NOVEL

光の当たる場所 -13-

「もう一度、来ないと駄目らしいね?」
 帰り際にそう言われた俺は、ぐったりと助手席のシートに埋もれて、ぐうの音も出なかった。
「それともそんな事してもただの『金』の無駄?」
 反抗する気力も無ぇ。無反応な俺を見て、四条が面白そうに覗き込む。
「何? そんなに疲れた?」
「……うるせぇ」
 ぼやくと、くすりと四条は笑った。
「良かった。死んでるかと思った」
「……死んで欲しいか?」
「冗談でしょ」
 含み笑いで言う。……俺はそれ以上四条の顔見たくなくて、目を閉じる。
「寝ちゃ駄目だよ」
「……寝てねぇよ」
「本当?」
 そう言って、急にスピード上げる。シートベルとしてなかった俺は、がくんと前に倒れて危うくダッシュボードに頭ぶつけそうになって慌ててシートや手摺りにしがみつく。
「何て事すんだよ!! 四条!!」
「シートベルト、してね。『常識』だよ?」
 こっち向いてにこりとか笑うけどお前……。
「運転中にこっち向くな!! 大体今何キロ出てる!? ここ五十キロ制限だろ!? 他にも走ってる車ちょろちょろいるじゃねぇか!!」
「ははは、まあ良いじゃない。そういう事」
「バカ野郎っ!! シートベルトよりスピード違反の方がタチ悪い!!」
 四条は車の合間縫って、猛スピードでかっ飛ばす。メーター百三十は回ってる。慌てて俺はシートベルト装着するけど、全然安心なんか出来なかった。助手席の死亡率、高いんだぞ!? ……俺は生きてたく無かったけど、四条のせいで死ぬのは厭だと思った。
 クラクション、けたたましく鳴らされたけど四条は知ったこっちゃ無いって顔してる。……涼しい顔どころか嬉しそうに見える辺り……。
「……お前、スピード狂か?」
「違うよ」
 そう言って、舌噛みそうな勢いでハンドル切る。激しく鳴らされる複数のクラクション。危うく俺は助手席の窓に頭ぶつけそうになって手摺りを掴んだ。……何て心臓に悪い運転すんだ。この野郎。
「車の運転、好きなだけ」
 にっこり穏やかに笑う。
「頼むからやめろっ!!」
 俺は怒鳴った。四条は明るい笑い声を上げる。
「隣りに人が乗ってる時やると、皆喜んでくれるから特に好き」
「誰が喜ぶんだ!! ふざけんのも良い加減にしろ!!」
 シートベルトしてても持ってかれそうになる身体、何とか体勢立て直して。
「こんな事してたら、マジで死ぬぞ!?」
「死なないよ」
 さらっと言う。
「そう決めてる」
 ムカついた。
「お前が決めてたって仕様が無いだろう!! お前が死ななくても、いつか人を殺すぞ!! こんな運転!!」
 四条は笑った。
「……大丈夫。たまにしかやらないよ。相手の怒った顔が見たい時」
「……っ!!」
 思わず四条の顔を見る。四条は口元だけで笑った。
「……『楽しい』でしょ?」
「…………アンタ、最悪」
 四条は無言で何処かの墓地へ車を乗り入れた。何をするのかと思えば、いきなりそのまま外に出る。
「……四条?」
 俺は仕方無しに、四条追い掛けて外に出る。四条は一人、墓地の中歩いていく。舌打ちして、追い掛ける。
「……四条!!」
 四条はある墓の前で立ち止まった。やけに立派な墓石。周りに囲いがあって中に三つくらい石が立ってる。
「……これが僕の父」
 気取った仕草で指し示す。……『四条』という文字があるのが読み取れた。暗がりの中、俺は四条の顔を覗き込んだ。
「……四条?」
 四条は無表情だった。
「……死んだら灰と骨だけにされて、骨壺に入れられてこの箱の中、入れられるだけだよ」
 ひどく静かな口調で。どきりとした。
「……それも何十年も経てば、骨壺と共に土に返って跡形もなくなる」
 冷たいくらいの口調だった。
「人の記憶にも残らなければ、その人間がいた『証拠』なんて何処にも残らない。そんなものだよ」
「……四条……」
「……人の生き死になんてそんなもんだよ。君もそうなりたければそうなれば良い。……『悔しい』と思わないならね」
 何か言いたくて、けど言葉なんて出て来なかった。……そういうものじゃ無い。そんなものじゃ無い。……だけど俺はそれを表す言葉を持ってなかった。
