NOVEL

光の当たる場所 -12-

「……さっきも言ったけど、四条、本気であの女と『結婚』する気か?」
 四条のマンション自室。俺はどうしても理解できなくて、そう聞いた。
「するよ? 僕は彼女の事、結構好きなんだ。まあ時折……困惑するのは確かだけど」
「……正気か?」
 四条は目を丸くした。
「『正気』とはね。……『正気』だよ」
 四条は苦笑して言った。俺は眉間に皺寄せた。
「……お前本気で頭おかしくねぇ?」
「君にそんな事、言われたくないよ。結構『好み』なんだ。実は」
「……アンタの女の『趣味』最悪!!」
 思わず叫んだ。
「良いじゃない。僕の『趣味』の事なんか。君に関係ないでしょ?」
「お前、あんな『足蹴』にされて平気か!?」
「……『足蹴』? そう見えたかい?」
「そう見えたも何も、そのものじゃねぇか!!」
「……別にそういうんじゃないんだけどな……彼女の『我儘』は確かに『困惑』させられるけど……あれで結構『甘えてる』んだよ」
「……とてもそうは見えなかったぞ」
「ちゃんと彼女は人の言う事聞いてるし、僕のしてる事も見てる。まあ、『不用意』だけど頭の回転は良い女性だよ。……ただ、困った性癖があるだけで」
「……その『性癖』って奴が一番始末に負えなくないか?」
「人が困るのを見て喜ぶという『フシ』はあるね」
「…………」
「彼女が『ああ』なのは周りのせいもちょっとはあるんだよ。大体、彼女は十代の頃から僕の一番上の兄の『洗脳』受けてるから、僕に『敵意』持つのは当然だしね」
「……一番上の兄の長男が『婚約者』だったってか?」
「あ。聞いたの?」
「……聞いてなかったから、俺は滅茶苦茶焦ったぞ」
「……高井さんか。あの人、頭悪くないんだけど、時々『不用意』な人だよね。『仕事』の面では信頼してるんだけど」
「……アレ、アンタに気があるぜ?」
「知ってる」
 何でもない当然の事みたいに。
「けど、僕に関係ないでしょう?」
「…………ひでぇ男」
「だって僕は何もしてないもの。それに僕の好みとは少々外れてるから」
「……外れてなかったら手ェ出すのかよ」
「僕は後々『仕事』に差し障りの出るような相手には手なんて出さないよ。……彼女とは長く『仕事』したいからね。絶対それは有り得ないよ」
「……『仕事』と『プライベート』は別?」
「普通そうでしょ? 職場で女に手ェ出すなんてバカじゃない? それで別れ話になって縺れたりしたら、始末に負えないじゃない。だから、女性に声掛けるとしたら、『職場』とは全く関係ない処でだよ」
「……最低。……それで俺の母さんにも手ェ出したってか?」
「……古い話だよ。別に僕から手出しした訳じゃない。向こうの方から僕に入れ込んで、僕は嫌いじゃなかったから『お相手』しただけ。こんな話、したってつまらないでしょ?」
「……俺の『身内』の話だろ?」
「……『だから』でしょ? 君は聞きたいの? 自分の『親』の赤裸々な『性』の話」
 俺は憮然とした。……別にそういう問題じゃなくて……この場合……。
「どうやってたらし込んだんだよ!!」
 四条は肩をすくめた。
「……そんな事言われてもね。若い頃の事なんて無我夢中でそんなに詳しく憶えてないよ」
「憶えてないのか!?」
 愕然とした。四条は苦笑する。
「……いや、『静香』の事は良く憶えてるよ。向こうから好きだって言われたのも憶えてる。ただ、きっかけが何だったかなんていちいち憶えてないよ。……割と『印象的』な人だったよ。『人妻』なのも知ってたけど……僕にはその方が『都合』良いから全然気にしなかった」
「……四条……てめぇ……っ!!」
 怒りに、声が震えた。
「……君が聞いたんでしょう? だから言ったじゃない。面白くない話だって」
「四条!!」
