NOVEL

光の当たる場所 -15-

 目覚めた時、半裸で両手革ひもでベッドの端にくくりつけられてた。……予想はしてたけど……最悪な状況。目の前に、色っぽい黒の下着姿の美女。ガーターベルトして、挑発的なくらいデカイ胸と細い腰と、ボリュームある尻。長い足は肉感的で、参った事にかなり『好み』だった。けど、それ以上に気が削がれる『要因』があって……俺は素直に喜べなかった。……つーか……誰もこの状況で喜んだりしないと思う……。
 ぞっとしながら目の前の女見上げた。女はにやりと『肉食獣』の瞳で笑った。
「お目覚め?」
 俺は溜息ついた。
「……こんな事してどういうつもりだよ?」
 女はふふっと笑った。
「ようやくまともに喋ってくれたわね?」
 つーかアンタ……この状況で……。
「何のつもりなんだよ!! 『犯罪』じゃねぇの!?」
 もがこうとすると、余計締まってくる革ひも。俺は苛々しながら叫んだ。女は俺の腰辺りに跨った状態で、くすくす笑う。
「やあね。……そんなに怒らなくても良いじゃない。楽しもうとは思わないの?」
「思うか!! 大体、四条貴明の『婚約者』なんだろう!? 俺にどうしてこういう事してんだよっ!!」
「……アイツの事は気にしなくて良いのよ。ねぇ? 私、魅力無い? ……興味ない訳?」
「何、無茶苦茶言ってンだよ!!」
 俺は泣きたくなった。
「何飲ませたんだよ!! 一体!!」
「……大丈夫。毒じゃないわ。……まあ、飲み過ぎれば毒にもなるけど。ほんのちょっとだから死んだりしないわ。安心して」
 冗談じゃねぇよ!! 安心できるか!!
「どうしてこんなっ……!!」
「君が『好み』だからよ」
 『嘘』だと判る目で。『作り物』の『笑顔』で。
「冗談やめろよ!! 嫌がらせのつもりか!? 俺は『モノ』じゃねぇぞ!? ただの『道具』にすんなよ!!」
 女は笑って、俺の頬に手を伸ばす。
「そんな事考えてないわよ」
 そう言って、頬を撫でる。細い白い指が耳たぶから顎のラインをなぞった時、びくりとして俺は思わず跳ね上がりそうになった。女は笑って自分の胸を俺の剥き出しの胸に押し付ける。弾力のある豊満な胸。間近にその谷間を見せられて、全身の血が、逆流しそうになる。俺は思わず目を塞いだ。女はくっくっと笑って、唇を押し付けてきた。
 悲鳴上げそうになる。無理矢理に顎を掴んで、舌を割り入れてくる。抵抗するには遅すぎた。女の舌が、それだけ別個の生き物のように俺の口腔を徘徊し、蹂躙する。頭の芯がぼうっとして、気が遠くなりそうになる。熱病に冒されたように、俺は女を見た。女は笑った。……ひどく、魅力的に。……『悪魔』だと思った。ひどい『暴力』だった。こんな『やり方』は酷すぎると思った。目頭が、潤んでくる。……この女に泣き顔見せるのは、ひどく屈辱だった。絶対そんなの、厭だった。首を振って抵抗するけど、そんなの何の抵抗にもならなかった。女は楽しそうな笑い声を上げる。……コイツ、サドだ。涙押し殺して、必死で睨んだ。女は指で俺の首筋から乳首へとなぞり、そのまま更に下方へと、指を這わせた。
「……やっ……!!」
  ぞくりとした。女は笑った。ベルトは既に外されていた。ジッパーを下ろされ、中に指を滑り込ませてくる。
「バカ野郎!! アンタっ……!!」
 身を捩ろうとするけど、革ひもが邪魔で……その上、女が乗ってるからろくに動けない。
「やめろよっ!!」
 必死で抵抗する。けど、やすやすと侵入されて……中の『モノ』を外へ掴み出された。
「っ!!」
 女は嬉しそうに笑った。
「……ヤだ、結構『大きい』のね」
「……やめろよっ!!」
 俺は絶叫した。女はクスクス笑った。
「もっと『大きく』してあげる」
「やめろったら!! それ以上何かしたら訴えるぞ!!」
「……訴えてごらんなさいよ」
 女は喉を鳴らして笑った。そしてそれをくわえた。俺は悲鳴上げそうになった。
 その時、だった。物凄い大音響と共に、ドアが勢い良く跳ね上げられ、足早にずかずかと四条が入って来た。女はぎょっとして振り向いた。俺は一瞬、硬直した。
「……困りますね、由美子様」
「……四条……っ!! ……どうして!?」
「……表にいた黒服連ですか? ボディーガード雇うなら、もう少しマシなのにしたらどうですか? 見かけ倒しの連中で、エクササイズにもなりませんでしたよ」
「…………っ!!」