「……父は弱い人だった。物凄く弱い人間だった。自分の『意志』さえ口に出来ないほどの。僕はあんな人にはなりたくない。……知ってる? 僕がこの世で一番憎んでいるのは、僕を捨てた母でもなく、僕を土蔵に押し込め暴力振るった兄でもなく、何もしなかった……僕を守ってくれなかった父なんだ」
「……四条……!!」
「あの人と血が繋がってないって知って、一番喜んだのは僕自身だよ。……だってどういう事か判るかい? 『あの人』みたいな人間には絶対ならないって事だよ? だって『赤の他人』なんだから」
「四条!!」
 思わず、四条に飛びついた。その口を、塞ぎたかった。四条と俺は、墓地の通路のコンクリートに転がり込んだ。
「……危ないじゃないか」
 四条の言葉に、俺はバカ野郎、と叫んだ。
「そんな事のために生きてるのか!? 四条!!」
 四条は笑った。
「……違うよ。そういう訳じゃない」
 どきりとした。四条は上に乗ってる俺を不意に抱きしめた。
「僕が生きていたいからだよ」
 どきん、とした。四条の『本音』だった。
「僕がやりたい事があるからだ」
 力強い、胸にずきんと響く声。
「じゃなきゃ、こんなにがむしゃらにやれる筈無いだろう?」
 四条の鼓動。間近で聞いて。四条の声、耳の傍に聞いて。足下から伝わるひんやりした感覚も、四条の胸で溶かされて……俺はひどく混乱していた。穏やかに響く四条の声……子守歌みたいにひどく甘くて……なのに俺は混乱してた。心臓が、何だかおかしい。耳元まで、熱が昇ってきて。とても顔を上げられなかった。四条の顔を、とても見れそうになかった。……今、四条の顔なんて見たら俺は……たぶん一生……!!
 四条は俺を抱き上げ、子供をあやすように抱え上げる。
「っ!?」
 四条は笑って、俺を仰向けさせる。
「……ほら、星が綺麗だろ?」
 天空を分かつ天の川。数多の星が瞬いて。星の事なんて判らない俺でも、思わず見惚れる光景だった。
「ここは街の明かりがほとんど近くになくて……結構良く見えるんだ。……たまにこうして見に来るんだけど。……どう?」
 何も言えなかった。……何も言えなくて……ただ、涙が溢れ零れた。四条はそのまま俺を背中から抱きしめた。
「天気が良くないと、寝そべれないけどね。サンルーフの車買えばって言われるんだけど……こううやって『露天』で見る方が良いと思うんだよね」
「……バカ……服が汚れるだろうが……」
「……それもそうなんだけど……これも僕なりの『こだわり』でね」
「……本当……バカじゃねぇの?」
「……君、本当口悪いよね」
「……バカ……っ」
 涙が、溢れて止まらない。……駄目だ。俺……たぶん二度ともう……この男から逃れられない……たぶん一生……。……『捕まった』。
「……さて、と」
 俺を抱えたまま四条は起き上がった。
「そろそろ帰ろうか?」
 もう『決定事項』のくせしてお伺い立てるみたいな言い方して。俺を立たせて、四条は胸元のポケットからハンカチ出して、俺の涙拭った。……本当酷い男。『鬼畜』のクセして一見優しそうなトコが人を油断させる。ぽん、ぽんと俺の後頭部叩き、それから腕を引いて歩き出す。未だエンジン掛けっぱなしの車の方へ。
 俺はもう、四条を嫌いだなんて言えない自分に気付いていた。

「……これなら何とかなりそうだね」
 四条はにっこり笑った。翌日月曜日夜。一日四条の仕事場連れてかれて――四条は不動産屋の支店長、つまりその支店事務所では一番偉い奴(だったら測量なんて自分でやってんなよ)――四条の勤めてる部屋に閉じ込められっぱなしだった。その帰り、昨日のレストラン、連れてかれて。
 俺は溜息ついた。
「大分上達したじゃない?」
 俺は何も言う気になれなかった。
「……何?」
「……いつまで俺を連れ回す気?」
 四条の顔、まともに見れなくてわざと視線外してそう言った。四条は軽い笑い声上げた。
「だって君は信用できないもの」
「……もう大丈夫だって」
 吐き捨てた。
「……やらねぇよ」
「……そう言われてもね」
 大仰な溜息つかれる。
「君の言う事は何処まで信用したら良いものやら」
 そりゃこっちの台詞だ。バカ野郎。最後の珈琲飲みながら心の中でぼやいた。
「暇で厭だって言うなら、働かせてあげるよ。動いてる方が気が紛れて良いんじゃない? 今日は土曜色々時間潰れて、溜まってた未決済書類処理してたから、君に構ってる暇なかったけど、明日からはもう少し余裕あるから、君に何かして貰う指示くらい出せるよ」