「……僕だって気にはしてたんだよ。急に連絡取れなくなって……彼女が出産したっていう事と彼女の自殺を聞いたのは、同時だった。そんな素振りは全くなかったから、驚いたのはこっちの方だよ。『結婚』する気はなかったけど、彼女を好きだったのは間違いなかったから」
「……っ!!」
「クール・ビューティって感じだったかな? 自分の事は何も言わない人で、それがかえって『好感』だった。大抵の女はベラベラ喋るから。あまり『感情』見せなくて……それが『神秘的』で『魅力的』だった。だから『自殺』なんてひどくショックだったよ。……挙げ句の果てに、彼女の夫まで『自殺』だろ? ……僕は『自殺』って奴をこの世で一番忌み嫌ってるんだ。あんな事するのはただのバカだって思ってたから……」
「……バカで悪かったな」
 俺は憮然として言った。
「そうだね。君はバカだね。……そういう意味では」
 四条はにやりと笑った。
「君は『静香』に似てるけど全然似てないよ。彼女は『自殺』なんかしたけど、良く気の付く頭の良い女性だった。……もう少し付き合っていたかったよ。本音を言えばね。彼女といると、とても心地良かった。年上ってだけじゃない。物凄く包容力のある女性だった。僕を甘えさせてくれる、唯一の『女性』だったよ。それでいて押し付けがましくなかった。心安らぐってこういう事だって僕に初めて教えてくれた女性だった」
「…………」
「……ただ、『自殺』なんかするくらいなら、一言何か言って欲しかったよ。……それだけが、今でも心残りだ」
「…………」
 四条の言葉にたぶん『嘘』は無くて……だからそれ以上は、俺は何も言えなかった。四条は確かに母さんの『死』を悼んでいた。そしてそれ以上にその『自殺』を恨んでる……。
「……だから俺の『自殺』を止めるのか?」
「どうでも良い奴なら、放っとくよ。それは『静香』の息子だろうと何でも構わない。僕は『静香』は好きだったけど、だからといってその『血』を引いてるだけで愛せるとは限らない」
 四条の言い方は辛辣だった。
「君を助ける『事情』があるなら、『静香』の息子という事じゃなくて、『広香』の兄だったという事だろうな。僕は『広香』には絶対幸せになって欲しかった。……『未練』でも良い。けど、今はそういうのと全く関係無しに行動してる。君自身に関わりがあるんだけどな?」
 そう言って、笑った。
「……どういう『意味』だよ?」
「きっかけは『因果応報』だけど、今はただの『好意』だって事」
「……『好意』!?」
 俺は思わず耳を疑った。四条は笑う。
「まあ、そんな事はどうだって良いんだけどね?」
 ……お前、何言ってんだか俺にはさっぱり判らんねぇよ……四条……。
「君の『幸せ』にまで責任持てない。そこまでは僕に『期待』して欲しくない。僕はただ、君に『生きていて』欲しいだけだから」
「……っ!!」
「恨んで良いよ。僕は自分勝手なんだ」
「……四条……っ……てめぇ……っ!!」
「実を言うと、君自身の『未来』なんてどうでも良いんだ。君が行きたいというなら、学校の世話くらいしてあげても良いけど……僕はそんなに面倒見る自信もなくてね。金を出すだけなら出しても良いけど……『施し』なんかしても君には『迷惑』なだけじゃない? 僕はそうだな……拾ったからには面倒見るけど……君の『一生』までは自信がない。君が『庇護者』や『保護者』を求めてるんだったら、少なくともそういうものにはなれないから。それは先に言うよ」
「四条!! お前っ……俺は……っ!!」
「君だって僕に一生面倒見て貰うつもり無いでしょう?」
「お前一体何考えてんだよっ!!」
「君を手放すつもりはないけどね、僕に甘えて貰っても困るから。『負債』分支払ってくれたら、いつでもここ出て行って良いから。ただ、『自殺』は許さない。何処でやろうと『邪魔』しに行く」
「…………っ!!」
「それとも君、僕の『庇護』が欲しい?」
「要らねぇよ!! ンなもん!!」
 怒鳴ると四条は満足そうに笑った。