「……それよりも、由美子様。困りますよ、こんな事されては。誘拐・監禁に強制わいせつですか? ……あまりフォロー出来かねる事は、やめていただけませんか? お父上に『報告』しなきゃならなくなるじゃありませんか」
「……なっ!?」
「……あなたのなさる大抵の事は、見逃せる自信はありますが、今回の事に関してはどういたしましょうかね? 何なら、今すぐ警察呼んでも宜しいんですよ? 『不名誉』な事ですがね」
「……四条……っ!!」
 四条はひどく冷たい目をした。
「……秋芳殿はお嘆きになるでしょうが、仕方ありませんよね?」
「四条!!」
「……これに懲りて『反省』なさいますか? でしたら僕も『考えよう』があるんですが。……しかし、僕の『可愛い』甥にこんな事されたんですからね……『慰謝料』の一つや二つ、要求する『権利』ありますよね? 『不問』に伏すおつもりがあるのなら、それくらいの事は当然、十分お考えですよね? 由美子様」
「……何を『要求』するつもりなの?」
 女は震え声で言った。四条は冷たく笑った。
「以降半年、『おとなしく』していただけますか? 『恋人達』との『密会』も控えていただきます。それ以降でしたら、『密会』も構いませんが、出来うる限り『ひっそりと』静かにお願いします。少なくとも人の『噂話』にはならないよう。僕も『愛人』を作っても、人の口の端には乗らないよう十分『留意』いたしますので」
「…………っ!!」
 その瞬間、俺は自分のバカさ加減にひどく腹が立った。四条は最初から、『これ』を『期待』していた。『口実』と『きっかけ』を望んでいた。俺は今の今まで気付かなかった。すげぇバカだ!! 何てバカで……四条がどんなに酷い奴か判ってたつもりで……全然判ってなかった!!
 思わず四条を睨み付けた。……四条は苦笑した。
「……ごめんね。痛かったよね?」
 そう言って、俺の良手首の革ひもを外す。そうして自分の上着を着せ掛ける。
「……由美子様、どうなされます?」
「……呑まなかったら、どうなるの?」
 四条は笑った。
「秋芳殿はあなたをお許しにならないでしょうね。たぶん、一生」
 女は下唇を、血の出るほどに噛み締めた。
「……条件を、呑むわ」
 押し殺した、声で。
「……あなたの事だから、どうせ確実な『証拠』握ってるんでしょう? ……大体、『ここ』が判った事自体……」
「……そこまで僕を『悪人』にしたいですか?」
「違うとでも?」
 女が睨み付ける。
「僕はそんなもの握ってはいませんが、『何処かの誰か』は握ってるかもしれませんね。『壁に耳あり、障子に目あり』と申しますからね」
「…………」
 女が陰惨な目つきで睨み付ける。
「……『最低』ね」
 四条は眉をひそめる。
「『最低』なのはあなたでしょう? 『いたいけな』少年を拉致して、こんな『暴力』振るって。こんなに震えてるじゃないですか。可哀相に」
 俺は『恐怖』じゃなくて『怒り』に震えていた。女に対してもだが、それ以上に『四条』に。
「……今後、あなたがこういう事をなさらぬよう、願っていますよ」
 そう言って、四条は俺を抱き上げ、部屋を出た。俺は四条の腕を振り払う。素足のまま、廊下に立つ。少し、身体がふらついたが大した事無かった。
「……四条……てめぇ……っ!!」
 渾身の力で睨み付けた。四条は苦笑する。
「……ちゃんと助けてあげたでしょう? 『救いよう無くなる』前に」
「……お前……『わざと』だな!?」
 判ってるクセに、確信してるクセに、わざわざ訊いてしまう俺は……『広香』そっくりの『顔』に騙されてるとしか思えなかった。出来る事なら否定して欲しいと、心の何処かで願っていた。バカな事に。
「結構『苦心』したんだよ。ちょっと割り出すのに時間も掛かったし。……でも、かなり良いタイミングだったでしょう? 僕だって、彼女のあられもない姿見て、気まずい思いしたくなかったから、結構必死で捜したんだよ」
「……お前の『計算』のうちだったんだな!?」
「僕は君を『守る』事に全力を尽くしたよ」
 俺はひどく泣きたくなった。
「最低だよ!! アンタ!! 他人の気持ちなんて全く判っちゃいない!!」
「……龍也君……」
 困ったような顔で、四条は俺を見た。だけど俺はもう、騙されなかった。コイツの人の好さげな顔なんて信用しない!! もう一生、金輪際絶対に信じたりしない!! コイツはとんでもなく『最低』で『最悪』で、他人の事なんて『道具』程度にしか思ってない!! 他人の気持ちなんて全く考えて無くて……傷付けても、その『理由』なんてきっと全く『理解』出来ないんだ!!