「…………」
 コイツ、本当鬼畜。……にこやかに笑って言いやがる。
 返事の代わりに溜息ついた。
「さて、と。じゃ、行こうか」
 もう良い加減慣れたから、腕引かれる前に立ち上がる。四条より先歩いて車向かう。四条は会計済ましてにやりと笑いながら、車のキー放り寄越した。俺は四条の代わりに鍵を開ける。
「ご苦労」
 偉そうに。四条にキーを投げ返す。さっさと車に乗り込む。……エンジンくらいはてめぇで掛けろ。そこまで甘えんな。四条は運転席乗り込んで、キーを差し込み回す。クーラーが冷え切って無くて生温い。俺は窓を少し開けた。四条が俺の前髪に手を伸ばす。
「……何だよ?」
「それ、長くて邪魔じゃない?」
「……これくらい、普通だろ? もっと長い奴いるぜ」
「目ェ悪くならない?」
「……ならねぇよ。俺両方1.5ある」
「……ああ、そうか」
「……何?」
「本、読まないんだったね」
「うるせぇな!! 関係ないだろ!?」
「……はいはい、そうですね」
 そう言って、車発進させる。クーラー効いてきたから窓閉める。
「……どういう風の吹き回し?」
 四条の台詞、意味判らなかった。
「……は?」
「自覚、無いんだ?」
「……何をだよ?」
「ま、良いけど。僕には都合良いし」
「……何が?」
 厭な気がした。四条は笑う。
「心配しないで」
 そんな台詞、信じられるか。バカ野郎。
「……飛ばすなよ?」
「大丈夫」
 歌うように、四条は答える。俺はちょっと身構えたが、四条は今日は普通のスピードでマンションへ直行した。ほっと胸撫で下ろしながら、車から降りようとした、その時。
「……久し振りね」
 車に近付いてきた女がいた。四条は俺に中にいろと合図して一人降りた。
「どうも、黒川さん」
「……『結婚』するって噂、聞いたんだけど」
「ああ、その事? ちゃんと事情は『説明』したろう? 懇切丁寧に」
「……確かに『懇切丁寧』な『説明』だったわよね」
「それで何か?」
「……『相手』の話、聞いたんだけど」
「ああ、それで。……『お金』の話?」
「話が早いわね。幾らくれる気あるの?」
「今すぐだったら現金で三十万。ただし一回限りだよ。小切手なら五十万までね。それ以上はやめておきなよ。僕もそれ程寛大じゃないんでね」
「……脅す気?」
「僕も色々ツテはあるんでね。君の将来を潰そうと思えば幾らでも潰せる。でも、そんな事しても僕にメリット無いでしょ? 君次第だけど?」
「……小切手で五十万」
「商談成立、ね。君が賢明な女性で良かったよ。『無駄』な暴力振るわなくて良いからね」
 そう言って胸元から小切手を取り出し、さらさらと記入をする。そして女に渡した。
「あなた、いつか刺されるわよ」
「そんなバカな事してるかい?」
「……自覚無いなら重症ね」
「君も結構危ない橋渡ってるよ。気を付けてね」
「……随分優しい事言うのね?」
「僕は君に優しくなかったかい?」
「少なくとも『別れ話』切り出した時は『最低』だったわよ」
「そういう時に優しくするのは、『不誠実』じゃないかな?」
「……ヒドイ男」
 女はそう言って、ひらひらと腕を振って立ち去った。俺は女の姿が遠くなるのを見計らって、外に出た。
「……四条」
 四条は笑って振り返る。
「もう、平気だよ」
「……アンタ本当、最低」
「何で?」
 きょとんとして聞かれた。自覚無いのか!? この男!!
「……あの女、昔付き合ってた女じゃねぇの? しかも俺、あの顔知ってんだけど」
「AV女優なんて知ってんの?」
「あのな!! お前!! 中身見なくてもグラビアとかで平気で出てるだろ!? TVだって出てるだろうが!!」
「……別にそこで照れなくても、年頃なんだから『事情』は良く判ってるってば」
「…………」
 うんうんと頷かれて、俺は何だかひどく厭な気分になった。そんな納得のされ方、したくねぇ。俺の言い方も十分まずかったのも確かだが……。
「……手ェ出してたんだな?」
「ほんの一ヶ月ばかりだよ。割と面白い話聞かせて貰って楽しかったんだけど、何か玄人過ぎてつまらなかった」
「…………」
 そういう話、思春期の中坊に言うか!? 普通!!