「そうだよね。……そうじゃなきゃ始まらないね」
「……四条?」
 俺は思わず眉間に皺を寄せた。四条は笑ってるだけ。何も言わない。俺は舌打ちした。
「ワイン被っちゃったからシャワー浴びてくるよ。君も入る?」
「……要らねぇよ」
「……別に一緒にという意味じゃないんだけど?」
「誰もそんな意味に取ってねぇよっっ!!」
「あ、そ。じゃあね。変な事しないでね」
 俺は憮然として絨毯の上座り込んだ。四条はひらひらと腕を振ってバスルームへと姿消す。俺は溜息ついた。ばたりと後ろへ倒れ込む。だだっ広い四条の部屋。一人暮らしの男の家とは言え、家具が異常なくらい少ない。……それは四条が『異常』なせいだと思うけど。『家電』も『家事』も『駄目』だなんて、今まで一体どんな生活して来たんだ。全然俺には判らない。そのクセ『礼儀』だとか『マナー』だとかにうるさくて。プチトマトの事『可愛い』だなんて抜かして『記念撮影』する『変態』で。知れば知るほど、訳判んねぇ男。自分の頭にワインぶっかける『婚約者』の健康状態気遣ったりして、なのに『人妻』に手ェ出して孕ませたりして。……もう、グチャグチャで判んねぇよ。酷い男だって事だけは明白だ。……なのに俺は引きずられてる。何で? 『広香』に似てるから? あの男が傲慢女の好きにされてると腹が立つ。どうだって良いのに。あんな奴、どうなったって構やしないのに。……どうしてあんな女と『結婚』する? そんな事、どうだって良い事だ。判ってる。四条の『事情』だ。俺の知ったこっちゃ無い。そんな事百も承知で……だけど、やめとけよって言いたくなる。……アイツの無様な姿なんて見たくない。ワインぶっかけられて黙ってんなよ。ひっぱたいてやれよ。あんな女。社長令嬢だか何だか知んねーけど、そんな事されて平然とした顔してんじゃねーよ。本気で怒ってみろよ、四条。俺にそうして見せたように。……そしたらあんな女、絶対お前にあんな真似二度としねぇよ。そんな根性ねぇよ。絶対。
 ムカついてた。女にもだが、四条にも。へらへらしてんじゃねぇよ。あんなのにかしこまってやる『価値』ねぇよ。訳判んねぇよ、四条。俺には絶対判んねぇ。『次期社長』ってそんなに『魅力』か? 自分の『人生』あんな女のために尻尾振って、棒に振って? 何処の誰の子とも判んねぇ子供自分の跡継ぎに据えて? 俺には絶対理解できねぇ。俺だったら仮に自分の『妻』になる女にあんな好き勝手させないし、自分が卑屈な態度取るつもり毛頭無いし、機嫌取る気もないし、何より他の男と『寝て』も構わないだなんて、俺には全く理解しがたい。……俺だったら、んな事抜かす女、絶対はっ倒す。許せる訳が無い。プライドあんだったら、何故そんな事許せる?俺には全然判らない。四条がそれでも笑ってる理由、俺には全く理解できない。……アイツと俺は全く『別』の人種だ。全然『異質』の『生き物』だ。
  俺にはお前が全然判らねぇよ、四条。

 その夜、俺は四条に連れられて(正装させられ)高級レストランの仏料理のフルコースを食わされる事になった。……四条の馴染みの店の『別室』で。別名『スパルタ・マナー講習会』とも言う。
 俺はもう、行く前から厭だった。絶対味なんか判る訳なかった。
「何言ってるの? これくらい『常識』でしょう? 知っておいて損はないよ。『別室』だから人様の『視線』気にしなくて良いし、僕が手取り足取り教えてあげるから、全然気にしなくて良いよ?」
「……それが一番『厭』なんだよ」
「大丈夫だよ。『和食』だってちゃんと食べられるようになったでしょ? 間違いないって」
「……どうせ怒鳴られたり、腕叩かれたりするに決まってる」
「ヤだなあ。その言い方じゃ、僕がいわれもなく暴力振るう男のようじゃないか」
「…………」
 この男。……すげぇ厭。
「ま、行こうか。……予約に間に合わなくなる」
