NOVEL

光の当たる場所 -14-

 火曜日。六月十二日。俺は久本不動産中州町支店・支店長室で書類整理をやらされていた。四条が決裁した書類を分類事に整理し、ファイルしたり、上層部に送る分を郵送する為の宛名書きをして封をしたり。要は雑用だ。支店長室の傍らにある応接セットの机を使ってその作業をしてる真っ最中、いきなりノックも無しに、事務所へ続くドアが開けられた。
「!?」
「……話に聞いたけど、本当なのね」
 ボブ・カットに身長一七四cmのモデル並の長身。ノースリーブ、胸の谷間ばっちりの悩殺ボトムに、マイクロミニ。厭味なくらい長い足。久本由美子、社長令嬢。
「風邪はもうすっかり宜しいんですか?」
 四条が言うと、傲慢女は髪を掻き上げた。
「……そうね、『おかげさま』で」
 棘を含んだ口調。四条は肩をすくめた。
「それは良かった。お元気そうで何より」
「冷血漢がカワイイ『坊や』を連れ歩いてるって、社内で評判よ?」
「……可愛いでしょう?」
 半ば『本気』で言ってるからタチ悪い。話題にされてる当の俺は憮然とするより他に無い。
「明日の夜も連れて来る訳?」
「……駄目ですか?」
「構わないわよ。……あなたが来なくても良いくらいよ」
「……そういう訳に行かないでしょう。何のための『会食』だと思ってるんですか?」
「あなたの顔なんてわざわざ見たくないわ」
「……では本日のご『用事』は?」
「……カワイイ坊やの顔、見に来たのよ。こんにちは」
 いきなり顎を掴まれる。俺は思わず身を引いた。
「……あんまり乱暴しないで下さいよ?」
 四条の言葉に、女は鼻で笑った。
「ごめんね、あんまり暇じゃないの。ちょっと寄っただけよ。じゃあね」
 そう言われて、不意打ちで頬にキスされた。あまりの事に声が出ない。傲慢女はさっさと部屋を出て行った。来た時と同じ、挨拶無しで。俺は思わず崩れ込んだ。四条は支店長席に座ったまま、こちらを見てる。
「良いなあ。僕なんてまだ一度もされた事無いよ」
 ……なっ……!!
「何で平然とした顔してんだよ!! 四条!!」
 へたり込んだままで、俺は思わず怒鳴った。
「……よっぽど気に入られたんだね」
「だから何で!! 平気な顔してんだよ!!」
「……どうでも良いけど、口紅付いてるよ」
 言われてぎょっとして頬を拭う。苦笑して四条が歩み寄り、濡れティッシュで頬を拭った。
「……これで大体かな? ……いつまで腰抜かしてるの?」
「……お前どういう神経してんだよ」
「僕の『息子』が君の血を引いてたら少し厭だな」
「やめろ!! 恐ろしい事言うの!!」
「……厭? 彼女、結構美人だよ? スタイルも抜群だし。まだ全部拝ませて貰った事は無いけど」
「冗談でもそういう事言うな!! お前の神経一体どうなってるんだよ!!」
「君が厭なら、そうならないよう努力するよ」
「……四条……てめぇ……っ!!」
「気に障ったならごめん。悪気はないんだ」
「……悪気とかそういう問題か!?」
「いや、僕が君の立場だったら嬉しいかなとか思うから」
「アンタと俺じゃ大分立場違うだろうが」
「……そういう事でも無いんだけど」
 そう言って四条は頭を掻いた。
「ま、いっか」
 いっか、って四条……。頭痛い。
「……お前……俺に『最低限』の礼儀とか何とか言うけど……そっちこそ『常識』勉強したらどうだ?」
「『常識』は知ってるけど、それに従うつもりは毛頭無いよ。……そんなものに縛られて動けなくなるのはごめんだからね」
 そう言いながら、席へ戻る。
「……最低だよ、アンタ」
  四条は笑った。
「『最低』結構。僕は僕のやりたいようにやる。『理解』なんて必要ない。……僕の『世界』に口出しされるいわれなんて無いよ。どうしてもというなら、それなりの『実績』見せてよ? それから話して。『対等』になるのはそれからだよ」
「……アンタに『対抗』しろって事?」
「『対抗』なんてする必要ないよ。ただ、僕は『無力』な『子供』の言う事は笑って聞き流してあげられるけど、『真剣』に『考慮』してあげられないって事」
「……そういう事言うか? 真顔で」
 ……最低。
「仕方ないでしょ。『嘘』言ってないだけだから」
「そういう事言うか!? 普通!!」
「……『普通』ってどういう『基準』?」
「そんなもん……その辺にいっぱいいるだろ? うじゃうじゃと」
「その辺にいる『有象無象』の事?」
「……四条……お前……っ」
 力、抜ける。何て暴言野郎だ。
「僕は『その他大勢』になんてなる気無いよ。それくらいなら、それこそ『死んだ方がマシ』だ」
「…………」
「駄目だな。……君と話してるとつい、口が滑る。楽しくなるからだな。……『反応』が面白いから、つい『本音』がぽろりと出る。『危険』だな」