「……あのな、四条!!」
「……そんな恐い顔しないでよ。『清らか』すぎるのもつまんないけど、『プロ』っぽいのも何か厭なんだよ。判らない? 男だったら」
「お前、『未成年』にそういう話振るか?」
「『意外性』でもあると結構続くんだけど……『そのまんま』だったから『刺激』無くて」
「だからっ!! そういう話俺にすんなっ!! ボケッ!!」
 四条は悪気なげに笑った。……最悪、コイツ。
「……割と『理想』のタイプって少ないんだよ」
「……お前、相手構わず?」
「とりあえず目に付いた女性は声だけは掛けてる。今はそういうの全然してないけど」
「……それ、『博愛』と絶対違う」
「別に無理矢理はしないよ。当然『合意』だし、あまり相手が乗り気じゃなかったらその場で『さよなら』だよ。わざわざ追い掛けたりしない」
「……それって誰の事もどうだって良いんだろう」
「どうだって良いって言うか……そういうんでもないんだけど……特に執着する女性が少ないのは確かかな? でも、基本的に女性は皆好きだし」
「それは絶対『好き』とか言わない!!」
 俺は絶叫した。
「……そんな大きな声で叫ばなくても」
 眉間皺寄せて四条は言うけど。
「絶対『違う』ぞ!!」
「良いじゃない。『他人事』でしょ?」
「……お前かなり良い加減な男な」
 疲れた。もう……いい。溜息つく。
「……お前に本気で惚れたりした女とかってすっげぇ気の毒」
「ああ、それはね。たぶんこの上なく『不幸』だよね」
「…………」
 『自覚』あるのか?コイツ?
「だから『振る』時は、出来うる限り『冷酷』に振る舞うんだけど」
「にっこり笑って言うな!! そんな事!!」
「ま、良いじゃない。早く部屋へ戻ろう」
「…………」
 本当……鬼畜。
「だって仕方ないじゃないか。応えてあげられないんだから」
「……だったら最初から手ェ出すな」
「ボランティア的活動なんだけど」
「……『絶対』違う」
「……ああ、そうね。僕の『自由意志』もかなり入ってるね。それは認めるよ」
「……俺に言われても仕様が無い」
「でも、好きな女性には逃げられたり、嫌われたりする事多いんだよ」
「……てめぇの所業が原因だろ?」
「…………もしかして怒ってる?」
「普通は怒るだろうが」
「……そう? そういうもの?」
「……お前、良い加減過ぎんだよ」
「……あ、判った。『純愛』タイプな訳ね?」
「あのなっ!!」
「……真っ赤になっちゃって。初々しいなあ。僕にもそういう頃、あったかなあ? 記憶にないな。青春だねぇ。それで? 相手は?」
「やめろ!! 四条!! 俺の事なんかどうだって良いだろうが!!」
 ほとんど悲鳴だった。四条は楽しそうに笑った。冗談じゃねぇ。そんなもん……俺は……。
「……結構苦労した訳? それでこの世をはかなんで自殺? ますます似合わなく無い?」
「うるせぇな!! それ以上言うな!! ぶっ殺す!!」
 四条は目を丸くした。
「……ごめん。悪かった。……許してなんて言わないけど、心から謝るよ」
 反省した声で言われて、どきりとする。妙に神妙な顔してる。
「……四条?」
「……今の、本気で厭だったでしょ? 僕もちょっと考え無しだった」
 そう言って、俺の頭撫でる。
「ごめんね」
 優しい声で言われて、どきんとした。顔に血の気が昇って……思わず顔を背けた。何か涙腺緩んできて、気を抜くと泣きそうになって唇噛み締める。四条が俺の頭を抱き寄せ、胸に押し付け、ぽんぽんと子供あやすみたいに叩く。耐えきれなくてつい、涙が一滴こぼれ落ちる。四条は俺の背中をそっと抱きしめた。それでもう、怒濤のように涙が溢れ出てきて。止まらなくて。
「ごめんね?」
 酷い男なのに、こんな最低な奴いないのに、酷くその声が優しく甘く響くから。俺の涙は止まらなかった。四条は俺が泣きやむまで、俺の背中を抱きしめ続けた。

To be continued...
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