 人の言う事なんてお構いなしに、四条は俺の腕を引っ張り上げて歩き出す。立って歩かない事にはフローリング引きずられる羽目になりそうだったから、慌てて俺は立ち上がって歩こうとするけど、四条はちっとも歩調を考えないから、前につんのめりそうになる。
「……危ないじゃない?」
 俺を支えて、目を丸くして言うけど……。
「てめぇのせいだろが」
「何言ってるの。中三にもなってるんだから、歩くのくらい自力で歩いてね? だっこもおんぶする気もないよ。……君をだっこするのも結構疲れるんだから」
「誰がそんな事言ってんだよ!! ボケ!!」
 思わずカッとした。
「とにかくさっさと歩いてね」
「お前は人にタイミング合わせるという事を知らんのか!?」
 四条は目を細めた。
「……僕は『無駄』な時間過ごす気はないから」
 辛辣な口調で。俺は一瞬口を開けたまま、二の句が継げない。
「『他人』に合わせて僕の貴重な『時間』削られたくないでしょ?」
「……なっ……!!」
 真っ赤になった。
「だったら何で俺なんかに付き合ってるんだ!!」
「……それはただの『趣味』」
「は!?」
「……ちゃんと答えてあげたんだから、さっさと自力で歩いてね」
「…………」
 こいつ……恐ろしく我儘じゃないか? 今、初めて気付いたんだが。……いや、傍若無人で自分勝手で極悪非道で鬼畜なのは良く判ってる。だけどそれ以上に……『我儘』なんじゃないのか!?
「四条……物凄くおとなげなくないか!? お前!!」
「もっとおとなげない君に言われたくないけど?」
 しらっとした顔で言われた。
「あのな!! お前三十だろ!? そういう事真顔で言ってて良いのか!?」
「十代にとっては三十はオヤジだろうけど、人生八十前後が平均寿命な現代社会においては、三十はまだまだ『若造』だよ」
「そういう問題か!? 四条!!」
「……そうだな、あと十年くらいもしたらそういう寛容さも生まれるんだろうけど、今はとても無理だね。僕はほんの僅かな『時間』でも惜しいからね。若い頃の一分一秒はとても『貴重』だよ。君も憶えておくと良い。……『余暇』なんてもの楽しめるようになるの、六十や七十過ぎてからだよ。……ビジネスにおける『一秒』は非常に『貴重』なんだ。『一瞬』を逃すと、エライ大損だよ」
「……サラリーマンの鑑だな」
 俺はケッとばかりに息を吐いた。
「そりゃどうも有り難う」
「誰も褒めてないわっ!! ボケ四条!!」
 にっこり笑う四条にツッコミ入れるが、まるでコタえた風はない。……本当厭な男。
 靴履かされて、エレベーターで降りて地下の駐車場で車に乗る。
「……何でアコード?」
 四条はにっこり笑った。
「長距離にはイイ感じなんだ」
「……ドライブすんの?」
「たまにね」
「……女と?」
「一人で」
「…………寂しい奴」
「行きたい相手、いないから」
「……本当寂しい人生送ってないか?」
「別に? 僕は充実してるし?」
「……誰の事も『信頼』なんかしてないんだろう」
「そうでもないよ。……一人、とても『忠実』で僕のためなら『命』懸けてくれるような奴、いるし」
 俺は目を丸くした。……初耳だった。
「何それ」
「……別に。言葉通りの意味だよ」
「……だったらそいつとドライブ行ったり遊びに行ったりしねぇのかよ。……俺なんかに構ってないで」
「僕もアイツもそんなに暇じゃないんでね。たまに電話するくらいだよ」
「……そんなんで『友達』か?」
「『友達』なんかじゃないよ。そんな言葉で括って欲しくないな。……いわば、『戦友』だよ。活躍する場が違うだけのね」
「…………」
 四条はさらりと言うけど……その目は何だかいつもと違ってて……ひどく『穏やか』な目をしてた。『作り物』でも『見せ掛け』でもない、『本物』の。……『本当』の『信頼』がそこにはあるんだと思わせるような……。
 羨ましい、と一瞬思った。思って、動揺した。物凄く動揺した。……何で俺が?
