NOVEL
光の当たる場所2 緋色の妄執 -4-
「外出禁止令が出てるからね」
久本が何故か楽しそうな口調で言った。
「……ソレでアンタは一体ドコ行ってたんだよ?」
睨み上げると、久本はちょっとだけ目を見開いて、それから笑った。
「家の中にいたよ。ちょっと飲みすぎちゃってさ」
「……一人でか?」
「まさか。邦雄だよ。ほら、ここへ来た時話した」
話したってほど聞いた覚えはないけどな。確か執事の息子とかいったけど。……知りたいとも思わない。
「記憶無くなるまで飲んだのは久しぶりだな」
そう言ってにっこり笑った。……ってお前、記憶無くなるくらい飲んだのかよ!!
「そのうち体壊すぞ」
「大丈夫、大丈夫。そんなの本当ごくたまにだから。心配いらない」
「心配して言ってんじゃねぇよ!!」
思わず怒鳴った。
「え? じゃあ何?」
不思議そうな顔で。……萎える。
厭味とかそういうの効かないのか? それとも俺の言い方が甘いだけ? ……俺が何言ったってこいつコレか?
「……もう、いい」
久本は笑った。
「変な子」
てめぇにだけは言われたくねぇ!!
睨み付けると、久本は首をかしげた。
「……面白い子だよねぇ……」
感心したように言われて、がっくりときた。きっと俺が何をどう言い返しても、面白がるんだ。こいつは。やってられるか。
乗り越えられない隔壁。相互理解なんてあり得ない。こいつとは一生言葉通じないんじゃないかと思う。
「んで、何だって言うんだよ?」
「……九頭竜の、ね」
「は?」
「伯父が来てるんだ。たぶん久遠に会いたいって言うから」
ちょっと待て!!
「待てよ、久本……っ!!」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと判を押して貰うだけだから。この通り君の印鑑は用意してある。言われた通りサインして印鑑押せば良いから」
「待てよ!! 久本!! 一体何の書類なんだよ!!」
「何って……遺産放棄の書類」
イ……サン……ホウキ?
「何ソレ」
「だから、遺産相続放棄手続き。私は遺産を相続する権利を放棄しますって内容」
「……ソレって……」
本人じゃなく赤の他人がやったら犯罪なんじゃ……?
「大丈夫、大丈夫。細かいとことか後の処理は気にしなくて良いから」
「……なんで俺がそんなものにサインとかしなくちゃいけないんだ?」
俺は疑惑度数120%で久本を見上げた。
「サインと印鑑押さないと、たぶん命狙われるんだけど良い?」
良いわけあるか!! バカ野郎!!
「久本!!」
聞いてねぇぞ!! 命狙われるなんて、そういう話!!
「まさかアンタ、ソレが目的で……っ!!」
「大丈夫だって。僕が傍にいるし、邦雄も協力してくれるし。佑兄は巻き込むと面倒だから話さないけど、あの人は『根が良いひと』だから適当に甘えると、訳判らなくても協力してくれるから」
「どうしてそういう事を最初に言わないんだ!」
知ってたらノコノコこんなとこまで来なかったぞ!! いくら俺がバカでも!!
「知ってたら来なかったでしょう?」
「当たり前だ!!」
「だからだよ」
……ひでぇ。久本。……知ってるけど。お前本当ヒドイ奴。
「大丈夫。もう一秒たりと離れないから。君も僕から離れないでね」
……最悪。
「ああ、念のため佑兄を呼んでおこうか。保険のために」
「……好きにしろよ」
どうせ俺が何を言っても無駄なんだろう? どうせ俺は無関係で部外者で。ガキの俺が何言ってもまともに聞きゃしないんだろう? だったらいいよ。もう、何もかも全部。お前の好きにしろよ。どうせ俺が悪いんだ。……くそっ。
「あ、界君には会った?」
「……会ったよ。鬼太郎もどきの不幸面した茶髪野郎なら」
言ったら、久本はぷっと吹き出した。
「……きっ……鬼太郎もどきの不幸面した茶髪野郎……くっ……ふっ……ははっ……なんかもうヒット……!!」
だんだん、とわざとらしくテーブル叩いて笑い出す。
「…………」
無言で俺は久本の後頭部を見やった。久本はけろりとした顔で顔を起こす。
「君の言語中枢と思考回路、本当面白いよね。いや、鬼太郎か。うん、まあ確かに似てないこともないけど、でもむしろ似てないよね?」
「……素直に違うと言ったらどうだ?」
「いや、違うとは思わないよ。言われたらそう見えるから。でも、発想が何処から来るのか、僕にはちっとも判らないな。僕のイマジネーションとボキャブラリーが貧困なのかな?」
……アンタのイマジネーションとボキャブラリー──くそ、舌噛みそう──が貧困だったら、大抵の人間が貧困だと思うけど。少なくともとんでもない理屈こねて、相手やりこめるのは得意だろ? アンタ。
「……何? 言いたい事があるなら口で言えば?」
「呆れて声も出ねぇよ」
「出てるじゃないか」
揚げ足取るな!!