「……あのな、四条」
「悪いけど、仕事中はあんまり話し掛けないでね。僕は『仕事』してる時は本来『別人格』だから」
「…………」
 ああ、そうかよ。俺は口を噤んだ。四条は決済箱に新たな決裁書類を入れると、立ち上がった。
「……そろそろお昼だ。行こうか」
 俺は憮然とした。書類の束を無造作にソファの上放り出す。
「あまり乱暴に扱わないでよ」
 そう言って、四条は先に歩き出す。舌打ちして、四条を追い掛けた。俺が出て来ると、四条は支店長室の鍵を掛ける。
「……食事に行ってくるから」
 事務室の事務員にそう声掛けて、二人で徒歩で向かう。……行き先はいつもの『たなか食堂』。勿論メニューは『日替わり定食』。相変わらずあのオバはんは苦手だけど、四条の言う通り、味は旨いとようやく判ってきた。……まあ、今まで俺が食ってきたモンが悪かった、とも思えるが。
 俺は四条との生活に、慣れ始めてきていた。

 六月十三日、水曜日。PM 7:00、ホテルで傲慢女と三人で『会食』。と、いう事で会社を五時で仕事切り上げて、マンション帰って服変えて休む間もなくホテルロビーへ連行された。午後六時半丁度に。……アンタ一人なら良いけど、俺まで巻き込むなよ、四条。
「……何、そのげっそりした顔」
「……俺を引きずり回すのやめてくれ」
「そんな事した?」
「……してるだろうが」
 何で?とでも言いたげな顔だ。……悪気無いなら尚更訳悪いだろう、四条。俺は溜息つく。
「……言っても判らないなら良い」
「ふうん?」
 俺は近くの椅子に腰掛けた。
「……来たよ」
 四条の台詞と共に、丁度視界に、派手な赤いドレス身に纏ったデカいボブ・カットの女が、ハイヒールの踵鳴らして、大理石の床闊歩して来るのが見えた。ファッション・モデル風の歩き方。……音がうるさいのを除けば。
 俺は顔をしかめた。
「……相変わらず時間に『正確』ね?」
 挨拶も無しで。四条は女に頭下げる。
「こんばんは、由美子様。ご機嫌いかがですか?」
「……あなたの顔見たら悪くなったわ」
「それじゃいつも通りですね」
 ……それで良いのか? 四条。女は溜息ついて腕組みした。
「……相変わらず厭な男で安心したわ」
 四条は無言で笑う。
「僕に当たっても仕様が無いでしょう?」
「……あなた以外に誰に当たれって言うの?」
「あなたが僕に甘えて下さってる証拠、と受け止めておきますよ」
「……イイ性格してるわね。判ってるクセに」
「この期に及んで『結婚』したくないとか言う台詞は、今更言わないで下さいね」
「……あなたのそういう処、大嫌いよ」
「……どうせ、僕があなたの『お人形』さん達と『違う』から嫌いなんでしょう?」
「……そういう処が『大嫌い』だって言ってるでしょう?」
「僕はあなたの『下僕』ですから、『責任』さえ果たして下さればそれ以上『束縛』したりしませんよ? ……自分で言うのも何ですが、ここまで『寛大』な男も他にいないでしょう?」
「そういう処が『大嫌い』だって言ってるのよ!!」
「……じゃあ、怒って欲しいんですか?」
「……冗談でしょ?」
 傲慢女は大仰に身震いした。
「そういう判ったような顔して、『余裕』たっぷりの顔してみせる処が、厭味たっぷりで『大嫌い』だって言うのよ」
 四条は苦笑した。
「これでもあなたの事結構愛してるんですから、そういう『冷たい』事言わないで下さい」
 女はひどく厭そうな顔をして自分の肩を抱いた。
「……やめてくれる? そういう冗談」
 本気で厭、って顔して。四条は微笑する。
「仕方ないでしょう?」
 女は頭痛でも感じたように、こめかみを押さえる。
「……『自信過剰』な男って厭」
「……それ、僕の事ですか?」
「他に誰がいるの?」
「……『過剰』なつもりありませんから」
 女は呆れたように見る。
「……『最悪』ね」
「……そろそろ参りましょうか?」
 女はくるりと方向転換してエレベーターへ向かう。四条は先回りしてエレベーターへ向かい、ボタンを押す。十五階へと向かう。
 女はエレベーターから外を見下ろす。四条はそれを無言で見てる。二人とも何考えてるのか、何も言わない。表情見ても判らない。……こんな二人が四ヶ月後には『式』を挙げるなんて、絶対理解不能だ。……少なくとも俺には判らない。
 しんと静まり返った箱の中、沈黙に息が詰まりそうになったその時、不意に女が口を開いた。
「……良く平気で生きてるわね」
 四条は答えなかった。
「……あなたみたいのを『厚顔無恥』って言うのよ」
 四条は静かに笑った。女は四条を睨み付ける。
「……どうせあなたには、私が『感傷』に浸ってるようにしか、見えないんでしょうよ」
「考え過ぎですよ。もう少し僕を『信用』して下さい」
