」
「…………」
 とにかく、何を言っても、この男を喜ばすだけだと気付いた。黙り込んだ俺に、久本は妖しく微笑った。
「知ってる? 君は黙っていても、とても表情豊かなんだよ。何を考えているかは、理解できないけど、その顔を見るだけで、僕をとても楽しませてくれるんだ」
 俺は、この男には何をしても無駄だと思い知らされた。

To be continued...
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