「……勘違いして欲しくないんだけどね? 僕は何から何まで君に干渉するつもりはないんだ」
「……は?」
「僕が構うのは六割まで。それ以上は自分で管理してね。……男だったら自分一人の面倒くらい、自分で見れるでしょ? 僕は甘やかすのは嫌いじゃないけど、だらけられるのは腹立つから。あんまり僕に『期待』しないでね? 多少の『面倒』は見てあげるけど、僕は君の『尻拭い』までしたくないから」
「……何を言ってるんだ?四条」
「僕はあまり必要以上に『深入り』したくないし、それと同等程度には『深入り』されたくないから」
「…………」
 お前、言ってる事とやってる事、かなり『矛盾』ないか?
「『最低限』の『教育』してあげるのは、僕の単なる『好意』でそれ以上の『意味』ないから。僕がここまで『好意的』に接するのはあまりない事なんだから、感謝してね?」
「……四条!?」
「でも、『負債』はその身体できちんと払って貰うから。恩に着なくても、それでチャラだよ」
「……四条……っ!!」
 俺は呻きたくなった。その『負債』っての大体俺にはかなり『はた迷惑』な代物じゃないのか!?
「俺はアンタに構われたくなんか無いって!!」
 四条は涼しげに言う。
「僕は別に君に有り難がって貰うつもりもないけどね。……別に嫌われても痛くもないし」
「っ!?」
 そういう事、言うか!? コイツ!!
「生きてくために『大事』な事、教えてあげてるんだよ。親切でしょう? ……でもお礼は特にしようなんて思わなくて良いから」
「……四条……何かお前さっきから訳判らん矛盾した事、口走りまくってないか?」
「『意味』は自分で考えてよ。……僕はそんなに『親切』じゃないんだ」
「……四条……」
 この男。俺を混乱させるためにしてるとしか思えない……。
「着いたよ」
 ……マイペース男め……。溜息ついて、車から降りる。……四条に連れ立って店へと入る。……いかにも金持ちが来そうな感じの高そうな絨毯とか、シャンデリアとか、壺とか彫刻とか絵画とか……ごくりと息を呑んだ。四条がぽん、ぽんと俺の背を叩く。思わず噎せそうになって、四条に苦笑された。……ひでぇ、四条。
「いらっしゃいませ」
「……四条です」
 店の男は深々と礼をする。
「お待ちしておりました。奥のお部屋でございます。……ご案内いたします」
 螺旋になった金か金もどきの──俺に区別なんて付く訳ねぇって──手摺りの付いた階段で二階昇って奥の部屋に案内された。俺が先に座らされ、次に四条が座った。見た事もないようなアンティーク調の高そうな椅子に座らされて、落ち着きなく辺りを見回した。高そうなガラス細工のデカイ花瓶に、高そうな花が生けてあったり、壁に油絵なんか掛かってる。……心臓に悪い。迂闊に触ったら、弁償代なんてとても俺には払えない。……四条は絶対『ツケとくね』とか言うに決まってる。四条は面白そうに俺の顔をじろじろ見てる。
「……何だよ」
「……いや、『面白い』なと思って」
「っ!!」
「実に『面白い』反応だよ。『楽しい』ね、君といると。退屈しなさそうだよ」
 面白がられた俺はどうしろってんだ!!
「あのなっ!!四条!!」
「……テーブルマナーくらいは完璧にマスターして貰うよ。それくらいは当然でしょ? 誰だって食べない事には生きてけないんだから、『最低限』必要だよね。そんな事出来ない『人間』に食器使って『食事』させるなんてただの『冒涜』だよね」
 ……それは俺に対する『厭味』か? 大体、俺はそんなもん『必要』としてない。生きてたくもない、存在したくもない『俺』がどうしてそんな事マスターしなくちゃならない?