「……良くもまあそんな事言えたものね?」
「仕方ないでしょう?」
「……仕方ない、ね。あなたはあなたの大切な物、奪われても同じ台詞言えるかしら?」
「不穏な台詞言わないで下さい。……自分の『お立場』を考慮して、言葉は口にして下さいね?」
「……子供に言うような物言いしないでくれる?」
「そんな言い方していませんよ」
 女は四条を睨んだ。
「……私をバカにするのも良い加減にして」
「そういう事をおっしゃられるのは心外ですね」
「上手く隠してるつもりでしょうけどね、『犬』と『狼』の区別くらい付くのよ、私」
「失礼ですが、僕は『犬』でも『狼』でもありませんよ」
 女は不満そうに鼻を鳴らした。
「……着きました」
 エレベーターの扉が開く。四条が扉の『開』ボタンを押して、女を促す。女は無言でさっさと歩く。四条は俺に目配せして先に行く。必然的に俺は女の後を追う事になる。女はそれが当然と言わんばかりに真っ直ぐ歩く。四条も女もかなりの早足だから、行き先知らない俺は必死で歩く。アンタら本当、同行者の事考えてねぇよ!
 仏料理レストランに辿り着いた。四条が店の男と何か言葉交わしてる。
「……じゃ、行きましょうか?」
 俺と女に言う。ウェイターらしき男が席へ案内する。最初に女が座り、俺が座り、最後に四条が座った。夜景の見える展望の良い席。
「……赤ワイン、ですか? それともシャンパン?」
 四条の台詞に女は冷めた目を向ける。
「どうしてシャンパンなんか目出度くもないのに口にしなくちゃならないの?」
 ……氷点下に冷たい声。
「……少しは楽しもうって気にはなりませんか?」
「あなたが『いる』のに?」
「『婚約者』にそんな冷たい事言わないで下さい」
 女は視線を逸らし、俺を見た。ぞくりとした。女は笑う。全身、鳥肌が立った。
「……あなたがこの位カワイかったらね」
 ぞっとするような目で笑う。何も無い、『人間』じゃない『目』で。
「それは僕に十代にまで若返れと?」
「そんな事しても、カワイくないでしょう? 私は十代のあなたを知ってるのよ?」
「そうでしたね。『カワイイ』要を『お気に入り』してたんでしたっけね」
 四条の台詞に女はキツく睨む。
「……別に『感傷』だなんて言いませんよ。結構じゃないですか。僕は構いませんよ」
「私にはあなたがバカにしてるようにしか、見えないのよ!!」
「……それは『被害妄想』って奴でしょう? 要は本当に可哀相でした。……僕はあまり親しくありませんでしたが、『葬式』で泣いても良いくらい『気の毒』でしたよ」
「それの何処がバカにしてないって言うのよ!!」
「……由美子様。あまり大声は出さない方が」
 キッと女は四条を睨んだ。
「……あなたなんて嫌いよ」
「……言いなりにならないからですか? でも、結構甘やかせてあげてるでしょう?」
「……その言い方が気に食わないって言ってるのよ」
「……何言ってるんですか。それ以前の問題なクセに」
「だから何?」
 四条は苦笑する。
「……困ったな。僕はあなたとの『友好』を深めたくてお誘いしたのに」
「……だったらどうして『彼』がいるの?」
 俺は一瞬、身を固くした。
「第三者がいた方が、事も荒立たなくて良いかなと思ったのですが」
「……目論見通り行かなくて残念?」
「まあ、でも……今日はサボらずに来て下さったという事は、『感謝』いたしますよ」
「良くもまあ、そんな台詞いけしゃあしゃあと」
「顔を見てなら、お話も出来るという事ですから。一方的に切られなくて済みますからね」
「……判らないわね? どうしてそこまで『諦め』悪い訳?」
「……諦め悪いとかいう問題じゃないんですが……困りましたね。あなたと『結婚』したいというのは、僕の心からの『本心』なんですが」
 女は身をぶるりと震わせた。
「……良くまあそんな台詞、真顔で言えたものね」
「あなたの『心』まで欲しいなんて『贅沢』言いませんよ。……健気でしょう?」
「誰がそんなの本気にすると思ってるの?」
「そう疑って掛かるのは良くないですよ。他の連中にはそれ程でもないのに、僕に対しては本当、随分ガードが固いんですね」
「自分の所業を良く考え直してみたら?」
 俺は何だか他人の『痴話喧嘩』に同席してるような、ひどく気まずい思いをしていた。……『ような』どころか『そのもの』な気もするが。四条は俺の視線に気付いて、にこりと笑う。
「さて、そろそろお食事にしましょう。つまらない話は後回しでね」
 女は冷たい視線を四条に向けたが、四条は知らぬフリで受け流す。
「すみません、赤ワインと……それから軽い食前酒。……ええと、シェリー飲んだ事あるかい?」
 おい、四条。それ、俺に言ってるか?