「……アンタの処には帰らない!! これ以上、一瞬一秒たりとも、アンタの傍にはいたくない!!」
 『絶縁』宣言だった。何処にも行く先なんて無い。何処にも行ける場所なんて無い。何処にも居場所なんて無くて、何処にも行きたい場所が無い。自分の存在にすら、『嫌悪』感じてて、何もしたい事なんて無い。……それでも今、俺は何処にも行きたくないけど、四条の傍にいたくないと痛切に思っていて。何もしたくない俺が、唯一したい事が、四条から離れる事で。
 四条が不意に、俺の左腕を取った。
「……なっ……!?」
 四条は乱暴に、俺の左手首の包帯を取った。引っ張られて、引きずり寄せられる。
「何すんだよっ!! 四条!!」
 四条は答えない。包帯を全て剥ぎ取り、ガーゼをはね除け、いきなり塞がり掛けた傷口に、白い歯を押し当てた。
「っ!?」
 厭な感触と共に、血がほとばしる。それが滴り落ちる前に、四条はその舌で舐め取った。俺は悲鳴を上げそうになった。四条は更に傷口に唇押し当てて、俺の血を啜り、それをごくりと呑み込んだ。眩暈がしそうだった。四条は俺の痛みなんかお構いなしに、血を啜り呑む。その光景に、俺は思わず腰を抜かしそうに幻惑される。血を啜る四条は、悪魔的で美しかった。全身が、ぞくぞくして恍惚に満たされる。思わず、全身が『快感』で震えそうになる。
「……なっ……にを……四条……っ!!」
 四条は笑った。
「……嫌がらせ」
 にっこりと穏やかに、甘い声で。
「嫌がらせ!?」
 愕然とする俺に、クスクスと四条は笑った。
「これからは、君に嫌がらせする事に決めたよ」
 ひどく明るい声で。
「……何でっ!!」
「……君の『負債』だよ。まあ、『多少』は返して貰ったけど、まだまだ『足りない』からね。これからはこの傷痕見る度に、僕を思い出してよ。君が何処で何をしてても、時々君に嫌がらせしに行くよ」
「何でそんな事を……っ!!」
「……こんな簡単に君を逃すのは、あまり面白くないからだろう? 世の中、僕の都合通り行ってくれないと困るけど、イレギュラーは嫌いじゃない」
「……なっ……!!」
「君はからかうと、面白いタイプのようだから」
「……何考えてんだよっ!! アンタ!!」
 四条はクスクス笑った。
「僕が『良い』と言うまで『死ぬ』のは許さない」
「っ!!」
「足掻きたければ、足掻けば良い。それでもどうしても君が『死にたい』と言うのなら、僕を倒してみてごらん? 僕は君に倒されるほど、ヤワじゃないけど」
「……四条っ……アンタっ……!!」
「……面白い『ゲーム』だろ?」
 四条はようやく俺の腕を離した。俺はぱっと左手を庇い、後ずさる。
「……僕は僕のやり方で、僕の『望み』を達成する。君は君のやり方で、君の『望み』を叶えると良い」
 きっぱりと四条は言い切った。
「……俺はアンタの『玩具』になる気はない。そこまでマゾじゃないからな」
「君のプライドの高さには感心するよ。……僕に『抗った』のは君が『初めて』だよ」
「……それで俺に構うのか?」
「君が何処まで僕に抗うのか、見てみたい」
「……最低っ……!!」
 四条は人の好さげな笑顔で笑った。
「人の好意を足蹴にした報いだろう?」
「何が『好意』だ!!」
 結局、この男は他人を自分の思い通りにしたいだけだ。……人の『生死』さえも。
「また会おう、龍也君」
「二度とごめんだ!!」
 言い捨てて、俺は一人で廊下を走った。足が時折、もつれたけど……立ち止まるのは恐かった。足がすくんで、二度と動けなくなりそうで……四条に捕まって二度と逃げられなくなりそうで……とても、恐かった。俺は必死で走った。エレベーター見つけて慌てて駆け込む。はあはあ息を切らせて、壁にもたれて座り込んだ。四条の追ってくる気配は無かった。それでも、安心なんか出来なくて。……ここ数日の記憶が、走馬燈のように蘇る。人が自殺しようってのに、『素敵な趣味』だとか抜かす男。極悪非道な冷血漢で最低最悪な鬼畜野郎。プチトマトが好きで、『最低限の礼儀』とかにうるさくて、そのクセ常識無くて、家事能力ゼロでコップ一つろくに洗えない変態で。金持ちのクセして、毎日大衆食堂通ったりして、すっかり馴染んでたり。