「はい、まず正面見て。皿の上のナプキンは膝に敷く。間違っても襟に掛けたりしない事。そういうのはとても恥ずかしいから、絶対やらないでね」
 四条のやる通り、膝に敷く。
「それから正面右。こちらに使う順序通りのナイフやスプーンがある。左側が同じくフォークね。右にある物は右手で使って、左にあるのが左手で使う。OK?」
 無言で頷く。
「これらは外側から使う事。判らなかったら僕の方見て良いから。それから正面の皿の向こうの小さいスプーンやナイフ。これは途中で出る口直しのシャーベットやパンに塗るバターナイフ。……ちょっと一番外側のナイフとフォーク握ってみて」
 恐る恐る、手に取って握る。四条が大仰な溜息ついた。……やっぱり。
「……どうしてそういう握り方になるの?」
 しかめ面で言われた。
「……ていうか普通、こんなもんだよ」
「……やめて欲しいなあ……」
 深い溜息をつかれた。……うるせぇよ。俺こそんなもん必要ない『世界』で生きてきたんだよ。四条がこちら側へ回ってくる。
「良い? まず手は丸く握らない!! 人差し指伸ばして、軽く握る。力入れる必要ないの!! 君、それじゃ皿を鳴らすだけだよ? 軽く支える程度!! 君は箸持つ時、そういう拳固で握る!? そうそう、そういう感じ。まず、フォークで刺して、ナイフで切る。必ずフォーク刺した側から食べる事。残った方にフォークの穴が開いてたら、みっともないでしょう? ナイフ動かす時も、そんな力入れなくて良いから。……略式で全部切ってからフォーク一本で食べるってのもあるけど……僕はあんまりそれは好きじゃないから、その都度切っては口へ入れてくれる? サラダとライスはフォーク右手に持って食べても良いから。……食事中はナイフとフォークを置く時は、皿の端にハの字型にナイフの刃を外側、フォークの裏を上にして置く。食べ終わったら、右側に斜めにフォーク表を上に内側・ナイフ刃を内側向けて外側に置く。スープを食べる時は、残りが少なくなったら、皿を外側傾けてスプーンは自分の側へ動かして掬う。食べてる最中は手の平を決して外へ向けない。必ず、相手に手の平を見せないように食べる事。たぶん出ないけど、フィンガーボールってこの位の丸い小さな入れ物に水入って出てきたら、それは手をゆすぐ物だから。絶対飲んだりしないように。……ちなみにそれが出てきたら、素手を使う物が出てくる場合だから。判った?」
「……たぶん」
 四条は厭そうな顔になった。
「こんなに懇切丁寧に教えてるんだから、そういう事言わないでくれる?」
「……んな事言ったって……」
「最初に出てくるのがオードブル。軽い物ね。次がスープ。たぶんこの辺りでパンかライス出して貰える。来なくてもそのうち来るから安心して。ポワソン、魚料理の事。次がソルベ、口直しのシャーベット。あんまり甘くないから甘党じゃなくても平気。アントレ、肉料理の事。これが主菜ね。それとサラダ。次がアントルメ、デザートの事。最後が珈琲又は紅茶。ま、覚えなくても店の人が出してくれるから。本当はグラスの事も教えようかと思ったけど、混乱しそうだからやめておくよ。覚えなくても、店の人は間違えたりしないし」
「…………っ!!」
「とにかく実践だね。口で言ってても仕様が無いでしょ? 大体、君は体で覚えるタイプみたいだし」
「…………悪かったな、バカで」
「そんな事は言ってないでしょ? 頭で覚えられなくて、体で覚える事も出来なかったら、救いようないでしょう。一応褒めてるんだから」
「……とてもそんな風には聞こえなかったぜ」
「君の勘繰りすぎでしょ」
 四条はそう言って、テーブルに置いてあった鈴?を鳴らす。……ええと、あれだ。昔の外国映画に出てくる、主人が召使い呼ぶベル。蝶ネクタイ締めたウェイターが現れる。
「そろそろ始めて。食前酒は要らないから。ワインだけ軽く。白、かな。銘柄は任せるよ。……グラスワインで二人前」
「かしこまりました」
 ウェイターが下がる。
「……おい、俺『未成年』だぜ?」
「…………飲めないの?」
 真顔で訊かれて、動揺する。
「……お前、仮にも『大人』だろ? ガキに真顔で勧めるなよ」
「最初の一杯だけね。僕も車だから後はソフトドリンク。……僕はジンジャーエール頼むけど、君どうする?」
「……任せる」
「じゃ、二つね」
  ……この男、何かとんでもねぇ……。大体、一杯でも飲んだら『飲酒運転』じゃねぇの?