「……まあ、いいや。シェリー二つ。赤ワインはボトルで。グラスは二つ。お願いします」
 四条……また『未成年』に飲ます気か? 女はそっぽ向いて窓の外見てる。……オーラが四条の顔なんて見たくない、と言っている。これが四ヶ月後に結婚するカップル……。頭痛くなる。
「……何も見ようとしないで、判る筈ありませんよ」
 四条が静かに言った。女はぴくりともしない。
「両目閉ざして、耳を塞いで……それで『理解』出来るのは『神』のみですよ。『人間』にとてもそんな真似は出来ない」
 どきん、とした。自分の事、言われてる気がした。
「……そういう問題じゃない事、判ってるんじゃなくて?」
 女が振り向いて、キラリと目を光らせて言った。
「……それを言ったらお終いだから、僕は何も言わないんでしょう?」
 四条は口元だけで笑った。女はフンと鼻を鳴らした。
「……判ってて言う訳?」
「『許容』出来なきゃ始まらないでしょう?」
「……私の『器』が狭いとでも?」
「そんな事は申し上げておりませんよ。……ただ、あなたは賢い女性だ。……判ってらっしゃるんでしょう?」
「……もう少し『久本』の事を考えろと?」
「僕はプライベートのあなたまで『束縛』するつもりは無い。そこまで『強要』出来るような仲では無いでしょう?」
「……確かにあなたみたいな『存在』は『必要悪』なんでしょうよ。父上も良く『我慢』出来るものだと思うわ」
「別に秋芳殿は『我慢』なんてしてらっしゃいませんよ」
 女は睨む。
「……僕はあなたを『許容』し続けた。これからも『許容』し続けるでしょう。あなたもずっと僕を試し続けてきたんでしょう? まだ何か必要ですか? ……『四条』の名が欲しいなら、確かに僕は『不足』でしょう。誰にも認められてない。それなら最初から『四条』の名など持たぬ男の方がマシだ。……だけど、僕なら『久本』をもっと『強く』出来る。それでも何か『不足』ですか?」
「……『違う』でしょう?」
 女が睨み付ける。ぞっとするような顔。四条は笑った。
「『鵜呑み』にするだけですか? 何を吹き込まれたかくらいは判ってます。『あの人』の言いそうな事くらい十分に。……『あの人』は僕を『不幸』にしたいだけですよ。……僕を『追放』したいだけだ。自分の目の届かない『場所』へ」
「……だったらそうしたらどう? あなたも楽でしょ?」
 意地悪く女は笑った。
「僕は『負けず嫌い』なので。『売られた喧嘩』は買って差し上げるのが『礼儀』でしょう?」
 女は高笑いした。
「……それが『本音』?」
「由美子様も判ってらっしゃるんでしょう?」
「……言いたい事は判ってるわよ。それでも決めるのは『私』だわ」
「賢明な『ご判断』を期待しておりますよ」
 女は笑った。……俺は『魑魅魍魎』の会話でも聞いてるような気になってきた。何を言ってるか俺には全然意味不明だが……意味を知るのはもっと恐かった。……ああ、何でこんな処に同席させられてるんだ、俺……。
 料理が運ばれてくる。けど、食欲なんて無い。この魑魅魍魎共は平気で食べ始めるけど……俺は小さく溜息をついて、オードブルを四条のマナー通りに口に運ぶけど……味なんて判らない。泣きたくなってきた。
  四条は俺に向けて静かに笑った。穏やかな、笑み。まるで『父』が『子』に向けるような。思わず俺は慌てて目を伏せる。
「どう?」
 四条はそう声掛けてくるけど……俺は何も言えなかった。シェリー酒の味も何も判らない。顔に血の気が昇る。四条は忍耐強く俺の返事を待ったが、俺が口を開こうとしないどころか、視線合わせようともしないので、軽く肩をすくめた。のを、視界の端でちらりと見た。女がクスリと笑う。四条は溜息をついた。
「……意地悪ですね」