「界君はシャイな子なんだよ。ついでに繊細で純粋な子だから、言動には気を付けてね」
……どうせ俺は繊細じゃないし、純粋でもねぇよ。うるせぇ。
「君とはきっと気が合うんじゃないかな?」
お前の目は何処についてんだよ!! ボケ久本!!
「あのな!!」
「内線で呼ぶから。面倒だったら話聞いてるだけでもいいよ。『久遠』君も界君と同じでシャイだから」
……ああ、ソウデスカ。ソリャ良カッタデスネ。知ったことか!──と面と言えりゃいいんだが。
嬉々としている久本を無言で見上げた。
「何?」
「……別に」
久本は嬉しそうに笑った。
「君は、さ」
「……んだよ?」
「よく目で話しかけて来るよね? いや、その半分くらいは全く理解不能だったりするんだけど……」
嬉しそうに唇緩ませる。……なんだかそのツラが気に食わない。
「何だよ?」
久本はにっこりと極上の笑みを浮かべる。
「可愛いなぁって」
ぶっと吹き出しそうになった。
「はぁ!?」
何言ってるんだ!? このクソ大ボケ超ド級バカは!!
「何寝言カマしてんだ? 久本」
眉をひそめて言うと、久本は嬉しそうに楽しそうに笑った。
「本当、なついてくれたよね? 可愛くって可愛くって仕方ないよ。毛筋立てて噛みつくように怒るところも可愛くて仕様がないな。抱きしめて頬ずりしたいくらいだよ」
やめろ!! 冗談でもそういうこと言うな!! バカ久本!!
「お前寝惚けてんのか!?」
「まさか。この上なく正気だよ。君ほど愛らしい少年もなかなかいないよね?」
ぞくりとした。
「やめろ!! お前が言うと鳥肌が立つ」
「……そういうこと言うかな? こんなに君のことが愛おしいのに」
「冗談でもやめろ!! 本気でやめろ!! ぶっ殺すぞ!!」
「出来もしないこと言うのやめてよ? それに僕はあまり冗談言う質じゃないんだよ?」
本気で言ってるなら更に質が悪い。実がともなっているならともかく、この男の場合信用ならない。
「内線がどうとか言ってたんじゃなかったか?」
こっちに矛先が向くのはかなわない。連中が来たからとそれが楽になるとも思えないが。標的が分散されるならそっちの方がたぶん楽。
「そうだね。今呼ぶよ」
に、しても。
「久本」
「え? 何?」
「俺、状況イマイチよく判らないんだけど」
「そうかい」
……そうかい、じゃなくて。
「最低限の説明もないのか?」
久本は曖昧な顔で笑った。
「亡くなったのは正樹叔父。九頭竜家の次男坊。その長男が久人。その一人息子が君、久遠君。久人の下が章人。久人と章人は僕の従兄にあたる。もっとも血の繋がりはないけどね。九頭竜家は僕の父親四条旭の妹・環の嫁ぎ先で、ついでに言うなら三代前の四条家当主が九頭竜から養子に入ったって関係。久人は二十年ほど前に勘当されて、家を出たんだ。と言っても当時二十二歳だから大学卒業して就職してたし、平然とした顔してたけれどね」
「…………」
「当時、僕は十歳だったのだけど、その時『来るか?』って聞かれたんだ。家を出たいと思っていたのは確かだけど、断った。佑兄が迎えに来てくれるって話だったから」
……それって。
「我慢できると思ったんだよね。家を出たら、相手の連絡先は判らないから一生会えなくなるかも知れないと思ったし」
「……久本」
「結局、無理矢理久人が連れ出してくれたんだけど」
久本は唇だけで笑った。
「……だから、佑兄は今でも気にしてるんだ。僕は気にしてないって言ってるのに。だから君にも多少うるさいだろうけど、あまり気にしないで」
……お前……気にしてないってそれ……。