 左手首がじくじく痛む。ひどく胸が痛くて。苦しくて、目頭が熱くなって、頭が痛い。さっきの事、思い出すと背中がぞくぞくして、体中熱くなって勃起しそうなくらい気持ち良くて……。血に濡れた四条の唇は、ひどく紅くて艶めかしくて美しかった。……俺は『病気』だ。二度と『以前』には戻れない。ただの『人間』だった頃には。俺はどうしようもないくらい、『血』に飢えていた。自分の『血』でなくても、構わない。この世の何よりも、俺を興奮させ、恍惚とさせる。何も知らなかった頃には戻れない。俺は『一線』を踏み越えた。こんなものは『人間』なんて言わない。どうしようもなく、四条に惹かれそうになる自分を感じていた。けれど、四条に従ったら、滅茶苦茶にされるのも判っていた。だから俺は一生、四条貴明を信用しない。あと四ヶ月で『久本貴明』になるのだそうだけど。エレベーターが一階に着いた。俺は立ち上がり、外に出た。そのまま建物の外に出る。……そして呆然とした。
「……院長」
 『施設』の倉敷院長。ハゲジジイ。……何でコイツがここにいる!?
「……久し振りだね、龍也君」
 俺は硬直した。……何も、言えない。
「……四条さんから、君がここにいると連絡受けてね」
「っ!?」
 ……四条……っ!!
「……帰ろう」
 俺は頭を振った。
「……心配しなくても、病院へは連れて行かない。私はずっと『後悔』していたんだ」
「……俺は……」
 掠れた声。……声を振り絞って。
「……俺は誰の世話も受けない」
 院長は静かに笑った。
「君は、庇護を必要とする子供だよ。法的には、まだ」
 俺は唇を噛み締めた。
「……私の家へ来るかい?」
 俺は耳を疑った。
「……私の妻は足腰が弱くて、長時間家事が出来ない。妻の代わりに君が家の事をしてくれないか? 代わりに食事と寝床を提供しよう」
「……アンタ……正気か!?」
 院長は笑った。
「私は『施設』再建に忙しくてね。妻を手伝う事が出来そうにないんだ。だから、私の代わりに、出来る事で良い。妻にしてやってくれないか? 勝手な願いで、君に断られても仕様が無いが」
「……どうかしてるよ。俺に……そんな……」
「……どうしても、厭かね?」
 俺は観念した。
「……アンタが再建に掛かり切る間くらいなら、手伝ってやるよ」
「……有り難う」
 相手の方が、一枚上手だ。
「その代わり、俺はそのうち出て行く。誰の厄介にもならない」
「好きにしたまえ」
 ……物わかりの良すぎる、狸ジジイ。
「……グルだったのかよ?」
「別に申し合わせた訳じゃない。今日、四条さんが教えてくれるまで、何も知らなかったよ」
「……酔狂だな」
「私は『施設』の子供達を、誰一人分け隔てした事は無い。皆、私の大切な子供達だよ。君も、英和君も、広香ちゃんも」
「お綺麗な事を言うんだな?」
「『偽善』ととって構わないよ。そう見えても仕方の無い事だ」
 院長は言って笑った。
「……私達夫婦には、子が無かった。だから『施設』を作った。私達の子供を育てるために。私は老いた。私の妻も。……けれど、子供達が一人でもいる限り、私は続けたい。例えそれが、偽善やエゴに過ぎなくても」
「……そのために、四条の力を借りても?」
「……四条さんは親切な人だよ。ただ、娘さんの写真を一枚だけで良いから欲しいとおっしゃった。自分からはとても名乗り出られないから、せめて写真だけでもと。……だから、私達は広香ちゃんの写真やお礼の手紙を毎年送った。それが……人情というものではないかね?」
「…………」
「……詳しい事情は知らない。聞こうとも思わない。ただ、四条さんの力が無ければ、私の『夢』はとうの昔に潰えていた。残念ながら、私の『夢』は人々の『善意』でしか運営できない。企業と違って、利益を生み出したりしないからね」
「…………」
「……さあ、行こうか?」
 無言で頷いた。四条の思惑にはまっている。抜け出そうとしたつもりが、逆にはまってる感じがする。……それでも、今は……。
「……今は……それで良いさ」
 俺はうそぶく。でも……いつかは、きっと。俺は院長と共に歩き出した。

The End.
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