「……ったくアンタ……」
「一人で飲むのも何でしょう?」
「……俺が飲めないとか言ったら、どうする気だったんだよ?」
「飲めないの? 『不良少年』」
「……だから!! こういうトコで真顔で勧めんなってーのっ!!」
「……真面目だねぇ」
 感心したように言われて、げんなりする。
「……僕はワインとビールと食前酒はお酒じゃないと思ってたよ」
「十分酒だろっ!! ボケッ!!」
「……そういう事、言うかな? 君だってそれくらい、飲むでしょ?」
「……お前、こんなトコで俺に『飲む』って言わせたいのか?」
「……『飲む』んでしょ?」
 ……やめてくれ……。真顔で言うの……。
「……そりゃ飲まない事ねぇけど……こんなトコで飲んだ事ねぇよ。……大抵一人で隠れて飲むんだから」
「寂しくない? そういう飲み方」
「うっせぇな!! 大体法律で未成年が酒飲むのは禁じられてんだよ!! バカ言うな!!」
「……変に『常識』拘るんだね。『基本的』な事駄目なクセに」
「アンタの方がおかしいんだよ!!」
「失敬な。……僕だってブランデーやウォッカや度数高い酒なら勧めないって。アルコール二十%以下なんて水みたいな物でしょ? 風味や味を楽しむだけのもので。……感覚的にはジュースとそれ程変わらないと思うけどな。ワインはさ」
「……大酒飲みの台詞だな、それは」
「失敬な。そんなに沢山がぶ飲みしないよ。ゆっくり味わうだけだよ。……味音痴の底無しと一緒にしないでよ。……そりゃ、アルコールが好きなのは否定しないけど」
 俺は返事の代わりに、溜息ついた。本当この男、タチ悪い。
「そんな事言われるのは、至極不快だよ」
「……その調子で煙草も勧めんじゃねぇぞ」
「煙草は駄目だよ。子供が吸うもんじゃない。成長にも健康にも悪い。肺ガンの元。……まさか吸ってないだろうね」
 俺は空惚けた。四条がぐいと顔を近付けてくる。
「……『龍也』君?」
 真顔で間近で睨み付けられる。思わず身を引く。
「バカ野郎!! ただ一般論言っただけだろ!?」
「……ちょっと口開けて、匂い嗅がせて貰えるかな?」
 目を細めて、獰猛な目つきで言われる。
「バカ野郎!! そんな気色悪い事するな!! 大体、俺が吸うかどうかは服の匂いとか部屋の匂いで判るだろうが!!」
「……確かにうちへ来てからは吸ってないようだけど、内臓の匂いはたぶんちょっとやそっとじゃ消えないからね。はい、口開けて」
「バカヤロ!! やめろってば!! 触るな!! 変態か!? お前!! 四条!!」
 俺は抵抗した。けど難なくねじ伏せられて、口をこじ開けられる。……お前!! 犬か!? 四条!! バカ野郎……っ!!
「……クロ、だね」
 ……やっぱお前『変』だよ……。
「禁断症状が出てない事から、中毒まではいってないようだけど……僕の目の黒いうちは、煙草なんて吸わさないから」
「てめぇ吸ってるんだろうが!!」
「……僕が?」
 大仰に目を見開かれた。
「……だって部屋に灰皿、あったろう!?」
 四条はああ、と呟く。
「あれは僕のじゃないよ」
「……は!?」
「『知り合い』のなんだ。いちいち灰皿を持って来るのは面倒臭いから置かせてくれって。……そのままだよ」
「…………」
 道理でその割にライターとか煙草とか無い訳だ。……にしたって……。
「……『他人』は家上げないって……」
「『他人』じゃないよ」
 さらりと言われた。
「は!?」
「でも『僕』じゃない。それより話題変えようとしてない? 良いかい? 煙草なんか吸ったりしたら、君を監禁してでもやめさせるから『覚悟』してね」
「……何で俺が……っ!!」
「君が言ったんでしょ? 未成年は駄目だって」
「…………っ!!」
 勘弁してくれよ!! 何なんだよ!! この男!! ウェイターが来て、ようやく解放された。それからの四条はこれまで以上のスパルタで……俺はへとへとになるまで、しごかれた。案の定、味なんか判らなかった。

To be continued...
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