「久本」
それ嘘だよ。……お前それ、気にしてないって顔じゃない。そんな顔されたら、あの佑とかいうオヤジじゃなくてもきっと気にする。九頭竜久人だって、きっとそんなお前を見てられなかったから……。
「……好きだった?」
「久人のこと?」
俺は無言で頷いた。
「好きだったよ。……酷い奴だけど、僕には優しくしてくれたし」
胸がつきんと痛んだ。
「十年前に俺の目の前で自殺なんかしたけどね」
血の気が、引いた。
「……え……?」
びっくりして、ぎょっとして久本の目を見た。
「久本?」
久本は完璧な微笑を浮かべていた。まるで表情の伺えない、微かな笑み。何処を見ているのか判らない、遠い瞳。
「……久本」
「怖がらなくても何もしないよ」
久本は言った。穏やかな口調。でもそれが、何か痛くて。
「……お前が自殺嫌ってるのってもしかして……」
死のうとしていた俺に執拗に絡んできた理由。もしかして。
「目の前で自殺されたせいなのか!?」
俺は、父の死体を見ている。経営していた車の修理工場。その今はもう無い事務所の天井の梁にロープをかけて、首を吊って死んでいた。俺はその時、初めて首吊り死体が醜悪だと知った。口からは涎と吐瀉物。足の間からは尿が滴り落ちて。鬱血で変色してしまった顔は、一瞬誰か判らなかった。見た瞬間、嘔吐してしまったのを覚えている。
父の死を悲しむ前に、俺は死体を気持ち悪いと思った。死体というよりも──人間の体が、ただの肉の塊が気持ち悪いと、そう思った。耐えきれないくらいに。
人間なんか動いてなかったら、ただの肉の塊だ。そんなものより人形の方がよっぽどマシだ。余計な口を利いたりもしない。
人間ハ『キタナイ』。人間ハ『気持チ悪イ』。人間ハ『オゾマシイ』。
そんな生き物を他に知らない。
アレガ俺ノ正体ダ。俺ダケジャナイ、他ノ連中ノ、ナレノハテ。
「……お前……」
ぞくり、とした。……信じていたものが崩壊する瞬間。変わらないと思っていたものが、変化してしまう瞬間。俺には傍に兄貴がいた。広香がいた。俺が耐えられたのは、それでも『家族』がいたからだ。
でも。
「……久本、お前、その時他に誰かいたのか……?」
久本は笑った。唇だけで。
「久遠君がいたよ。丁度出掛けていて、その場にはいなかったけどね」
どんな死に方だったか知らない。だけど、きっと──ものすごく酷い死に方だったんだ。……たぶん。
確か、九頭竜久人が死んだのは十年前だと久本が言っていた。十年前──久本は当時二十歳。大学生。どんな死に方だったのかは聞きたくない。聞きたくないけど──。
「……久本っ……!!」
「一瞬の隙だったんだよね」
「もういい!!」
聞きたくない!!
「久人がそうするだろうって事を、僕は知っていた」
俺は泣きたかった。久本は笑う。
「君は久人じゃない。久人とは全然違う。……だから、君は死なない」
「久本……っ」
「君は殺しても死にそうにないから。そう思う僕は間違ってる?」
「久本……俺……っ!!」
何だか痛い。胸が痛い。苦しい。
「……死なないから」
俺は言った。
「お前の目の前でだけは絶対に死んだりしないから」
だまされてるかもって少しだけ思った。ひょっとしたら激しくだまされてるかも知れないけど。
それでも、俺の死体をこいつに見せるのは酷だと思った。俺のこと玩具にしか思ってないとしても、それでも気に入った玩具が目の前で壊れてるのを見て楽しいと思う人間じゃない筈だ。
「それは良かった」
微笑む久本の顔を見て、やっぱり騙されてるかも、と思った。