「恨み言? ……珍しいわね」
 俺をネタに何か和んでませんか、そこ。憮然とする。
「あなたに楽しまれる程、懐かれてない訳じゃないんですよ」
「……そうね、昨日の様子ではね」
 楽しそうに女が言った。
「緊張してる? 『界』」
 二人の視線が俺に注がれて、俺はひどく居心地悪くて目を伏せた。
「……駄目だね。あんまりじろじろ見ない方が良いらしい」
「……そうらしいわね」
 何、そこ意気投合してんだよ? ますます憮然として、溜息ついた。……俺はもしかして思い切り『使われて』ないか? 四条に。……四条、お前俺拾って食事マナー教育したの、最初からそれが『目的』か? 四条は俺が黙り込んでるの良い事に、『架空』の『俺』の『想い出話』を始めた。それによれば、『俺』が四条に初めて会ったのは四歳の春で、当時大学生だった四条がバイトで貯めた金でロス行って、父『佑』の家でだっこしたら、泣かれたらしい。……知らねぇよ、ンな事。小さい頃から『人見知り』で? 今でもかなり『人見知り』してなかなか他人に懐かない? ……ああ、そうですか。……俺は面白くなかった。傲慢女は四条の話熱心に聞いて、質問なんかも積極的にしてるし。さっきまでの空気が嘘みたいで。何なの? 俺。話のネタ? ……熟年マンネリカップルの倦怠期を乗り切る為の格好の『エサ』? 滅茶苦茶面白くなかった。さっきまで冷めた空気から一気に一触即発みたいなトコまでいってた二人が、自分をネタに和やかに歓談してるのを見れば、誰だって厭な気分になる。……ざけんじゃねぇぞ、てめぇら。
 面白くない気分のまま、食事は進み、デザートまで行ったところで、四条のポケットベルが鳴ったらしい。……らしいというのは音がしなかったからだが、四条が不意に胸元からポケベルを取り出して、表示を見る。
「……すみません。『社長』からのようなので、申し訳ありませんが、連絡してきます。すぐ戻りますから」
 そう言って、席を立つ。傲慢女は笑って見送る。そこへ丁度珈琲が運ばれてきた。四条が公衆電話の方へ歩き去るのを見送って、俺が視線を戻すと、傲慢女はにこやかに笑って言った。
「界君はお砂糖入れるの?」
 俺は首を振る。
「ミルクは入れる?」
 頷くと、ミルクを取って俺の珈琲に注ぎ入れた。俺はぎょっとする。
「……えっ……あのっ……!!」
 女は最初の顔が嘘みたいに、にっこり晴れやかに笑ってる。
「良いのよ、遠慮しなくて。ついでだから」
  そう言って自分のにも入れる。そうして女はそれを口元へ運んだ。俺も何だかつられて珈琲を口に含む。……ごくりと嚥下する瞬間、何か『違和感』を感じた。……何だ? そう思う間もなく、身体がぐらりと揺れた。
「……っ……!!」
 女は笑った。無言で。……ぞっとするような、凶悪な笑みで。俺は自分の迂闊さを呪った。全身に力が入らない。身体が痺れて、俺の意志通り動かない。声を挙げる事さえ出来ない。四条は気付かない。女は笑って俺に両手を伸ばした。……俺の意識があったのはそこまでだ。混沌へと、堕ちていく。ねっとりとした真っ暗な闇。俺は自分の身体が何者かに抱き上げられるのを感じた。酷く気分が悪かった。胃の内容物全て、吐き出しそうなくらい気分悪くて。ぞっとして。全身が厭だと反抗するけど、俺は身動き一つ出来なかった。何飲まされたんだ!!……ミルク入れた時、だ。たぶん粉末状で……手の平に隠してた? 即効性で……俺の知識には無いけど……たぶん薬物。そんな分析してる場合じゃないっ……!! 早く、助け……呼ば……な……くちゃ……。

To be continued...
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